其の拾参 夕暮れの路地裏
「ん? 九十九っち、いつもの登校ルートと真逆の方向だけど、引っ越したじーさんっちってそっち?」
「うん、実家とは反対の位置にあるから……。でも、学校からは爺ちゃんちの方が近いんだ」
「おけまる水産。ほんじゃ、また明日~って事で」
「また明日。じゃあね、光太」
授業が終わって放課後。校門の前で光太と別れ、九十九は夕暮れの帰路に踏み出した。
リュックサックが数回揺れたのち、ファスナーをこじ開けて顔を出したイナリが「ふへぇ」と声を漏らしている。
「大変でやすねぇ……今の寺小屋も。わてには到底理解できない難しい説法ばっかで御座いやした。坊ちゃんたちは、あんな難しい事ばかりを学んでおるんでやすか?」
「大変かなぁ……? 勉強ってすればするほど楽しいし、難しいのもちょっとしたアクセントだよ」
「むむ、時代の違いって事でやすか。時は移ろうものでありやすねぇ……」
物思いの込められた呟きを背中で聞きつつ、夕日が放つオレンジ色の光を浴びる。
その色合いに目を細め、ふと思い付いた疑問を口にする。
「ねぇ……イナリ。昼は人間の時間で、夜は妖怪の時間なんだよね?」
「へぇ。正確には少し異なりやすがね。人間は夜の闇を畏れ、昼の光の中で生きる。妖怪は昼の光を厭い、夜の闇の中で生きる。そういう関係で御座いやす。尤も、最近では人間の文明が夜の闇を光で照らすようになり、その影響で妖怪の数も随分と減っておりやすが」
「……なら、今は?」
九十九の目に、ビルの谷間の向こうへと消えてゆく夕日が映った。
振り返れば、空の向こうからは夜の気配を感じさせる薄闇がやって来つつある。
「夕方……昼と夜の境目。ここは、人間と妖怪……どっちの時間なの?」
「……昼の光が彼方に沈み、夜の闇が迫る世界。夕方……特に誰そ彼刻と呼ばれる時間帯は、光に中てられていた妖怪たちが力を取り戻す時間で御座いやす。言うなれば『人間が力を失い、妖怪が力を得る時間帯』とでも言い表しやしょうか」
「やっぱり……妖怪にとって有利な時間なんだね」
「ですから、人は夜に寝るんでさ。妖怪を畏れる事が無いように、朝日を待つ為に」
「朝日……太陽、か」
ぼんやりと、戦闘後に意識を失った時の事を考える。
あの時、夢の中に現れた八咫烏──妖怪テッポウ・ヤタガラスの幻影はこう言った。
『オ前ガ、ドノヨウナ道ヲ選ボウトモ……全テハ自由。ダガ、忘レルナ。オ前ノ血脈ニ流レル力ハ、太陽ノ光。昼ヲ闇デ蝕ムノ為デナク、夜ヲ光デ照ラス為ノ力ダ』
八咫烏は勝利を司る一方、太陽の化身ともされている。
夜の闇の中で生きる妖怪でありながら、太陽──昼の光を象徴する存在としての力を持つ。
そんな相反する性質を持ち合わせた妖怪だからこそ、彼は人の側に立って魔王と矛を交えたのだろうか。
「いやっ……! やめてっ!」
「へへっ、まぁそう言うなって」
そんな思考は、少女の嫌がる声と、それに追随する男の下卑た声に遮られた。
反射的に足を止めて周りを見やれば、声がどこから聞こえてきたのかは容易く特定できた。
視線の先にある路地裏で、3人の男が1人の少女を囲んでいた。
どうやら全員、九十九と同じ高校の生徒であるらしい。というか男の内の1人は灰管だし、他の2人も灰管の取り巻きだ。
そして、彼らに囲まれた少女は──
「いいじゃねぇか、姫華。俺らと朝までタノシイ事しようぜ?」
「そうそう。塾でツマンナイお勉強するよりさ、道人さんと一緒に遊ぶ方が絶対いいって」
「入学して早々に美少女だなんて持て囃されてさぁ、ちょっと調子乗ってない? その鼻っ柱、道人さんに折ってもらえよ」
「ひっ……!? は、離してっ、やめて!」
白衣 姫華だ。彼女は狭い路地裏の壁が背中につくまでに追い込まれ、その手首は灰管に掴まれてすらいる。
雪のように白い肌も、今は恐怖で青褪めていた。
この状況を見逃してしまえば、この後に彼女がどうなるか。そんな事は、わざわざ考えるまでもなく明白だろう。
「……光太の言ってた事は本当みたいだね。最低な真似を……」
「なんですか、あ奴らは。女子を寄ってたかって取り囲んで、事もあろうに無理やり言い寄るなど! 日本男児の風上にも置けやせん」
彼らのやり取りを物陰から確認した九十九が、いつものダウナーな表情を灰管たちへの嫌悪で歪ませる。
それはイナリも同じようで、彼はリュックサックから顔を出しつつプンスカと耳を震わせて憤っている。
「……ねぇ、イナリ」
「ええ、わても彼女を助けたいのはやまやまでさ。しかし如何な悪党と言えど、妖術を人間に対して振るって害をなすのは頂けやせんぜ。そうして助けたとして、それをあの女子にどう説明するんでやすか?」
「うん……分かってる。だから、ちょっと考えがあるんだ」
九十九はそう言って、ポケットからスマホを取り出した。
◆
「なぁ~なぁ、いつまでこうして抵抗してるつもり? いい加減、楽になれよ」
「……この手を離してくれたら、いくらでも楽になるわよ」
「うっそだぁ、手ェ離したら絶対逃げるでしょ~? 3人に囲まれるのに逃げられる訳無いのにさ~、バッカだよねぇ」
ゲラゲラと、下品極まりない笑い声を上げる灰管たち。
その粘ついた悪意に顔を引き攣らせ、それでもなお姫華はこの場から逃げる為の抵抗をやめない。
「いいからさぁ、さっさと道人さんに従いなって。俺たち、いつでもこの場でお前を凄い目に合わせられんだぜ~?」
「っ……! あなたたち、こんな事して……何が楽しいのっ……!?」
「何が楽しいかって? そりゃお前、自分より弱ぇ奴を足蹴にすんのは最っ高に楽しいに決まってんだろ。クラスの連中は全員、俺らの気分次第でいつでもどこでもボロ雑巾になる雑魚の群れってワケ。お前だってその1人だぜぇ、姫華」
グイッと、姫華の手首を握る力が強められる。
ギチギチと軋む手首に痛みが走り、少女の苦しむ声が歯の隙間から漏れた。
「い、痛っ……!」
「なぁ、幼馴染の俺がこんなに誘ってんのに反応ナシかぁ? やっぱお前、昔っからそうだわ。つまんない女だなぁ、オイ」
「あ……あなたと幼馴染だったのは昔の話っ……でしょ。私の家からも、縁切られた……じゃないっ」
「あ~~~もう、うっせぇなぁ! ゴタゴタ抜かすようだと本当に──」
「……やめなよ」
その場にいた4人全員が、声のした方を見る。
橙色の夕日をバックに、路地裏の入り口に立っていたのは……
「その手……すぐに離して。白衣さん、痛がってるから」
紛う事なく、八咫村 九十九その人だった。
今日はこの後【20:00】より追加投稿を行います。




