其の拾壱 変わり始めた日常
日が2回沈み、2回昇って月曜日。
衝撃的という言葉さえ陳腐に思える出来事を経験した九十九は……いつも通り登校していた。
「坊ちゃんは真面目で御座いやすねぇ……。あんな事があったんだから、もう1日2日は休んでもいいでしょうに」
「よほどの事が無い限りは出席落とさないのが僕の信条だから……。それに、誰かにノート見せてもらおうにも光太しかいないし……光太は、まともにノート取らないし」
「……友達、少ないんでやすか?」
「……うるさい」
背負ったリュックサックを軽く振り、中に入っている彼を揺さぶる。
ファスナーの隙間から潰れた蛙のような悲鳴が聞こえたが、気のせいだろう。
土曜日の惨劇を境に、九十九を取り巻く日常は大きく変転し始めた。
具体例を挙げればキリは無いだろうが、その内の1つこそが今リュックサックの中に潜り込んでいる彼の存在である。
「それで……本当に高校までついてきて良かったの? イナリ」
「いつどこで妖怪どもの襲撃があるか分かったもんじゃありやせんからねぇ。所謂“ぼでぃがあど”でさ。ご当主様の方にはきちんとお千代がおりやす故、無問題でさ」
そう、イナリである。
本来は四十万の召使いである彼だが、妖怪になりたての九十九をサポートする為に同行する事になっていた。
スポンと、ファスナーの隙間をこじ開けて顔を出すキツネの顔立ちは、やはりぬいぐるみのようにモコモコとしている。
ピコピコと震えるキツネ耳が、まるでアンテナだなと九十九は思いながら階段を登る。
途中で数人の生徒とすれ違うが、彼らはイナリの存在を気にも留めずに通り過ぎていった。
「……本当に、誰もおかしいと思わないんだ」
「それがわての妖術でやすからね。幻術、認識阻害などと呼び名はありやすが、わては“ごまかし”の術と呼んでおりやす。何かと応用が効いて便利ですぜ。今こうして会話しているわてと坊ちゃんのやり取りも、他の連中からはまともに認識されないでしょうや」
「ゲームだと強過ぎて弱体化されるやつ……。まぁ……漫画とかでよくある『誰と話してるんだ?』みたいな事が起きないのは助かるけどね」
そんな会話もそこそこに、教室の扉を開く。
入室して早々、机に頬杖をついている光太と目が合い「おはよう」と声をかける。
彼はいつも通りぼんやりと眠たそうな顔をした九十九の姿を認めると、手を挙げて「おはようさん」と返してきた。
「よっ、九十九。無事で何よりだったぜ、ホント……。土曜は本当に心配で心配で心臓が爆発しちまいそうだった」
「あはは……ごめんね、光太。電話でも言ったけど、博物館から出てすぐ疲れて公園で寝ちゃってたんだ。まさか、寝てる内にあんな事があったなんて……」
「そーだよ、ホンットにそう! 俺がチケット渡したせいで、お前があんな大事件に巻き込まれて死んじゃってたらと思うと……心配かけさせやがって、このっ!」
拳で涙を拭う真似をしながら、傍まで来た親友の肩をバシバシと叩く光太。
小学校以来の幼馴染を心配させたツケだと、九十九はその痛みを黙って受けた。
博物館で起きた妖怪カタナ・キリサキジャックによる殺戮劇と、妖怪に変化した九十九との激しい戦闘は、表向きには大規模なガス爆発事故と報じられている。
この事を四十万に問うと、彼は「儂は何もしとらんよ。じゃが、知っとる者は知っとる。そういう事じゃ」とだけ返してお茶を飲んでいた。
その真意は不明だが、権力を持つ誰かによって妖怪に関する情報は隠蔽されたらしい。
イナリとお千代が早期に救出してくれたおかげで、ニンゲン・ヤタガラスの存在について上手く秘匿できたのは僥倖だろう。
一先ずの口裏合わせとして、九十九はガス事故が起きるよりも前に博物館を後にし、公園でうたた寝をしていた……という事になった。
そして、もう1つ。
「普段ヘラヘラしてる俺だけどよー、今回はマジで心配だったかんな? 今日も一緒に登校しなかったじゃんか。そっちでなんかあったんだっけ」
「あ、あぁ……うん。爺ちゃんがそろそろ一人暮らしは厳しいんじゃないかって、僕だけ爺ちゃんの家に引っ越す事になったんだ。高校からも、そっちの方が近いしね」
妖怪の力を家族にすら隠したまま今まで通りの日常を過ごす事は難しい。そんな判断の下、九十九は四十万の家に住まいを移す事になった。
方便としては高齢の祖父が暮らす手伝いをする為なのだが、実際は妖怪としての力を学んで制御する為である事は言うまでもないだろう。
何分急だっただけに両親は心配したが、姉の賛成もあって何とか話が進んで今に至る。
「ほーん、じゃあなんか機会があったら顔でも出そうかな。またお前のお姉さんともお話ししてーしよー」
「姉さんは引っ越さないからね……? 公務員としてバリバリ働いてるみたいだし、そんな暇も無いでしょ。確か、どこの部署だったっけな……──」
「おい聞いたか? 八咫村の奴があの爆発事故現場にいたってよ」
妙に神経を逆撫でする声が聞こえて、九十九は光太を見た。
視線を飛ばされた親友はと言えば、その声の主に当たりをつけて無言で親指を向ける。
「事故が起きる前に現場を離れてたらしいけどよー、本当なのかねー?」
「うっそくせーよなー。あんな陰キャ野郎が偶然生き残ったとかあり得ねーよ」
「そもそも公園で居眠りってホームレスかよ。根暗オタクにはお似合いだけどさー、アハハハハッ!」
下卑た笑い声を交えて下品な会話をする、数人の男子生徒たち。
その会話を聞いたクラスメイトたちが不快そうに見つめていたが、すぐに彼らに睨み返されて視線を逸らしている。
光太からしてみれば、そんなメンチ切りは痛くも痒くもないようで「ケッ」と一言。
「灰管のヤローだよ、灰管 道人。半グレとつるんでイキってる奴。俺らの中学でも有名だったろ、カツアゲに万引き教唆の常習犯」
「ああ……そういやいたね、そんなのも。同じクラスだったんだ……」
「うん、九十九くんにおかれましてはそろそろ人見知り治そうね? 俺っちだけが友達って状況は不健全だからね?」
小学校からずっと一緒な幼馴染の溜め息を聞き流しつつ、灰管たちの会話に耳を傾ける。
彼らの話題は徐々に過激で、下種なものへと変わっていた。
「ははっ、もしかしたらあいつが犯人なんじゃねーのー? ほら、立ち入り禁止のとこ入って変な機械触ったりとかでさー」
「おっ、それいいね。ウケる~。あの気色悪いほど黒い髪じゃ、ゴキブリ扱いされててもおかしくねーからな」
「ちびカラスくんはちっこいから、誰にも気にされないんだろうな~。カワイソーッ!」
「「「ギャハハハハハッ!」」」
彼らが口にした「あだ名」に、光太は一瞬で激発しかかった。
「野郎……っ!」
「待って、光太。僕は気にしてないからさ」
「でもよ……」
「正直なところ、あいつらに対しては不快感とか嫌悪感より『よくそんなの覚えてたな』って気持ちの方が強いかな……うん」
肩を掴みながらそう制止されては、口をモゴモゴしながらも不承不承落ち着くしかなかった。
灰管たちが言う「ちびカラス」とは、小学生の頃に九十九がつけられたあだ名だ。
九十九の背は当時から低く、格好のからかいの的だった。加えて、その眠たそうなダウナーじみた態度も「根暗」「陰キャ」と呼ばれるには十分。
そんな彼の雰囲気に、濃い黒髪を交えて「ちびのカラス」と呼ばれていたのだ。
当時こそ大いに傷ついた九十九だったが、光太の助けやフォローもあって今はそれほど苦手意識を持っていない。
それを分かっているからこそ、光太は仕方なしに席についてスマホを取り出した。
「ったく、あの倫理観最低オーディエンスどもがよ。あいつらだけ脳みその出来が小学生レベルだろ」
「単に背の低さを言われるだけなら気にしなかったんだけどね……。背の事なら、光太だって僕に言うし」
「お前が俺の背の高さを言わなかったら言わないんだよな。女子が体重を気にする程度には気にしてっから」
「困ったな……正論だ」
「ま、気心知れなかったらやらねーやり取りだし、それ抜きでも程度を守るのが友人関係のコツってね。……それよか、ほら。これ見ろこれ」
ついっと見せられたのは、ニュースサイトのとある記事だ。
目を通してみると、記事の見出しには大きく「猛獣脱走か!? 夜の街で起きた猟奇事件」と書かれている。
「昨日、この辺でエッグい殺しがあったんだってよ。デカい獣かなんかに食い千切られたみてーな遺体が見つかったって。たった一晩の内に、10人くらいやられたって話だ」
「1度に10人、って……猟奇殺人ってレベルじゃないよ、これ。猛獣脱走、っていうのは……」
「今言った死因だってんで、どっかの動物園からライオンか何かが脱走したんじゃねーかって言われてんだ。で、そんなニュースだからどこもかしこもザワザワしててさ……例えば、これ」
ニュースサイトを閉じた光太が慣れた手つきでスマホを操作し、次に見せたのは匿名掲示板。
様々な考察や憶測、不謹慎な物言いまで様々な書き込みがなされていたが……その中に。
『事件があった現場の近くで、トラックくらいデカいネコ見た。あれ着ぐるみ?』
『トラック大の着ぐるみってwww遊園地のアトラクションかよwww』
『動物園にネコいなくね? しかも車よりデカいとか。じゃあさ──』
『それ、妖怪かなんかじゃね?』
そのレスを見た瞬間、九十九は自分が唾を飲み込んだ事を自覚する。
これまでならば、妖怪という文字を見てもただの冷やかし、ほら話としか思わなかっただろう。
けれど、今となっては。
「土曜にあんな事があった矢先にこれだもん、一部じゃガス事故も含めてオカルト的な存在の仕業だって騒いでる奴がいる。宇宙人とかUMAとか、今書いてあったみてーに妖怪とか。ネットも現実もこんなノリで、嫌んなっちまうぜ」
「……そう……だね」
「っと……悪いな、変なモン見せちまってよ。そろそろ授業だし、お前も準備した方が──」
九十九が微かに気落ちしている事に気付き、スマホを引っ込めた光太が無理やり話題を変えようとした、その矢先。
「いないわよ、妖怪なんて」
そんな声が、2人の背後からかけられた。
今日はこの後【20:00】より追加投稿を行います。




