其の玖 キツネとスズメと好々爺
それが夢であると、九十九はハッキリと認識した。
どこまでも広がる深い深い闇の中で、1人立っている。
右を見ても左を見ても、上も下も全てが暗い黒に包まれていて、でも不思議と不愉快じゃない。
そこで、徐に顔を上げると。
【──A、aa】
九十九の視界全てを埋め尽くすほどに巨大な、炎のヴィジョンがそこにあった。
炎は轟々と炎上しながらも何らかの形を取っているらしく、まず初めに3本の足が目に見る。
次いで目を惹くのは、大きく広げられた1対の鳥の翼。そして、鋼すら焼き溶かしてしまえそうな鋭い嘴。
それは、炎が象る八咫烏だった。
「……どうして、僕に力をくれたんだ?」
【我ガ血ノ、宿命デアルガ故ニ】
燃える嘴が、厳かに開かれた。
その声色は心臓を震えさせるほど恐ろしく……何故だか安らぎを覚えると、九十九はぼんやり考える。
【オ前ガ、ドノヨウナ道ヲ選ボウトモ……全テハ自由。ダガ、忘レルナ。オ前ノ血脈ニ流レル力ハ、太陽ノ光。昼ヲ闇デ蝕ムノ為デナク、夜ヲ光デ照ラス為ノ力ダ】
八咫烏が、広げた翼を力いっぱいに羽ばたかせる。
吹き荒れる突風は熱風へと変わり、九十九の全身を強く打ち据えた。
「くっ……!?」
【夜ヲ恐レルナ。我ラハ、昼ト夜ノ狭間ニ立ッテ生キル者。ソレガ──】
轟く熱風は、それそのものが大いなる巨鳥の叫びであるようで
【妖怪ヤタガラス、ソノ宿命デアル!!】
◆
「──はっ!?」
目の前に炎が溢れ返るヴィジョンを見た直後、夢から醒めて飛び起きる。
決して悪夢を見た訳ではないのに、九十九は自身の呼吸が荒く、大量の汗も吹き出している事を自覚した。
それと同じく、仄かな痛みと疲れが体に貼り付いている事も。
「夢……か。そっか、そうだよね」
自分の頬に触れ、今の意識が現実にある事を確かめる。
ぺたりと触れた手のひらを通して、頬に絆創膏が貼られている事にようやく気付いた。
絆創膏の感触に違和感を覚えて視線を下にやれば、自分の体のところどころに包帯も巻かれている。
そこで初めて、今いる場所があの博物館ではない事、自分が布団に寝かされていたらしい事を知り……
「気が付いたようじゃな、九十九」
「ほぇっ!? ──っ、痛た……じ、爺ちゃん!?」
驚いた拍子に痛んだ肩をさすりつつ、九十九はいつの間にか傍に座っていた老爺を見る。
快活に頷く顎からは白い髭がモサモサと生えていて、少し見ない内に禿頭の照りにも磨きがかかっているのではないかと思う。
そんな好々爺然とした彼こそ九十九の祖父、八咫村 四十万その人であった。
「ほっほっほ。その様子だと、筋肉が少し痛んでおるだけで怪我の方は問題無さそうじゃの。お前が巻き込まれたと聞いた時は、流石の儂も肝を冷やしたわい」
「巻き込まれた、って……ここ、爺ちゃんの家……?」
改めて周りに目をやると、そこはよく見慣れた屋敷だった。
和の香り漂うこの小さな屋敷は、かつて四十万が亡き妻──九十九の祖母と共に暮らしていたが、今は彼1人のみが暮らしている。
だから両親と別の家に住んでいる九十九も、姉と共に時折この家を訪ねていた……のだが。
「い、いつの間に……。確か僕は……博物館で倒れて、それから……」
「それから、こ奴らがお前をここまで運んでくれたのじゃよ。あのまま放っておけば、警察やら何やらに絡まれて面倒じゃからのう」
「こ奴、ら……? それって一体……」
「にししっ。わてらの事で御座いやすよ、坊ちゃん」
聞き慣れない声を耳にして、首を傾げつつも周囲を見る。
けれども、この場には九十九と四十万以外は誰もいないように思えた。どこかに音声を出す装置がある気配も無い。
不思議そうな顔をする孫を見て、老爺は緩く笑いつつちゃぶ台を指差した。
そちらに視線を向けても……やはり、誰もいない。あるのは古びた急須と巾着のみだ。
「爺ちゃん……? どこにも誰もいないけど……」
「ところがどっこい! わてらがいるんでやすよ、これが」
ドロン! と漫画やアニメでしか聞かないような音がして、急須と巾着が煙に包まれる。
それに驚くのも束の間、煙が一瞬で晴れた後、ちゃぶ台の上にちょこんと座る2つの影が見えた。
「うわっ……!? キツネ、と……スズメ?」
「うふふっ。驚かせてしまって申し訳ありませんわ、坊ちゃま。ですがこうでもしないと、わたくしたちの存在をにわかには信じられないでしょう?」
「言っておきやすが、所謂“しいじい”などではありやせんぜ。わてもこのスズメも、れっきとした現実の存在でさぁ。……では、自己紹介と致しやしょう」
九十九が呟いた通り、その正体は1匹のキツネと1羽のスズメだった。
キツネはぬいぐるみの如くデフォルメされたような外観で、対するスズメは全身が夜の闇を思わせる漆黒に染まっている。
予想通りの反応と言わんばかりに淑やかに微笑むスズメの横で、キツネがちっちゃな前脚でちゃぶ台をポスンと叩く。
「お控えなすって。こちら、生まれは天保8年、育ちは江戸。妖怪キュウス・バケギツネ、字はイナリで御座いやす」
「生まれは明治21年、育ちは吉原。わたくし、妖怪キンチャク・ヨスズメ、字はお千代ですわ。以後お見知り置きを、坊ちゃま♪」
どこか自慢げな表情なキツネのイナリと、可憐にウインクする黒スズメのお千代。
彼らの自己紹介を受けて、九十九はと言えば目をパチクリとさせている。
「……えっ、妖……怪? それ……って、あのキリサキジャックみたいな」
「ヘッ、あんな令和生まれのシャバ僧と一緒にするんじゃありやせんぜ。本来なら妖怪に善も悪もありやせんが、あえて区別するならわてらは善の妖怪で御座いやす」
「わたくしたちはご当主……四十万様にお仕えする召使い妖怪ですの。かれこれ1世紀近くの付き合いになりますわね」
「善、召使い……か。実際に助けてくれたみたいだし、今はそれを信じるしかなさそうだけど……爺ちゃん」
「ほほっ、なんじゃいな九十九」
真っ白に長く太い髭をしごきながら応える四十万。
このイナリやお千代と言った妖怪たちが、本当に善なのかはまだ分からない。
けれども、この状況が意味する事を九十九は理解していた。
彼らが当然のようにこの家の中にいて、勝手知ったる風に四十万と言葉を交わしている。
それは、つまり。
「……知ってたの? 妖怪の事とか、こいつらの事とか……僕自身の事も、色々」
「ほっほっほ。知ってるも何も、まず前提から間違っておるぞえ、九十九」
ポフン……と軽い音の後、四十万の背面が煙と共に弾けた。
彼の臀部からひょっこり現れたのは……茶と黒の縞模様が鮮やかな、丸々とした尻尾。
「な、ぁあっ……!?」
「何故なら、儂自身が妖怪じゃからの。八咫村 四十万は人としての字に過ぎん。八咫村家当主、妖怪ニンゲン・バケダヌキが儂の正体じゃよ」
眼前でフリフリと振られるタヌキの尻尾に、開いた口が塞がらないでいた。
視界の隅っこでは、イナリとお千代が顔を見合わせて「やっぱりこうなるか」と言外に語り合っている。
額に手を当てて今にも頭を抱えようとする九十九を、老爺はそっと手で制した。
ここまでの朗らかな表情から一点、彼の眉は歪み真剣な雰囲気を醸し出している。
「お前には話さねばならんの。我ら八咫村家の始まりと、奴ら……『現代堂』の妖怪どもとの因縁を」




