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其の玖 キツネとスズメと好々爺

 それが夢であると、九十九はハッキリと認識した。


 どこまでも広がる深い深い闇の中で、1人立っている。

 右を見ても左を見ても、上も下も全てが暗い黒に包まれていて、でも不思議と不愉快じゃない。

 そこで、徐に顔を上げると。


【──A、aa】


 九十九の視界全てを埋め尽くすほどに巨大な、炎のヴィジョンがそこにあった。

 炎は轟々と炎上しながらも何らかの形を取っているらしく、まず初めに3本の足が目に見る。

 次いで目を惹くのは、大きく広げられた1対の鳥の翼。そして、鋼すら焼き溶かしてしまえそうな鋭い嘴。


 それは、炎が象る八咫烏だった。


「……どうして、僕に力をくれたんだ?」

【我ガ血ノ、宿命デアルガ故ニ】


 燃える嘴が、厳かに開かれた。

 その声色は心臓を震えさせるほど恐ろしく……何故だか安らぎを覚えると、九十九はぼんやり考える。


【オ前ガ、ドノヨウナ道ヲ選ボウトモ……全テハ自由。ダガ、忘レルナ。オ前ノ血脈ニ流レル力ハ、太陽ノ光。昼ヲ闇デ蝕ムノ為デナク、夜ヲ光デ照ラス為ノ力ダ】


 八咫烏が、広げた翼を力いっぱいに羽ばたかせる。

 吹き荒れる突風は熱風へと変わり、九十九の全身を強く打ち据えた。


「くっ……!?」

【夜ヲ恐レルナ。我ラハ、昼ト夜ノ狭間ニ立ッテ生キル者。ソレガ──】


 轟く熱風は、それそのものが大いなる巨鳥の叫びであるようで


【妖怪ヤタガラス、ソノ宿命デアル!!】





「──はっ!?」


 目の前に炎が溢れ返るヴィジョンを見た直後、夢から醒めて飛び起きる。

 決して悪夢を見た訳ではないのに、九十九は自身の呼吸が荒く、大量の汗も吹き出している事を自覚した。

 それと同じく、仄かな痛みと疲れが体に貼り付いている事も。


「夢……か。そっか、そうだよね」


 自分の頬に触れ、今の意識が現実にある事を確かめる。

 ぺたりと触れた手のひらを通して、頬に絆創膏が貼られている事にようやく気付いた。

 絆創膏の感触に違和感を覚えて視線を下にやれば、自分の体のところどころに包帯も巻かれている。


 そこで初めて、今いる場所があの博物館ではない事、自分が布団に寝かされていたらしい事を知り……


「気が付いたようじゃな、九十九」

「ほぇっ!? ──っ、痛た……じ、爺ちゃん!?」


 驚いた拍子に痛んだ肩をさすりつつ、九十九はいつの間にか傍に座っていた老爺を見る。

 快活に頷く顎からは白い髭がモサモサと生えていて、少し見ない内に禿頭(とくとう)の照りにも磨きがかかっているのではないかと思う。

 そんな好々爺(こうこうや)然とした彼こそ九十九の祖父、八咫村(ヤタムラ) 四十万(シジマ)その人であった。


「ほっほっほ。その様子だと、筋肉が少し痛んでおるだけで怪我の方は問題無さそうじゃの。お前が巻き込まれたと聞いた時は、流石の儂も肝を冷やしたわい」

「巻き込まれた、って……ここ、爺ちゃんの家……?」


 改めて周りに目をやると、そこはよく見慣れた屋敷だった。

 和の香り漂うこの小さな屋敷は、かつて四十万が亡き妻──九十九の祖母と共に暮らしていたが、今は彼1人のみが暮らしている。

 だから両親と別の家に住んでいる九十九も、姉と共に時折この家を訪ねていた……のだが。


「い、いつの間に……。確か僕は……博物館で倒れて、それから……」

「それから、こ奴らがお前をここまで運んでくれたのじゃよ。あのまま放っておけば、警察やら何やらに絡まれて面倒じゃからのう」

「こ奴、ら……? それって一体……」

「にししっ。わてらの事で御座いやすよ、坊ちゃん」


 聞き慣れない声を耳にして、首を傾げつつも周囲を見る。

 けれども、この場には九十九と四十万以外は誰もいないように思えた。どこかに音声を出す装置がある気配も無い。


 不思議そうな顔をする孫を見て、老爺は緩く笑いつつちゃぶ台を指差した。

 そちらに視線を向けても……やはり、誰もいない。あるのは古びた急須と巾着のみだ。


「爺ちゃん……? どこにも誰もいないけど……」

「ところがどっこい! わてらがいるんでやすよ、これが」


 ドロン! と漫画やアニメでしか聞かないような音がして、急須と巾着が煙に包まれる。

 それに驚くのも束の間、煙が一瞬で晴れた後、ちゃぶ台の上にちょこんと座る2つの影が見えた。


「うわっ……!? キツネ、と……スズメ?」

「うふふっ。驚かせてしまって申し訳ありませんわ、坊ちゃま。ですがこうでもしないと、わたくしたちの存在をにわかには信じられないでしょう?」

「言っておきやすが、所謂“しいじい”などではありやせんぜ。わてもこのスズメも、れっきとした現実の存在でさぁ。……では、自己紹介と致しやしょう」


 九十九が呟いた通り、その正体は1匹のキツネと1羽のスズメだった。

 キツネはぬいぐるみの如くデフォルメされたような外観で、対するスズメは全身が夜の闇を思わせる漆黒に染まっている。

 予想通りの反応と言わんばかりに淑やかに微笑むスズメの横で、キツネがちっちゃな前脚でちゃぶ台をポスンと叩く。


「お控えなすって。こちら、生まれは天保(てんぽう)8年、育ちは江戸。妖怪キュウス・バケギツネ、(あざな)はイナリで御座いやす」

「生まれは明治21年、育ちは吉原。わたくし、妖怪キンチャク・ヨスズメ、(あざな)はお千代(チヨ)ですわ。以後お見知り置きを、坊ちゃま♪」


 どこか自慢げな表情なキツネのイナリと、可憐にウインクする黒スズメのお千代(チヨ)

 彼らの自己紹介を受けて、九十九はと言えば目をパチクリとさせている。


「……えっ、妖……怪? それ……って、あのキリサキジャックみたいな」

「ヘッ、あんな令和生まれのシャバ僧と一緒にするんじゃありやせんぜ。本来なら妖怪に善も悪もありやせんが、あえて区別するならわてらは善の妖怪で御座いやす」

「わたくしたちはご当主(ダーリン)……四十万様にお仕えする召使い妖怪ですの。かれこれ1世紀近くの付き合いになりますわね」

「善、召使い……か。実際に助けてくれたみたいだし、今はそれを信じるしかなさそうだけど……爺ちゃん」

「ほほっ、なんじゃいな九十九」


 真っ白に長く太い髭をしごきながら応える四十万。


 このイナリやお千代と言った妖怪たちが、本当に善なのかはまだ分からない。

 けれども、この状況が意味する事を九十九は理解していた。

 彼らが当然のようにこの家の中にいて、勝手知ったる風に四十万と言葉を交わしている。


 それは、つまり。


「……知ってたの? 妖怪の事とか、こいつらの事とか……僕自身の事も、色々」

「ほっほっほ。知ってるも何も、まず前提から間違っておるぞえ、九十九」


 ポフン……と軽い音の後、四十万の背面が煙と共に弾けた。

 彼の臀部からひょっこり現れたのは……茶と黒の縞模様が鮮やかな、丸々とした尻尾。


「な、ぁあっ……!?」

「何故なら、儂自身が妖怪じゃからの。八咫村 四十万は人としての(あざな)に過ぎん。八咫村家当主、妖怪ニンゲン・バケダヌキが儂の正体じゃよ」


 眼前でフリフリと振られるタヌキの尻尾に、開いた口が塞がらないでいた。

 視界の隅っこでは、イナリとお千代が顔を見合わせて「やっぱりこうなるか」と言外に語り合っている。


 額に手を当てて今にも頭を抱えようとする九十九を、老爺はそっと手で制した。

 ここまでの朗らかな表情から一点、彼の眉は歪み真剣な雰囲気を醸し出している。


「お前には話さねばならんの。我ら八咫村家の始まりと、奴ら……『現代堂』の妖怪どもとの因縁を」

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