新たな手掛かり
車や人の往来が極端に減った通りに竹刀の音が響く。
アイラは氷室を相手に竹刀を振るう。しかし、それはいずれも氷室の身体に触れることは叶わない。しかも氷室はただ受けるのではなく、竹刀の剣先や柄頭などの限られた狭い部位のみで全て防いでいる。
流石は達人と見るか。素人相手に大人気ないと見るかは人それぞれではあるが、少なくともトルメンタは氷室の意図を理解していた。
「肩に無駄な力が入り過ぎている。きちんと狙いを定めて打ち込め」
一生懸命竹刀を振るうアイラの様子からも分かるように、まだ力の加減が上手く出来ない。
その為、竹刀同士をぶつけながら受けては柔らかい少女の掌はすぐに血だらけになってしまう。故に氷室はゴムや革等が使用されている比較的柔らかい部分で敢えて受けているのだ。しかも当たる瞬間に氷室は脱力にて衝撃を逃している。アイラからすれば、竹刀から手に伝わる感覚はまるで風に舞うビニール袋。手応えがまるで無いに等しい。
しかし、それでも竹刀を振るっていれば少しずつではあるが掌を擦る。氷室はその限界点も見極めながら稽古を行なっていた。
「そこまでだ」
突如、氷室はアイラの竹刀の物打ちを右手で掴む。氷室はアイラから竹刀を取り上げると、先程まで竹刀を握っていた少女の掌には血が滲んでいた。
「俺もガキの頃は竹刀を握り過ぎてよく血豆を作ったもんだ。潰れて、また作ってを繰り返すうちに竹刀ダコが出来る。今日の稽古はここまでだ。帰ったら手をきちんと消毒しておけ」
氷室はそう言うと、少し離れたところからこちらを眺めていた一人の男の方へ向かって歩いていく。
「真面目なお前がサボりか? トニー」
「あいにく今日は非番だよ。謹慎中で退屈してるかと思って訪ねてきてみれば。いつから保父さんに転職したんだ?」
氷室と対等に話し、さわやかな笑顔を向けるこの男は氷室と同じくエデン署の刑事で名をトニー・ラッセルという。日本から赴任してきたばかりの氷室が当初配属されていた捜査一課の一員であり、謂わばアイスエイジの初代バディである。
「さぁ、お嬢様。傷の手当てもありますので今日は帰りましょう」
「うちもドーナッツ食べに行ってこよーっと。また明日来ますね、氷室さん」
トルメンタはアイラを連れて車へと戻って行き、マルグリットも退散していった。
「他の連中に気を遣わせちゃったみたいだな」
「気にするな。それで俺に一体なんの用だ? 散歩のついでに寄ったわけじゃないんだろう?」
氷室は煙草を咥えて火を着けると、箱からもう一本取り出してトニーへと差し出した。貰った煙草を咥えてオイルライターを借り、氷室の横に並んでトニーも同じように一服する。
「ふーっ。しばらく吸ってなかったが、やっぱり美味いな。メンソールだったら尚良かったんだが
「文句を言うならカミさんにチクるぞ」
「脅すなよ。三人目が出来て今ピリピリしてんだから」
「ほう、そいつはめでたいじゃないか。上二人は女だったか。次は男だと良いな」
「元気に産まれてくれりゃ性別は問わんよ。ただ、女の子だったら家庭での俺の肩身が更に狭くなるってだけさ」
肩をすくめて乾いた笑いを浮かべるトニー。捜査一課にいた頃はこうして煙草を署の喫煙所でよく他愛の無い話をしたものである。
「なぁ、エイジ。最近起きているマフィア殺しと謎の薬物の事件のこと、聞いてるか?」
「バカンスに行く前の署長から少しだけな」
「実は昨夜も虎皇会の組員が一人とミケーネファミリーの残党が二人殺されたそうだ。女帝は今回の件であの男を疑っているらしい。つい先日も街で女帝自らヤツに接近したって話だ」
アパートの外壁を背にし、場末のバーカウンターにいるかのように互いに顔を合わせず正面を向きながら会話をする二人。氷室はトニーの言うヤツが誰なのかすぐ察しがついた。
「そうかい。そりゃ難儀な話だな。だが、今の俺は特殊犯罪捜査課でそっちの仕事は管轄外だ。しかも最悪なことに謹慎中ときている。悪いが力には——」
「新型の麻薬には例のカルト教団が絡んでいるかもしれん」
氷室の言葉を遮るように続けたトニーの言葉。意外な情報が飛び出たことで氷室は思わずトニーの方に顔を向けた。
「どういうことだ。詳しく聞かせろ」
「あくまで俺のカンなんだか……」
そう付け加えると、トニーは懐から見覚えのあるパケ袋を取り出し氷室に渡した。
「昨夜殺された仏さんのジャケットから見つかったものだ。ただのサプリ成分で人間の脳がスポンジ状になるはずがない。きっと何か邪教と関係があるはずだと俺は睨んでいる。捜査一課の連中は誰も聞く耳を持ってはくれなかったがな。さっきのピンク髪の女の子は聖教の人間なんだろ? 調べさせてみてくれ。話はそれだけだ」
それだけ言うと、トニーは煙草を踏み消し歩き始めた。
「ちょっと待て、トニー」
「ん? どうした」
「お前確か、日曜大工が趣味だったな?」
「えっ? あぁ、先週も娘たちにせがまれて庭に滑り台を作ってやったばかりさ」
「なら俺からも一つ頼みがある。作って欲しいものがあるんだ」
氷室は作って欲しい物の詳細をトニーに伝えた。
「簡単なもので良ければ問題ないが、ちなみにいつまでに作ればいい?」
「明日の朝イチにここに届けてくれ。頼んだぞ」
「明日!? そりゃいくらなんでも急すぎるぞ! おい、エイジ! ちょっと待てって!」
交換条件に無茶を押し付けた氷室はトニーを無視し、二本目の煙草に火を着けるとアパートへと戻っていった。




