剣道指南①
朝の七時に起床し、身支度を整えてコーヒーを淹れる。朝食は摂らず、コーヒーを飲みながら新聞に目を通した後、ベランダにて一服するのが専ら最近のルーティン。
謹慎中であるにも拘らず、仕事用のシャツとネクタイ、黒のスラックスに着替えている理由はいくつかあるが、氷室本人の妙なこだわりによるところが大きい。〝一日中寝巻きで過ごすのは病人とクズだけ〟という彼独自の尖り過ぎた解釈によるもの。習慣と呼ぶにはあまりにも憚られる偏見から生まれた思想であった。
ベランダの手すりに頬杖をつきながら空へ向かっていく煙草の煙を見送っていると、部屋のチャイムが鳴った。煙草一本吸い終わるタイミングでの来客。氷室は玄関に向かいドアを開けて訪問者を部屋へ招き入れた。
「ちょりーっス。おじゃましマース!」
やって来たのは聖騎士のマルグリット。先日は一方的に追い返してやったが、あれから毎日訪ねてくるようになり遂に氷室の方が折れたのだった。しかし、氷室とて考え無しで彼女の訪問を許したわけではない。他の職員には秘密である仕事を任せていたのだ。
「早速ですが、一昨日の夜テオドールという店で楊 美鳳と上海虎皇会本部の幹部二名が接触。その後、幹部二名と女帝の部下数名が店を出た直後に何者かの襲撃を受けて殺されたらしいっス。他にも同じ日にその近辺でイタリアンマフィアの男性も殺されていたらしく、刑事課の人達は珍しく忙しそうにしてたっス。他は特に変わったネタはなく、強いて言えばダリアさんが受付で怒鳴り散らしていたガラの悪いおっさんを淡々と論破して半べそかかせていたくらいっスかね」
「後半は別にどうでもいい。次からはダリア関係の報告はいらん。いや、俺の陰口叩いていた時のみ報告しろ」
「了解っス!」
氷室がマルグリットに与えた仕事。
それは署内の情報収集だった。謹慎中でもレーヴァテイン絡みの捜査状況を入手するため。それに加えて以前起こったイタリアンマフィアの首魁、ミケーネ暗殺に関する糸口を探るためだった。
殺害が刑務所内での犯行であるため、考えられる可能性は二つ。一つはレーヴァテインの手の者が異能を使い口封じをした。もう一つは身内に犯人がいるかのどちらかだと氷室は睨んでいた。特に後者であるなら状況は最悪。なにせ、こちらの手の内も丸分かりなうえに背中を預けた者に刺される危険性も充分にあり得る。
現状の可能性としては五分五分であるため、念には念を入れて一度内部を捜査する必要があると考えた氷室は他の職員にはその事を伏せて独自に捜査に乗り出したというわけだ。もし仮に犯人が警察関係者にいたとして、最も動きやすいのは自分や署長が不在のこの数日。今現在、自由に氷室の家とエデン署を行き来出来るマルグリットに仕事と称して情報収集をさせているというわけだ。
マルグリット本人は氷室から特に深い理由を説明されていない為、駒として利用されていることには気づいていないが「スパイものや刑事ドラマみたいで楽しそうっスね!」という軽い理由で快諾。見た目通りのおつむで氷室としても願ったり叶ったりだった。
(このところやけにマフィアが殺されている。まぁ、それは別に構わんが署長が言っていた謎のドラッグの存在が気がかりだ。この事件、繋がっている可能性は高い。レーヴァテイン絡みかどうかまではわからんが、調べてみる価値はありそうだな)
「あのう、氷室さん。聞いてます?」
「ん? あぁ、大体わかった。少し早いが今日はもう帰っていいぞ。やることが無けりゃこの街を散策してくるといい。肥溜めみてーな街だがしばらくはここがお前の職場になる。少しでも地理を把握しとけ」
氷室はそう言うと財布から幾許かの紙幣をマルグリットに渡し、先日通販で買った刃引き済みの大小を腰に差し、いつもの黒いジャケットとコートを羽織る。そして同じく買ったばかりの真新しい竹刀を手に取るとそれを肩に担いだ。
「あざーっス! この前教えて貰ったドーナッツ屋でお茶してきまーっス。っていうか、氷室さんどっか行くんスか? まずいっスよ謹慎中なのに」
「問題ない。ただ下に降りるだけだ。この後、講師のバイトが入っててな。邪魔だからお前もさっさとどっか行け」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ! 鍵は閉めないんスか?! 氷室さんってばー!」
先に出て行った氷室の後を追うようにマルグリットも氷室の部屋を出て行った。




