女帝と断頭台
「アスガルド聖教本部から届いた遺品の中にあったのよ。どう? 欲しいでしょ?」
「当たり前だ。よこせ」
「なら試合、出てくれる?」
「……チッ、わかったよ」
難航するかと思われた交渉はあっさり成立。リウロンから料理を学んだデュランだが、全てを教わった訳ではない。多めに見積もって六割。味を完全に再現出来る物に限って言えば四割弱がせいぜいといったところ。
未だ極め尽くせぬ師の料理。その全てが記載されているとするならば、デュランにとって拳を振るうには充分過ぎるほどの価値がそのノートにはあった。
渋々承諾した不機嫌そうなデュランに対し満足気な笑みを浮かべるメイファン。内情を知らない人間から見れば仲睦まじい恋人同士に見えなくもない。
「さて、私はそろそろ帰ろうかしら。お客さんも来たみたいだしね」
メイファンの目が少しだけ開き、目の前に座るデュランの背後を見ていた。視線を辿るように振り向くと、ドリンクサーバーの大型タンクを右手で肩に担いだトルメンタがいた。
「デュラン様。頼まれていたコーヒーをお持ちしました」
「おー、わざわざ来てもらってわりぃなトルメンタ」
「いえ、それよりあの女性。もしや虎皇会の楊 美鳳では?」
鋭い視線をメイファンに向けるトルメンタ。無理もない。彼の居場所は彼女によって壊滅させられたのだから。
「您好、相変わらずの色男ぶりね。バレンシアの断頭台さん。あなたから来てくれるだなんて今日は本当にツイてるわ。わざわざ出向く手間が省けたんだもの」
遺恨のあるトルメンタが殺気立つのは理解出来る。しかし、メイファンまでとなると鈍感なデュランであっても流石に訝しむ。そんな時、先程メイファンが口にした言葉を思い出した。
『私もその線が可能性として二番目に高いと思ってるわ』
「おいメイファン。まさかお前、今回の件でコイツを疑ってんのか?」
「エデン屈指の刃物使い、虎皇会に怨みがある、麻薬に関してのノウハウが豊富、真っ先に疑わない方がどうかしてるわ」
先程までの穏やかな雰囲気から一変し、メイファンは女帝の顔を見せトルメンタに問う。
「率直に聞くけどあなた、カルテルの再興を企んでない?」
「何を言うかと思えば……バカバカしい。それに獄中のアントニオ様はもうマフィアから足を洗うと明言されている。今更組織の再興など望むものか」
「なら質問を変えようかしら。あなた、最近ディエゴと接触した?」
その名を聞いたトルメンタはメイファンに詰め寄るとその胸ぐらを掴んだ。冷静な彼にしては珍しく激情的な行動。慌ててデュランはトルメンタに制止を促す。
「なにやってんだよ! 落ち着けトルメンタ!」
メイファンから引き剥がされたトルメンタは少しでもデュランが力を緩めれば再び掴みかからん勢い。対してメイファンは至って冷静に乱れた服を直す。
「まぁ、いいわ。今日のところはこれくらいにしておきましょう。充分過ぎるほど収穫はあったわけだし。それじゃあご馳走様、デュラン。試合の日時が決まったらまた連絡するわ」
メイファンはそう言うと、背中越しに手を振り去って行った。
「いったいどうしちまったんだよ。いくら虎皇会が憎いからって女一人相手にお前らしくもねぇ」
メイファンが去った後、いきり立っていたトルメンタにデュランは声をかける。
「申し訳ありませんでした、デュラン様。あなたが居なかったらこの場であの女を殺していたでしょう」
「さっきメイファンが言っていたディエゴって奴はナニモンだ? 昔の仲間か?」
しばらくの沈黙の後、トルメンタはディエゴという男について語った。
本名はディエゴ・バルセラータ。ディアブロ・カルテルの元幹部で組織の中でも最も重要な麻薬取引に関する流通の統括を担っていた男。組織の資金集めに多大な貢献をしていた為、彼に寄せていたアントニオの信頼は厚かったがディエゴはその信頼を裏切る事となる。
彼は流通統括という大役の裏で独自のドラッグ製造も行なっており、アントニオの目を盗んで自作ドラッグをカルテルとは別の新規開拓したルートで売り捌き私腹を肥やしていたことが発覚。その咎で虎皇会との全面抗争よりも前に破門されている。
彼の造った薬物はキシラジンやクロコダイル等の純度の低い混ぜ物だらけの粗悪な合成麻薬。中毒性が高く、何より末端価格が非常に安価であったことから特に貧困層や未成年らの間で乱用者を量産し、長期顧客になる前にあの世へ旅立つ者が続出。やがてディエゴの意に反してエデンにまでその薬物が出回り始めたことでようやく彼の掟破りがアントニオの耳に入り、逆鱗に触れたというわけだ。
それだけならまだしも、破門されたディエゴは裏で虎皇会にカルテルの情報を売ったとも噂されていた。先程メイファンは語らなかったが、ディエゴの名が彼女の口から出たということは〝そういうこと〟なのだろう。
「時折ヤツがアントニオ様へ向ける視線には〝いずれ自分がカルテルのドンになる〟と言わんばかりのギラついた野心が見え隠れしていたのを今でも覚えています。確かにディエゴという男はカルテルに最も貢献しましたが、同時にカルテルを壊滅に導いた。私がこの世で決して許せない人物の一人です」
冷静さを取り戻したトルメンタはディエゴという人物について一通り話してくれた。トルメンタの立場からすれば〝この世で決して許せない人物のもう一人〟がその名を口にしたのだ。冷静でいろと言う方が酷である。
「もし仮にヤツが生きていたとしたらカルテル無き今、エデンを支配している虎皇会を標的としているという可能性は充分に考えられます。実際カルテル解体後に大半の者たちはサンタナに付き従いましたが、ディエゴの元に行ったという者も少なくないと聞いてはいましたから」
「んじゃあ、今回の麻薬事件とマフィア殺しは全部そのディエゴって奴がディアブロ・カルテルの残党を率いて裏で絵図を描いてるってことか?」
「可能性はあります。ただ、不可解な点があるとすれば殺しの方でしょうか。何せヤツは頭は回るが戦闘の腕はからっきし。カルテル内の武闘派メンバーは皆サンタナ側に付いていましたから、残党だけじゃない何者かが。或いは別の組織がヤツに加担しているのかも知れません。いずれにせよ、もし見つけたらヤツには過去の裏切りと今回の騒動。両方のケジメを是が非でも取らせるつもりです」
そう話したトルメンタの瞳には固い決意が宿っていた。それを見たデュランは溜息を吐きながら面倒くさそうに頭を掻くとトルメンタからタンクを受け取った。
「まぁ、別にお前が何しようが構わねぇが、そんなツラはアイラの前ではしねぇでくれよ。せっかく懐いてんのに怖がられちまうぞ」
売り切れていたコーヒーをドリンクサーバーに補充するデュランに無言で一礼したトルメンタは、アイラとウィリアムが昼食から戻る前に屋敷へと戻って行ったのだった。




