イルミナと謎の訪問者
頬に絆創膏を貼ったイルミナはドーナッツの紙袋を抱えながらジェイルタウンへ戻る道を一人進む。エデンの奥へ奥へと向かうにつれて徐々に人気が無くなっていく。巨大な廃墟群の入り口の前に来る頃には賑やかだった中心地の喧騒はすっかり無くなっていた。
静かで、薄暗く、それでいて過去の繁栄の名残を空気で感じることが出来る通称ジェイルタウンがイルミナはどうしようもなく好きだった。だからこそここを離れずにいる。様々な文献や歴史書を読み解き、この地球上で起こった過去の出来事の数々を解明していくことを生業としている年代史家としてこれほど好ましい環境はない。
イルミナの棲家はジェイルタウンの奥にあり、香龍飯店を通り過ぎる必要がある。店の周りはジェイルタウンの中でも最も活気に溢れた場所であり、最も人が集まる区画でもある。だからこそ少々喧しいが、それを差し引いてもイルミナはここが好きだった。
粗暴な店主と美青年、そして新たに加わった可愛らしい少女が三人で切り盛りしている中華料理店があった場所は今はもう解体され、既に足場が組まれている。
人の喧騒は嫌いではないが、機械の出す耳を劈く工事音は好きではない。幸い今日は休工日のようで朝から職人たちの姿は無かった。
そのまま建設予定地を通り過ぎようとしたイルミナの耳に楽しそうな歌声が聞こえて来た。それに加えて何かを叩いているような打撃音と時折聞こえる呻き声。
暗くて良く見えなかったが、臆せず近寄るとそこには一人の男がエルヴィス・プレスリーの「監獄ロック」を熱唱しながらバング兄弟の弟、ココの胸ぐらを掴みながら顔面に拳をブチ込んでいた。
「て、てめぇ……誰だか知らねーが、俺たちバングブラザーズに手を出してタダで済むと思うなよ」
見ると、周りにはバング兄弟の手下たちが倒れている。
「あのな、そんなクチを叩くならせめて一発でも俺様に攻撃を当ててからにしろよ。準備運動にもなりゃしねぇ」
掴んでいたココの胸ぐらから手を離すと、地面に落ちる前に強烈な右ストレートをココの腹部に叩き込んだ。ビルの狭間に響いた肉を叩いたとは思えない凄まじい音と、バキンという固い物が折れた音。高速で走るダンプカーと正面衝突したかのような嫌な音。間違いなく胸骨が何本か折れただろうということを教えていた。
コンクリートの壁に背中を強打したココはピクリとも動かなくなってしまった。もしかしたら今ので絶命したかも知れない。側から見ても絶望的で無慈悲な一撃だった。それを起き上がり様に目の当たりにした兄のライガンは怒り狂い、依然と監獄ロックを歌いながら楽しげにツイストを踊っている男に巨大な拳を振るう。もしも当たれば先程男がココに見舞った状況と同じ。或いはそれ以上の結果が待っている。但し、それは当たればの話。謎の男はライガンの拳をウィービングで華麗に避け、返礼とばかりにカウンターで自身の右フックをライガンの顎に見舞った。
顎に鋭いパンチがクリーンヒットしたライガンは脳震盪を起こし、白目を剥いてその場に倒れた。
「オラ、次の奴らかかってこいよ! 一丁前に殺気だけ垂れ流して見てるだけか? 来ないならこっちから行ってもいいんだぜ!」
男は大声で周囲に向かって叫ぶ。確かに周りの廃墟には他の連中が潜んでいる。しかしあのバング一味がこうも一方的にやられたのだ。迂闊に仕掛けたら返り討ちに合うのは目に見えている。歯痒さを噛み締めながら確実に仕留められる隙を窺っているが、隙だらけに見えて一度仕掛けたら即座に速く鋭いカウンターが飛んでくる。倒れているバング一味がそれを証明した。だからこそ周りの連中は歯がみしながら手を拱いているのだ。
髪を手櫛で整えているライダースジャケットを着た男は振り返ると、イルミナに気付き嬉しそうに話しかけた。
「へぇ、こんな薄汚ぇ街にアンタみたいな美人いるとはな。ところでデュランって男、知らねぇか?」
「彼なら今はエデンにいるよ」
「そうかいありがとよ。どうやら無駄足だったみたいだ。オイ、てめーら! 勝手に乗り込んで暴れて悪かったな! これからエデンに行くから、殺りたけりゃいつでも仕掛けてきな! 俺様の名はエドウィン・マクレガーだ! もし生きてたらコイツらにもそう伝えとけ!」
エドウィンと名乗った男は隠れ潜む他の住人に向けて大声でそう告げると、出口に向かって歩き出す。イルミナの横を通り過ぎた時、男は足を止めて振り返りイルミナに話しかけた。
「ところで、前に一度どっかで会ったか? いや、アンタみたいな美人は一目見たら忘れるわきゃねーか」
「ふふっ、よく言われるよ」
「おーおー、その自信たっぷりな物言いもますます気に入った。用が済んだらまた誘いに来るわ。アンタとの一晩、リザーブしとくぜ」
去り行く男の背中にイルミナは呟く。
「どうせすぐ忘れるさ。色より荒事が好きな男は総じてそういう生き物だからね」
来訪者を見送ったイルミナは取り敢えず闇医者グレッグのとこへ向かったのだった。




