氷室とマルグリット
エデン署から徒歩十五分圏内にあるアパートの最上階の角部屋。そこが氷室詠司の住まいである。いつもであれば仕事をしている時分だが、現在謹慎処分の真っ只中。謹慎前に持ち帰った書類の束は相変わらず未記入のまま。
この機に溜まりに溜まっている事務処理をしようと考えはしたが、環境が変わったところで性根までは簡単に変わらないということを実感しながら、ベランダに出た氷室は本日三本目の煙草に火を着ける。
吐き出した煙をしばらく眺めていると、部屋の中から呼び鈴が鳴るのが聞こえた。
(そういや今日中に届くとメールが着てたな)
先日ウィリアムと会った時、アイラに剣道の稽古をつけてやると約束したその日のうちに氷室はショッピングサイトにて竹刀や刃引き済みの大小二振りを購入していた。
煙草の火を消して室内に戻った氷室は玄関のドアを開ける。すると、そこにいたのは想像していた配達員とは随分異なる容姿をした見知らぬ少女が立っていた。
「ちょりーっす! お届け物で——」
小娘の言葉を最後まで聞くことはせず、氷室は即座にドアを閉めた。
「ちょっ! なんで閉めるんすかー!? 開けてくださいよ氷室さーん! 氷室さんですよねー? 氷室さんてばー!」
呼び鈴、ノックの連打に加えて大声で名を呼ばれる始末。氷室の怒りは爆発寸前だったが、何とか耐えることを選択。ヤニを吸う前であったならこの段階で少女にゲンコツを見舞っていただろう。煙草の沈静効果の偉大さを再確認した氷室は少女がこのまま帰ることを期待していたが、その期待はすぐに裏切られることになる。
「氷室さーん! チェンジですかー? プレイ無しならお店に連絡入れなきゃいけないんでその確認だけでも——」
誤解を誘発させる悪意に満ちたとんでもない台詞を大声でさらりと吐かれたことで、天岩戸のように硬く閉ざされていた氷室の部屋のドアは凄まじい勢いで開け放たれた。
「あ、出て来た」
煙草の偉大さを秒速で吹き飛ばす焦りと激情。怒りの形相で少女を睨む氷室に対峙しても少女はニコニコと微笑んでいた。
「おいクソガキ。お前一体どういうつもりだ」
「だって仕方ないじゃないっスかぁ。氷室さんドア閉めちゃうんだもん」
「というか、まずその前に誰だよお前は。デリヘルなんぞ呼んだ覚えはないぞ。大嘘こいてまでわざわざ何の用だ」
「嘘じゃないっスよ。ちゃんとお届け物だって最初に言ったじゃないっスかぁ」
少女はそう言うと、一枚の封筒を取り出して見せた。見覚えのあるエデン署の封筒。確かに嘘は言っていないらしい。
「ご近所さんもそろそろ顔を出してくる頃かと思うので、立ち話もなんですからとりあえず中に入れてもらえませんか? 詳しい話はそれからということで、ねっ?」
周りの数部屋からガチャリとサムターンが回る音が聞こえたと同時に氷室は少女の胸倉を掴み、急いで室内に引き入れた。
「おっじゃましまーす」
機嫌良く入室した少女に対し、業腹であることが表情から溢れ出ている氷室。思えば、異性を——というより室内に誰かを招き入れたのはアルメニアに住んでから初めてのこと。加えて、氷室はあまり住居に物を置かないややミニマリスト的なところがあるため一人暮らしの男性の部屋にしては殺風景であり、生活感があまり感じられず逆に小綺麗にさえ見える。
「なーんもないっスね。椅子も一つしかないじゃないっスか。うち、どこに座れば?」
「立ってろ。そして要件だけ話してサッサと帰れ」
「うわー、交通課の女性が言ってた通りの人じゃないっスか。アシュリーから引き継いだ前情報とは真逆っス」
交通課、アシュリー。
知っているワードが少女の口から出て来たところで氷室はすべてを察した。
「お前、アスガルド聖教の人間か」
「ご名答! うちの名前はマルグリット。獅子十字隊の第六席でっス。人はうちのことを〝純潔のマルグリット〟と呼びます」
第六席。その言葉に氷室は思い出した。
確かアシュリーは第八席。つまり、序列的にはこのピンク頭の方がアシュリーより二つ格上ということになる。加えて気になったのは〝純潔〟というワード。アシュリーは〝節制〟という異能の無効、弱体化を強制する加護を持っていた。であるなら、この少女は〝純潔〟という加護を有しているということ。
しかしながら、それが何なのかは氷室にとっては対した問題ではないし、興味すらない。何故ならばこんな非常識かつイカれた見た目の人間と組んで仕事をするつもりなどさらさらないからだ。
「さっき届け物がどうこう言ってたな。まずはそれを見せろ」
「反応薄っ!? ま、まぁ、興味のベクトルは人それぞれっスもんね……」
少しションボリした様子でマルグリットと名乗った少女は預かっていた手紙を氷室に手渡す。
一目見た瞬間にダリアの筆跡とわかる達筆な文字に目を通す。内容を要約するとマルグリットがアシュリーの代役で新たなバディであるということ。そして彼女に振れる仕事が現状何も無い為、取り敢えず氷室の謹慎監視を命じたということが記されていた。
「なるほど。話は大体わかった。ご苦労さん。帰っていいぞ」
「へっ? いや、でもうちは氷室さんの謹慎中の監視を命じられていまして」
「任務中ならまだしも、若い女が独り身の男の部屋で付きっきりで過ごすなんざ仕事なんて言わねーんだよ。それに他部署の人間の指示なんざ従う必要はない。そんなもん無視しとけ」
「えー、それじゃあうちは何すりゃいいんスかぁー!?」
「俺に聞くな。自分で考えろ」
「……じゃあ、取り敢えずシャワー浴びてくればいいっスか?」
「今すぐ帰りやがれピンク頭」
心底面倒になった氷室はマルグリットの首根っこを掴むと玄関から共用通路へ放り出した。
ドアを施錠し、再び喫煙の為に煙草の箱とオイルライターを手にベランダに出ようとしたその時、再度部屋の呼び鈴が鳴り響く。これにより、煙草より先に我慢していた氷室の怒りに火が着いた。机の引き出しから銃を取り出しセーフティを解除すると、ドアを蹴破る勢いで開けたと同時に銃を相手に向けて恫喝した。
「いい加減にしろクソガキ! マジでブチ殺すぞ!」
すると、そこには荷物を抱えた本物の宅配業者が立っておりガタガタ震えながら失禁していた。
「……すまん、ハンコと間違えた。サインでいいか?」
「じゅ、銃弾以外なら何でも……」
荷物を受け取った氷室はどっと疲れを感じ、喫煙を再開することなくベッドへ倒れ込んだのだった。




