The Dope Show
「チッ、まだ身体が痛ぇ。あのヤブ、本当に治したんだろうな」
一週間ぶりの煙草の煙を肺いっぱいに取り込み、煙と共に愚痴を吐き出す。署内はエアコンが稼動しているようだが、かなり緩い風しか感じない。外よりややマシな程度で、おそらく節電の為だろう。療養明けの気だるさと署内の中途半端で不快な室温にイラつきながら氷室はエントランスロビーを進む。
「一週間ぶりに復帰したかと思えば、喫煙所以外の場所での喫煙は禁止ってルールさえ忘れたんですか?」
聞き覚えのある声に足を止め振り返る。交通課のダリアがダメ人間を見下すような冷たい視線と皮肉を投げかけてきた。
「エアコンもっと効かせろ。じゃなきゃ切れ。中途半端過ぎる室温に腹が立つ」
氷室は署内喫煙を悪びれるどころか、煙を吐きながらダリアに向かって空調の文句を垂れる始末。会話のキャッチボールさえしようとしない自由ぶりはある意味、天賦の才と言えなくもない。
「療養明け一発目の会話がそれですか? ただでさえウチは予算削られてるんですから節電しないといけないんですよ。というか、暑いならそんなロングコート着て来ないでくださいよ。見てるこっちまで余計暑くなります」
「なら絡むなよ」
「私だって話しかけたくて話しかけたわけじゃないんです。氷室さんが来たら署長室に来るように伝言を預かっていたんです」
「そいつは御苦労。俺も今からそこに向かうとこだったんだ」
氷室はそう言うと、煙草を指で挟んだ右手を背中越しに振りながら踵を返して先へと進む。氷室に対してあれだけ皮肉混じりの嫌味を言える人物は署内でも彼女くらいである為、ある意味ダリアもエデン署で、というより、このエデン内でも稀有な人物であることには違いない。
署長室の前に着いた氷室は、咥えていた煙草を携帯灰皿に捨てて署長室のドアを三回ノックする。エデン署随一の破天荒自由人も一応のマナーは心得ていた。
「はーい、どうぞー」
相も変わらず署長として威厳もへったくれもない軽い返事が聞こえたのを確認し、氷室は入室する。
「退院おめでとう。ところで、相変わらず見てるだけでこっちまで暑くなりそうな格好してるけど身体に障らない?」
「お気遣いなく。それより話があるでしょう? 俺の処遇について」
話は氷室自ら首を差し出す形で切り出した。署長のサマセットはあまり気が強い方ではない。氷室なりの気遣いであり、彼なりの反省の態度の表れでもあった。
「先日のレーヴァテインとの接触に於ける負傷。それによりまたもやマフィアに命を救われたこと。この一件でせっかく取り押さえたヤン・メイファンの身柄をたった一日で釈放しなければならなくなってしまった。警察がマフィアに借りを作ったという事実は公には出来ない以上、我々もそうせざるを得ない。今回で二度目となると、私としても君には相応の処罰を課さなくてはならない」
サマセットはそう言うと、署長室の隅にあるロッカーの鍵を開ける。中にはゴルフクラブやテニスラケットなどが入っており、意外にも身体を動かす趣味があるようだった。
「君の刀をしばらく預かる。当分その刀は使用禁止だ」
普段冷静な氷室であるが、これには流石に動揺を見せた。
「ちょっと待ってくださいよ署長! これがなきゃ万が一異能者や魔物が出た時に対応出来ないでしょうが!」
「その為にアスガルド聖教に聖騎士の派遣を頼んでいるんだ。今回は君がそちらのサポートに徹するように」
「しかし俺は——」
「私は君を失いたくはないんだ。この処遇を拒否されては流石に解雇せざるを得なくなってしまう。何より、刀を持った君は自らの命を軽視し危険に飛び込むきらいがある。それを抑止する為にも頼む。どうか今だけは私に従って欲しい」
署長が部下に頭を下げる。いつもそうだ。この男は決して権力を笠に着ることなく、誰とでもフランクに接してくる。わざわざ署長自らする必要のない署内や外周の清掃を毎朝欠かさず行なっているほどの善人ぶり。警察署長にしては人が良過ぎるのだ。そんなサマセットのことを微塵も尊敬してない氷室だが、不思議と彼の頼みは断れない。溜息一つ吐くと、氷室は腰に差していた百鬼薙を署長のデスクに置いた。
「真剣がダメならせめて刃引きした刀か模造刀くらいは許可してくださいよ? この街で丸越しじゃ自衛さえままならないんでね」
「あぁ、それなら許可しよう。では、これはしばらく私が預かる。それと、療養も兼ねて君は二週間の謹慎だ。この二週間大人しくしていてくれれば刀は返すと約束しよう」
「了解しました署長殿。要件は以上で?」
「いや、まだある」
氷室から預かった百鬼薙をロッカーに入れて施錠すると、サマセットは続けた。
「エデンで魔神による被害が発生した頃からあるドラッグが街に蔓延っていてね。虎皇会のメイファンを捕らえられたのはその調査の為でもあったんだ」
「ヤク? そんなのこの街じゃ缶ビールと同じくらい珍しくも何ともないじゃないですか」
「それがそうとも言い切れなくてね。様々な成分を混ぜ込んだ所謂MDMAの一種なんだが、科学研究室に持ち込んで成分解析を頼んだにも拘らず判明したのは主成分がヨウ素やリン、そして異常な量の鉄分が殆どということ。最も問題なのは一種類だけ、どうしても解析不能の成分が混入していること。それこそが薬物の症状を異質化していると言っていい」
「どういうことです?」
「言葉で説明するより見てもらった方が早い。これを見て欲しい」
サマセットはデスクのパソコンを操作すると、ディスプレイを氷室の方へ向けた。
「監視カメラの映像みたいですね。しかもこの間のゾンビ騒動のやつじゃないですか。マスコミやネットにも流れてないのによく入手出来ましたね」
「これはエデン署の敷地内にあったカメラの映像さ。君はあの時瀕死の重症を負って倒れていたから知らないだろうが、街に蔓延っていたゾンビの群れは日の出と同時に全て元の屍体に戻ったんだよ」
「なら今この画面に映っているゾンビ野郎はなんなんです? 真昼間から屍体の周りでハロウィンパーティーの予行練習してる劇団員か何かですか?」
「それなら署に連行せずパトカーで送迎、厳重注意で済ませるんだけどね。どう見ても普通ではないのでその場で拘束したんだが、意識も朦朧としていて会話さえ成り立たない。症状的にも麻薬常習犯でほぼ間違いなかったのだが、採尿、採血、毛髪など凡ゆる検査を施したが薬物反応が検出されなかった」
「ヨウ素やリン、鉄しか分からないんじゃあそうでしょうね」
「とにかく異常な状態であることからエレバンのメディカルセンターへ緊急搬送することなったんだが、搬送中に急死してね。そのまま司法解剖を行なったところ胃の中からこの錠剤が大量に摘出されたというわけさ」
サマセットはそう言うとデスクの上に複数個の錠剤が入った小さなジッパー付きのポリ袋を置いた。
「んで、死因はなんだったんです?」
「突発性のくも膜下出血によるものだそうだ。これでも体のいい病名を付けただけに過ぎないそうで、実際のところ脳内の血管は全て破裂。更には脳を輪切りにしてみるとヘチマのようにスカスカだったらしい」
「大方、そいつは運び屋だったんでしょう。薬物を大量に詰め込んだ袋を飲み込んだ状態で移動する売人たちの常套手段だ。んで、何らかの衝撃で胃の中で袋が破けて強制オーバードーズ。そのままあの世までトリップするなんてよくある話じゃないですか。薬物関係のシノギなら虎皇会じゃないですか? 麻薬のルートはディアブロ・カルテルから奴らが丸ごと奪ったじゃないですか」
「私も君と全く同じ見解だった。実際、その死亡した人物はかつて虎皇会の組員だったのだから」
「だった? 過去形ってことは破門されたヤツなんですか?」
「ああ。かつてのディアブロ・カルテルとの抗争の際に金でアントニオ側に寝返った裏切り者だそうだ。いずれにせよ詳しい話を聞く為にも捕らえたメイファンに事情を説明したんだが、あの時の彼女の怒りの形相ときらた……」
「ビビっちまったんですか?」
「この歳でパンツを洗うハメになるとは思わなかったよ」
「チビっちまってるじゃないですか」
「とにかく、あの様子だとボスのメイファンは新型MDMAについて何も知らない様子だった」
「となると、ディアブロ・カルテルかミケーネファミリーの残党の仕業か、或いは別の裏社会勢力が進出してきたか。デカい組織となると日本のヤクザの可能性もありますんで謹慎明けにも知り合いのマル暴や麻薬取締官にも連絡してみますよ」
「いずれにせよ今回の件は今のところ特殊犯罪捜査課の管轄外だ。君は自宅で療養を兼ねてしっかり謹慎していてくれ。その頃にはアシュリー君の代役も到着しているだろうしね」
「あぁ、フランスに行ったアレの代役が来るんでしたっけ。ていうか、なんでまだ来てないんです? 本来なら既に配属されているでしょう」
「本人曰く、なんか飛行機の乗り継ぎを間違えてしまったらしくてね……」
「……頭痛がしてきたんでもう帰りますわ」
次の相棒もお荷物が確定したことに頭を痛めた氷室はふらふらしながら署長室を出て行った。




