Tormenta en Valencia④
「なっ!?」
巨大なハサミを持った男の両手に伝ったのは肉や骨を断った命の感触などではなく、冷たく固い無機質的な感触。
「首はチョン切れるだろうが、流石にコレは無理だろ」
首を斬り落としたと思っていた侵入者が不敵に笑っている。その手には入り口にあったはずの扉。破壊された扉は、どうやらここまで吹っ飛んできていたらしい。たまたまそこに落ちていたのを利用したのか。はたまた狙って扉が落下した位置まで誘導されたのかは定かではないが、現状刃は格子状の扉に阻まれている。男は急いでハサミを再び剣へと分離させようと試みるが、デュランはその隙を見逃さない。
「オラァ!!」
ハサミが挟まった状態の扉ごと入り口の方へ向けて力任せにぶん投げたのだ。しばらく後にドスンという重厚な音と共に入り口に待機させていた荷物運びたちの騒ぎ声が聞こえてきた。投げた後でアイラに当たることも想定したが、バング兄弟が護衛に付いているのだ。仮に真上に落ちたとしても怪力のライガンなら片手で払い除けるだろうし、俊敏なココがいるならアイラを抱えて即安全圏まで離脱するだろう。ジェイルタウンの連中は極悪人揃いではあるが、彼らの腕っぷしに関してはデュランはある程度の信頼を寄せている。
「とりあえず入り口に戻しといたぜ。こっからはお互いステゴロになるわけだが、一応聞いとくぞ。まだやるか?」
武器を失った男は無言でファイティングポーズを取る。キックボクシングやムエタイに似た構えで、気迫も研ぎ澄まされており実に堂に入っている。生半なその場凌ぎなどではない実戦慣れしているということを物語っていた。
「遠慮は無用、ってか。なら今度はこちらから先にいかせてもらうぞ!」
先に仕掛けたデュランは相手の顔面に目掛けて左突きを放つ。もちろん、これはフェイク。相手は長い手足を利用してこちらの攻撃を迎え撃って来るだろう。カウンターに合わせたカウンターを狙う算段であった。デュランの狙い通り、相手の左足が前へと伸び、デュランへ向けて前蹴りが飛んできた。
「その足貰った!」
狙い通りとデュランは左突きを取りやめ、男の伸び切る寸前の足を掴みに掛かる。化け物染みた握力のデュランに本気で掴まれれば足の粉砕骨折は免れない。しかし、掴む寸前で男の足はデュランの視界から消えたのだ。
「なっ、消えただと!?」
驚愕するデュランに訪れたのは左側頭部に走る衝撃。確かに前蹴りで放たれていた相手の左足が何故かハイキックの軌道を描きデュランに叩き込まれていたのだ。
「ぐっ、ブラジリアンキックか!」
不意打ちを喰らったが何とか踏ん張ったデュラン。しかし、男の蹴り技は止まらない。太腿を狙ったローキック、右の脹脛を狙ったカーフキック。胴へのミドルキックから再度頭部へのハイキックが叩き込まれ、そこに繋げるように長身に見合わぬ身軽さで回転蹴りを連続で繰り出してきたのだ。まるで舞踏のような華麗なステップから次々と繰り出される多彩な蹴り技の数々。なすがままだったデュランは、相手が放った空中回転蹴りの着地を狙い、喉元狙いの貫手を繰り出した。
「クソっ、これならどうだ!」
次にデュランの視界に飛び込んで来たのは、相手の靴の裏。デュランの貫手に対し、逆立ちで顔面への攻撃を回避しつつ、逆にデュランの顔面へ蹴りを放ってきたのだ。
キックボクシングだけじゃない。テコンドーの回転蹴りやカポエラのアウーバチドなど、まるで蹴り技の世界フェスタ。観客がいない今、あのデュランが素手の喧嘩で圧倒されるなど誰が信じるだろうか。
現にデュランは顔面血だらけで片膝を突いており、男の方はあれだけ激しく動いているにも拘らず涼しい顔で長い髪を掻き上げてデュランを見下ろしている。
「もう限界か? なら外の連中と一緒に引き返すがいい。そうすれば命までは取らん」
「…………」
デュランは男の問いに返事はせず、ゆっくり立ち上がるとポケットから煙草とライターを取り出し、一服しだした。
「ふーっ、こんだけボコられたのは久々だな。おやっさんが死んで以来か? 却って清々しいくらいだ」
「なにを言っている。まだやるつもりなら今度こそ命の保証はないぞ」
男の言葉に依然と返事をせず、血だらけのまま空を見上げて煙草を美味そうに吸い続けるデュラン。登りゆく煙草の煙と青空、強い日差しとぷかりと浮かぶ白い雲。これだけボコボコにされたにも拘らず、デュランの表情は実に穏やかであった。その態度が癪に触ったようで、男は再度回転しながら跳躍すると、空中からデュランの首筋目掛けて蹴り下ろしを放つ。
「もう少しで吸い終わるからちょっと待ってろよ。せっかちな野郎だな」
左の首筋に直撃する寸前で男の右足を左手で掴んだデュランに男は驚愕した。奇襲を止めたことに対してではない。今までこんな経験はしたことが無かった。足を掴まれた状態でそのまま宙で固定されているなど。デュランはと言えば、男に一瞥もくれることなく悠然と煙草を吸いながら空を見上げていた
(この男、どれだけ馬鹿げた腕力をしているんだ。しかも渾身の蹴りを目視することなく平然と止めるとは……)
このままではマズイ。男の直感がそう告げる。右足を支えて貰っているならこれ幸いと、今度は逆の左足で再度デュランの顔面に向けて顎を狙った蹴り上げを見舞う。デュランは吐き捨た吸殻の火を足で消し、二本目の煙草を取り出して咥え始めたばかり。
(このタイミングなら避けられまい。直撃だ)
そう思ったのは男だけ。デュランは相手の右足を掴んでいる左手を僅かに動かした。すると男の放った蹴り上げはデュランの顔の前を素通りし、咥えた新しい煙草の先に掠った。どれだけ鋭い蹴りだったかは、掠った煙草が摩擦で着火したことを見れば明らかである。
「ありがとよ。火ィ着ける手間が省けたぜ。この家の管理人はライターにもなるんだな」
ようやく男の顔を見上げたデュランは不適に笑うと、掴んでいた男の右足を離した。
「なんの真似だ。馬鹿力を利用してあのまま地面に叩きつけるか、扉を投げたようにぶん投げでもすれば良かったものを。この俺に情けを掛けようというのか」
「そんなことしたら一発でケリが着いちまうだろうが。もう少し付き合えよ。その蹴り技、もっと見せてみろ」
「……後悔するなよ」
男は再びキックボクシングに似た構えを取る。デュランもそれを迎え撃つべく構えるかと思いきや、左手をジーンズのポケットに突っ込んだままで右手は煙草を摘んでいた。明らかにナメている。それを察した男は怒りの形相で再び跳躍し、回転しながらデュランに目掛けて蹴りを放つ。しかし、デュランは僅かに身体をずらしただけでその蹴りを難なく躱した。隙だらけの男の背中を見ているだけで攻撃を加えようとしない。その不遜な態度が男の感情を更にヒートアップさせる。
「貴様、手加減する気か!」
男は振り向き様にソバットを仕掛ける。デュランはそれを僅かに後退しただけで再度躱してみせた。しかし、そうすることは男も予想済み。ソバットの回転を利用し更に回転。今度は身を屈めてデュランの足元を刈り取るように低位置からの回転蹴りを繰り出した。
「おー、今の動きは面白いな。だがアイラにはちょいと難しいだろうなぁ。年頃の女の足が傷だらけになるってのは不憫だし、足を高く上げる以上スカートも履けないだろうしなぁ。いや、でもスパッツとか履かせりゃ解決すんのか?」
男の動きを観察しつつ、繰り出された下段回し蹴りをデュランは右足の裏で止めてみせた。
「何をブツブツ言っている! 戦いに集中しろ!」
嵐のように次々と繰り出される蹴り技の猛襲。しかし、そのどれもが空振りに終わっている。序盤とは全く違う展開に相手の表情には焦りの色が濃く滲む。それとは逆にデュランの興味は男からは完全に削がれており、攻撃を避けながら何かをずっと考えている様子。
そんな不毛な戦いの流れを変えたのは、こちらに向かって猛スピードで近づいてくるエンジン音。
「どいてどいてどいてー!! というか、止めてぇ〜!!」
五十年代を代表する旧式ハーレーダビッドソン、Kモデルが後輪を浮かして前輪だけで走る、所謂ジャックナイフ走行をしながらこちらに向かって爆進してくるのが見えた。乗っているのはジェイルタウンに残っていたハズのウィリアム。突然の事態で流石に唖然としたデュランだったが、兎にも角にも今は暴走バイクを何とかするのが先決と判断し、咥えていた煙草を吐き捨てると敵に背を見せる形でウィリアムのバイクの方へと身体を向けた。
「一時休戦だ! まずはアレを止めなきゃならねぇからよ」
デュランは男にそれだけ伝えると、眼前に迫っていた高速回転するハーレーの前輪を右手で掴み取る。
「修理代は払わねーからな! 後で文句を抜かすなよ!」
そう告げるとデュランは前輪を掴んでいる右手を力一杯握る。すると忽ちタイヤは弾け飛び、ホイールは見事にひしゃげていた。ようやく止まったバイクから倒れるように降りたウィリアムは芝生の上で大の字になりながら真っ青な顔で息を荒げていた。
「びびびびっくりしたぁ〜。まさか入り口に外れた扉とデカいハサミがあるなんて思わなかったよ。扉に乗り上げた直後にハサミの刃でブレーキレバーのワイヤー切れちゃうし。本気で死ぬかと思った」
「んなことより何の用だよ。お前今日は解体工事の立ち合いだったんじゃねーのかよ?」
「これだよこれ! 解体前に家の中を最終確認しといて良かったよ。絶対こうなるから忘れないでって念を押したのに。あとホラ、いつも使ってるバンダナも忘れてたよ。取り敢えずそれで血を拭きなよ。アイラが見たら怖がるから」
ウィリアムが取り出したのは昨晩渡された紹介状。どうりでいくら探しても無いはずだ。そもそも携帯していなかったのだから。
「うちの相棒がご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした。この手紙をあなたのボス、エスコバル氏から預かって参りました」
立ち上がり、背筋を伸ばしてウィリアムは男に手紙を差し出す。
「ドン・アントニオからだと!? 拝見させて貰おう」
男はしばし手紙に目を通す。読み終わるのを静かに待つウィリアムと新しい煙草を取り出し一服を始めるデュラン。あれだけ激しい戦いをした後だというのに緊張感のカケラも無い。手紙の内容に全て目を通した男はウィリアムの目を真っ直ぐ見つめ、頭を下げた。
「大変御無礼を致しました。今この時よりあなた方を我が主人、ドン・アントニオの大事な客人としてお迎え致します」
更に男はデュランの方へ歩み寄ると、デュランにも頭を下げた。
「事情も聞かずに戦闘を仕掛けたこと、この場で深くお詫び申し上げます」
「気にすんなって。俺も久々に楽しかったからよ。それになかなか強かったぜ、アンタ。あのまま続けていたらこっちもヤバかったよ」
「御冗談を。先程バイクの前輪を握り潰したあの握力なら、その気になればあの時掴まれていた右足を潰されていた。それにあなたは最初から私の動きを観察されていたじゃありませんか。何かの参考にはなりましたか?」
「うちの看板娘に身を守るための術を教えてやりたくてな。俺の腕力は無理でもアンタの蹴り技ならと思ったんだが、やっぱ難しそうだわ」
「もし私めに何かお手伝い出来ることがありましたら、何なりとお申し付けください。お暑い中立ち話も何ですから、一先ず屋敷の中へどうぞ。外でお待ちの方々も是非お入りください。冷たい飲み物でもご用意しましょう」
先程まで激しい戦闘を繰り広げていたとは思えないほどにこやかな雰囲気。管理人の男に招かれたデュラン一行は無事に屋敷の中へと通されたのだった。




