復興と顛末
この日、珍しくエデンは朝から騒がしかった。
昨夜の事後処理や復興事業で様々な職種に携わる者たちが忙しなく働いている。特に警察関係者は街中に散らばっている遺体の処理や事件に関する聞き込み調査、交通整理に至るまで。怠惰で有名なエデン署の職員たちだが珍しく早朝から忙殺されていた。
最も深刻な問題は突如出現した謎の壁による地面の陥没。ニュースによると陥没はエレバンを中心に西はトルコ、東はアゼルバイジャンにまで達しているという。至る所でインターネットの通信障害まで出ているため、事象はカスピ海にまで到達し海底ケーブルの断線にまで至っているのではないかと噂されている。
警察の調べでは、突如現れた謎の壁を目撃した生存者たちは皆一様に「突然目の前に万里の長城が現れたのかと思った」と口にしたという。いずれにせよ確かなことは昨夜の戦闘における傷跡は深く、インフラの復興には相応の時間を要するということだ。
EUを始め、各国の報道では昨夜の出来事を地殻変動による自然災害と発表。百鬼夜行が如く闊歩していた屍体共は被災者として都合良く報道処理された。このインターネット隆盛時代、不可解過ぎる事件を有耶無耶にする上でも通信障害が不幸中の幸いとなったというわけだ。
この件に関して、大手兵器メーカーのウェストロッジ社CEO、アルフレッド・E・ウェスト氏は復興費として百五十億ドル、日本円にして約二十兆円という巨額の寄附を行なうとの声明を発表。〝死の商人による偽善活動〟などの批判的な意見も飛び交う中、実際問題これがエデンに於ける非日常的な日常を取り戻す大きな救いの手になったことは間違いない。
これだけ各所に損害を与えて手にしたものと言えば、イタリア裏社会の首魁であり今回のエデンにおける児童無差別誘拐殺人事件の主犯格であるミケーネの身柄。そして世界一危険な国際的カルト教団レーヴァテインの幹部と思しき二人の男の存在。アルトレンツと名乗った男とエドと呼ばれていた男。前者は警察のデータベースに記録は無かったが、後者は割とすぐに身元が割れた。
本名はエドウィン・マクレガー。南米の貧困街にある孤児院で育ち、そこでボクシングに出会う。見る見るうちに才能を開花させたエドはプロデビューから全試合KO勝ちという偉業を成し遂げる。しかし、その輝かしい栄光は二十五歳で潰えた。クリスマスの夜に自身の産みの母親とその交際相手を撲殺。その後アパートに火をつけ全焼。当時そのアパートに暮らしていた十二世帯のうち半数以上の命さえも奪うという凶行に及んだ。現場付近に設置されていた監視カメラの映像から現場から立ち去るエドの姿が確認されており、以来国際手配中の犯罪者である。しかし、不可思議なことが一点あった。この事件は今から三十年ほど前。エドの実年齢は五十を超えているにも拘らず、昨夜現れたエドは髪型以外は当時の手配書と容姿が全く変わっていないのだ。
不可思議なことがあるといえばもう一つ。
アイラにつけられた焼印がきれいさっぱり消えていたのだ。正確にいえば闇医者グレッグの元に運び込まれた時から見当たらなかった。しかし衰弱していたことには違いなく、メイファンからたんまり金を受け取ったグレッグは出来る限り最高の治療をアイラに施したのだった。
結婚前の柔肌に傷が残らなかったのを喜ぶウィリアムだったが、デュランは一人静かに自身の左腕に触れた。
『左腕の焼印はまだ痛みますか?』
昨夜対峙したアルトレンツと名乗った男が言った通り、デュランの左腕には焼印がある。おそらくはアイラに施されたものとほぼ同一のものであろう。その証拠に今現在その焼印は腕に残ってはいない。しかし、原因は不明だがその消えたはずの焼印は時偶浮かび上がるのだ。昨夜は袖のおかげで他者には露見していなかっただろうが戦闘中はずっと左腕に焼けるような痛みが走っていた。
(あいつ、あの場に居やがった連中の残党か……)
「デュラン? どうしたのさボーっとして。左腕痛むのかい?」
「いや、なんでもねぇ。それよりもポリ公。お前また死にそびれたのか」
「いちいち癪に障る奴だ。おいヤブ医者。今すぐ俺の刀を持って来い。金ヅルをもう一人増やしてやる」
「無理だよ。いくら俺の腕でもあれだけの大怪我はすぐには治せないんだから。最低でもあと一週間は安静にしてないとアンタ今度こそ死ぬよ?」
ジェイルタウンの入り口から最も近い廃テナントビルの一室。看板もない古びた診療所がこの男のテリトリー。両目が隠れたボサボサの黒髪。右鼻と唇の右端につけたリングピアスをチェーンで繋いだファンキーな見た目の痩せ細った身体。黒いロングTシャツとダメージジーンズ。その上に白衣というイカれたファッションセンスの持ち主こそジェイルタウン唯一にして最上の名医と呼ばれる闇医者グレッグ其の人である。
年齢、国籍、経歴すべて謎。グレッグという名前ですら偽名と噂されているがそんなもの些細なことに過ぎない。金さえ払えば殆どの怪我や病気を治療する腕は死と隣り合わせのこの街ではまさしく命綱。彼の身に何かあれば明日を迎えられない可能性がこの辺りに住む連中に等しく訪れるということもあって誰も彼に手を出せないのだ。特にメイファンは組員ではない彼を重宝しているため、アイラと同様に女帝の寵愛を受けている者の一人である。
点滴を始め様々な管に繋がれた状態でベッドに横たわる氷室といがみ合うデュランを宥めるウィリアム。氷室の見舞いの品であろうフルーツバスケットからバナナをむしって勝手に食べているアイラ。多種多様の錠剤をスナック感覚でボリボリ貪っているグレッグ。ジェイルタウンでは珍しい平和の一コマである。
「けっ、アイラの検診が終わった以上こんな辛気臭ぇとこにゃ用はねぇ。俺たちは帰るぞ」
「ちょっと待て。その前に伝えておくことがある」
氷室の口から語られたのは、投獄中のミケーネが死んだということ。独房内は見るも無惨な状態で、四方八方にミケーネの血と肉片が散らばっていたという。バラバラにされていたが刃物によるものではなく、まるで爆発したかのように肉体が破裂していたことから自殺ではなく明らかな他殺であると警察は断定。虎皇会を含む反社会組織による者の粛清、もしくはレーヴァテインの手の者による後始末ということで捜査中だった警察は実行犯の一人である藩の件でメイファンを重要参考人として身柄を確保したものの証拠不充分により異例の丸一日での釈放となった。
理由は二つ。一つは藩の足取りが完全に途絶えたこと。いくら警察の捜査網とはいえ、冥府の門を潜ってまで容疑者の確保は不可能。そもそもそんな与太話を信じる者など司法の世界には皆無である。
もう一つは重傷を負った氷室の命を救ったこと。昨夜の一戦でミケーネの凶弾とエドの不意打ちにより腹に複数の風穴を作ったのだ。死んでもおかしくない状況にあった彼をグレッグに治療させたのもメイファンの指示。一度ならず二度も大きな借りを作っては警察側も虎皇会を深追い出来ないというわけだ。加えて、当事者であるミケーネが死んだことで事件の手掛かりは現状全て潰えたのである。ただ、確かなことは今回のミケーネ暗殺に関しては虎皇会は一切関与していないということ。暗殺担当の凶星は主に毒や呪術を用いるため手口がまるで違う。加えて片眼を失ったばかりで未だ療養中の身。仕事への復帰はまだしていないのだ。
「レーヴァテインの奴らはまだエデンに潜伏してる可能性が高い。俺が動けない以上、エデンでの邪教徒絡みの事件で何かあったらお前がなんとかしろ」
「一介の料理人にお役所仕事頼んでンじゃねぇよ。お前が動けねーならアシュリーにやらせりゃいいだろうが。そのための派遣だろ」
「お前聞いてないのか? あいつは聖教からの緊急要請で今朝方フランスに向かったぞ。こっちには代理で別の奴が来るらしいが、正直期待はしとらんがな」
「えー、せめて連絡先の交換くらいしておけばよかったー。ねぇ、デュラン知らない? アシュリーちゃんの携帯番号とか」
「知るか。そもそも俺は携帯持ってねぇんだからよ」
「そうだった! 忘れるとこだったよ。今からエデンに行くよ。デュランとアイラ、二人分の携帯を契約しないと」
「いらねーよ、そんなもん。金の無駄だ」
「君はそうかも知れないけどアイラには必要だよ。今回みたいな事件に巻き込まれる可能性もあるんだから。GPS機能も付いてるからすぐに居場所の特定も出来るしね。これからのご時世、スマートフォン無しでの生活はまず無理だよ。だいたいデュランはいつも——」
「あーハイハイ。わーったよ。買えばいいんだろ買えば」
この日、デュランとアイラは二人揃ってスマートフォンを購入。丸一日みっちりウィリアムのレクチャーを受け、一通り使い方をマスターした。
「おい、ウィリアム。ここのパスコードってなんだっけ?」
デュラン以外は。




