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EDEN's Order(エデンズオーダー)  作者: 後出 書
児童誘拐殺人事件 篇
29/194

鞘と刃

「氷室さーーん! 待ってくださーーい!」


 警察署内の長い廊下をアシュリーは走る。一歩を踏み出す度に服の上から装着している防具が重苦しい金属音を響かせており、非常にやかましい。加えて、署内でも煙たがられている男の名を大声で呼ぶ見慣れぬ若い娘など「どうぞご覧下さい。わたくしめが不審者です」と言わんばかりだ。


 今朝同様、アシュリーはエデン署内で働く皆様から好奇の目を独占する。本人はそれに微塵も気づかず、ただひたすらに氷室の後を追う。彼がどこをどう通ってどこに向かったのかはわからない。しかし、アスガルドの聖騎士であるアシュリーには、魔力や妖気の類いを感知し辿ることが出来る。この署内で妖気を放っている人物は氷室——否、正確には氷室の持つ刀くらいのものだ。


 エントランスロビーに差し掛かり、ようやく氷室の後ろ姿を確認できた。周りが薄着であるにも拘らず、一人だけ暑苦しいコート姿は悪目立ちが過ぎる。アシュリーは息急き切って氷室に駆け寄り、呼び止めた。


「あ、あのっ、氷室さん!」


「大声で人の名を呼ばないでくれ。何か用かお嬢ちゃん。迷子なら暇そうな奴に声をかけてくれ。俺はこれから行かなきゃならねぇところがあるんだよ」


 立ち止まりはしたが、氷室は振り返らない。アシュリーに背中を見せたまま吸殻をその場に落とし、足で火を消した後に新たな煙草を箱から一本取り出してオイルライターで火を付けようとしていた。


「なら、私も同行させてください」


 今まさに新しい煙草に火をつけようとしていた氷室の手が止まった。


「悪いがお嬢ちゃん。俺は子守をする程暇じゃない。あんまり駄々を捏ねて仕事の邪魔すると、公務執行妨害でここのスイートルームに連泊してもらうことになるぞ」


「お言葉ですが、私も仕事でここに派遣されています。ですから、業務上はあなたとは対等な立場だと——」


 アシュリーの言葉を遮ったのは、目の前に降ってきた真新しい一本の煙草。アシュリーがそれを認識した刹那、目と鼻の先程の距離でそれが真っ二つに切断されたのだ。感じたのは極寒の風圧と、刀の鍔が鞘の鯉口を打つ音。目で認識は出来なかったが、氷室が後ろを向いたまま未使用の煙草をアシュリーの目の前へ落ちるように投げ捨て、振り向きざまに凄まじい速度で刀を使って煙草を両断したということは理解出来た。


「ご立派なことを吠えてるトコ悪いんだけどなお嬢ちゃん。今の斬撃が見えないんなら、同行したって死ぬだけだ」


 氷室はそう言うと、今度はゆっくりと鞘から刀を抜いてみせた。その様子を見ていたエントランスロビーにいた職員たちは蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。ただ一人、対峙しているアシュリーを除いては。


「妖刀『百鬼薙(ひゃっきなぎ)』。百匹の鬼を斬り殺したという曰く付きの刀だ。こいつには斬り殺された鬼の怨念が百匹分染み付いている。言わば、これ自体が刀の形をした鬼みたいなもんだ。こいつなら怨霊や悪霊、悪魔といった不可触の存在であろうと容易く斬ることが出来る」


 錆にも似た赤黒く不気味な輝きを放つ刀身からは、決壊したダムのように禍々しい妖気が溢れ出ている。例え霊感がない人間であっても本能が大音量で「逃げろ」と訴えかけるほど痛烈に感じる異常性。この刀の近くにいる者は等しく正気を蝕まれるという。そしてそれは、この刀の持ち主である氷室とて例外ではない。


 この刀の妖気は鞘に貼られた札が鎮めている為、納刀した状態であれば害を軽減出来る。しかし、一度鞘から抜けば人外さえも斬れるほどの強大な力は手に入るが、同時に刀身に宿る百匹分の鬼の魂が持ち主の精神を蝕み、やがては持ち主すらも鬼へと変貌させる呪詛が染み込んでいる。この副作用を軽減させるには、呪いが全身を侵蝕する前に鞘へと納刀。つまり呪詛を一時的に遮断、封印する必要がある。だからこそ、これを扱うには氷室のように抜刀、攻撃、納刀までの三動作を一瞬で完了させる〝居合い〟の技術が不可欠——そのはずだったのだ。


「……どうなってやがる。百鬼薙の侵蝕が鈍っているだと」


 違和感に気づいたのは、持ち主である氷室本人。これだけの間、刀を鞘から抜いた状態にしていれば、いつもであれば手にした右手から黒い呪詛の痣が全身にかけて走り、忽ち意識を奪われるのだが、未だにその感覚には襲われていない。


「アスガルド聖騎士団獅子十字隊。第八席アシュリー・キスミス。全能神オーディンより賜りし加護は節制。その特性は、異能の力の抑制。本来はレーヴァテインの使う魔術の力を抑える為のものですが、東洋の呪いの類いであったとしても節制の加護の前に例外はありません」


 真摯な瞳を氷室に向けるアシュリー。その表情は、すぐにはにかんだ笑顔へと変わった。


「と言っても、私の加護はまだまだ未熟なので完全に封じることは出来ないんですけどね。ですが、今の私でもあなたの鞘くらいは務まると思いますよ」


 その時見せたアシュリーの笑顔が、氷室の記憶の中にいる少女と重なって見えた。


「お嬢ちゃん。歳はいくつだ?」


「んなっ!? いきなり女性に対して年齢聞くの失礼じゃありません? 今年で二十五になりますけど……っていうか、お嬢ちゃんはやめてください。私さっき名乗りましたよね? せめて名前で呼んでくださいよぉ!」


(二十五か。生きてりゃ、あいつもそのくらいの歳だったかもな……)


 根負けしたのは氷室の方だった。抜き身だった刃を鞘へと納め、再びアシュリーに背を向けて歩き出した。


「勝手にしろ。ただし、俺が刀を構えた時は俺の間合いからは必ず離れていろ。うっかり斬られたく無ければな」


「それは大丈夫です。私、男性には寧ろ近づきたくないので」


 そう言うとアシュリーは、氷室の三歩後ろを着いて行った。

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