セントライミ教会①
エデンとアルメニアの首都を繋ぐ長い吊り橋がある。
特別おもしろい名前が付いているわけでもなく、取り分け見所があるわけでもない至って普通の橋だ。強いて言うなら、夏場の晴れの日にオープンカーで飛ばすとやたらと風が心地良いというだけで、他に何の変哲もないただの橋。その橋の上を一台の車が行く。
一九六十年式のキャデラック・エルドラド。ワインレッドが少々派手なこの車はウィリアムお気に入りの一台だ。
実家にはもっとたくさんの高級車があるらしいが、特に好んで乗っているのはこの一台だけだとか。助手席にデュラン。後部座席にアイラを乗せ、左手に壮大なアララト山が見える長い橋をひた走る。エデンを通り過ぎてしばらく行くとアルメニアの首都、エレバンが見えてきた。
ウィリアムは久々に愛車に乗れてご満悦の様子だが、反対にデュランはダッシュボードの上に足を乗せ、不機嫌そうな顔をしていた。
「さっきからむすっとしちゃって。そんなに帰りたくないの?」
「フン、別に」
デュランがポケットから煙草を取り出そうとすると、ウィリアムはすかさず「車内は禁煙だからね」と釘を刺した。デュランは舌打ちを一つし煙草を戻す。二時間前にもイルミナに喫煙の邪魔をされたのでヤニ切れも相まってイライラが溜まっていた。
「これからどこに行くの?」
後部座席のアイラがウィリアムに尋ねる。
「セントライミ教会っていうデュランが育った場所さ。彼を見てると、どうやら神様ってのは子育てや教育に関しては万能じゃなかったみたいだね」
「おいウィリアム。無駄口叩いてねぇでサッサと飛ばせ」
「あのね、デュラン。ここはエデンやジェイルタウンと違って法定速度ってモンがあるの。いや、エデンにもあるんだよ? ただ誰もそれを守ってないだけで。それに急かさないでももう見えてきたよ。ホラ」
サングラスを外したウィリアムが視線を向けた先には丘の上に立つ立派な教会が見えた。
車を降りたデュランはすぐに煙草を取り出して火をつける。ようやく一息つけたというよりは緊張を解す為の行為に見えた。デュランは煙草を咥えたまま真っ直ぐ礼拝堂へと足を向ける。ウィリアムとアイラもそれに続いた。
「邪魔するぞ」
デュランはふてくされたように礼拝堂の扉を蹴り開け、ずかずかと中へ入って行く。やっていることがマフィアや強盗と何ら変わらない。行儀以前に常識のカケラも見えなかった。
「ちょっとデュラン! 何やってんのさ」
「いーんだよ、こまけぇことは。つーか、誰もいねぇのかよ」
「いいわけないだろ、この罰当たりが!」
無人だと思っていた礼拝堂に女の怒声がこだまする。三人が同時に振り返ると礼拝堂の入り口には修道女が一人とその影に隠れるように怯える子供が数人立っていた。
「ちっ、んだよ。いるじゃねぇか、ウェンディ」
「礼拝堂にガラの悪いヤツが入ってったって聞いて飛んできて見れば、あんたかい、デュラン」
金髪の修道女はデュランに近づくと咥えている煙草を取り上げ、ニカッと笑った。
「元気そうじゃないか、兄弟。それと、ここは終日禁煙だよ」
シスター・ウェンディ。デュランの姉のような存在で、彼がこの世で頭が上がらない数少ない人物だ。
久々に顔を見せたデュランとその連れであるウィリアム、アイラを応接室に招き、ウェンディは嬉しそうに鼻歌交じりでお茶の支度をしている。
「なんだいなんだい、えぇ? 連絡も無しに急に帰って来るなんてさ。って、あんたがここを出てって連絡をくれたことなんて一度も無いか。あっはっは!」
デュランはウェンディの言葉に返事をせず、テーブルに足を投げ出した状態でソファーに腰を落としている。
「そこのお兄さんは何がいい? 紅茶? コーヒー?」
「じゃあ、紅茶を」
「はいよ。んで、そっちのお嬢ちゃんは?」
「苦いもの以外なら何でも」
「そうかい。じゃあ、可愛いお嬢ちゃんには特別にこのぶどうジュースをあげよう。うちのぶどうジュースは美味いよー。なんせ、教会の裏のぶどう園で栽培しているこだわりのぶどうから作ってるからね。こいつはワイン用のぶどうなんだが、そのまま絞ってジュースにしても格別さ。ポリフェノールたっぷりで健康にも良い。ここの子供たちもこれが大好きなんだよ。そこでさっきから不貞腐れている無愛想な男も、このぶどうで育ったようなもんさ」
「余計なことは言うんじゃねぇよ、ウェンディ。つーか、おい。俺には何もナシかよ」
「うっさいね。そこの水道で水でも飲んでな。ホラ、さっさとテーブルからその足どけな。邪魔なんだよ」
ウェンディはそう言うと、デュランの足を平手で叩く。デュランは舌打ちを一つして渋々立ち上がると空のグラスを持って水道へ向かう。あのデュランにこんな仕打ちをする人間はあのジェイルタウンにすらいない。ある意味、おそろしい光景だった。




