氷室の贖罪
瀕死のマルグリットを抱えた氷室はトニーの車に乗り込む。
幸い、キーは差しっぱなしだった。あの男のことだ。こうなることを見越していたのかもしれない。車のアクセルをベタ踏みし、氷室は最寄りの病院へ向かう。
開院前にやってきた血を滴らせた少女を抱えた傷だらけの男に困惑している受付に警察手帳を見せると、すぐに当直の医者数名を呼んできてくれた。辛うじてまだ死んでいないマルグリットは急いでタンカーに乗せられ手術室へと運ばれて行く。
「出来うる限りの最善は尽くしてみます。ですがおそらく……」
「口を動かすより手を動かしてこい。後は頼んだ」
「あなたも治療が必要でしょう。腕から血が滴っているじゃないですか。撃たれたなら弾を摘出しないと」
「ん? あぁ、そういやそうだったな」
氷室は思い出したようにそう言うと、多少苦悶の表情を浮かべながら銃創に指を突っ込むと肉に埋まっていた小さな銃弾を取り出してその場に落とした。
「悪いが捨てといてくれ」
それだけ言うと氷室は車に戻り、ハイウェイでエデンを目指した。
その日の朝、交通課のダリアが出勤した際エデン署内は何やらざわついている様子だった。
「おはよう。なにかあったの?」
ダリアは同じ交通課の女性職員に声をかける。
「あっ、ダリアさん! 大変なんですよ! 実は……」
ダリアは職員からつい三十分前の出来事の詳細を聞いた。
謹慎中の氷室が突然怪我だらけでやってきたかと思えば「トニーを殺した。留置所を借りるぞ」とだけ伝え、留置所の鍵を勝手に持ち出すとそのまま空き部屋へ自ら入って行ったのだと言う。
「今副署長や刑事課の人たちで慌てて対応していますが、もう何が何やらで」
「はぁ……よくわからないことだけはよくわかったわ。取り敢えず私たちは普段の業務に集中するわよ」
前代未聞の異常事態にも動じる様子を見せず、ダリアはいつも通り仕事をこなしていた。
昼休み。
普段なら休憩室でサンドイッチか外にランチを摂りに行くダリアだったが向かった先は署内の留置所。刑事課の職員数人が未だにそこに溜まっていた。つい最近収容された傷害事件、麻薬売買の容疑者たちの牢を通り過ぎ進むと、煙が昇っている牢が一つ。
「喫煙所以外で吸わないでくださいと、私何回注意しました?」
不測の事態に狼狽えている情けない刑事課の男どもを押し除け、牢の前に立ったダリアは中の人物にそう問い掛ける。
「さぁな。百から先は数えちゃいねえ」
壁にもたれ掛かり座っている傷だらけの氷室が煙草の煙を吐きながらそう答える。
「とにかく中、入りますよ」
溜息を吐きつつダリアは牢に入り手にしていた救急箱を置いて氷室から煙草を奪うと、有無を言わせず衣服を脱がせる。
「おいおい、お前そういうシュミがあんのか?」
「少し黙っててくれませんか? 傷口に吸い殻押し付けてもいいんですよ?」
氷室をギロリと睨んだダリアは慣れた手付きで氷室の怪我の処置をしていく。止血、消毒、清潔な包帯をぐるりと巻いて。実に手慣れた応急処置だった。
「ほー、見事なもんだな」
「当然です。私、元々看護学校の出身なので。傷口が少し膿み始めていましたから縫合はしませんが、あくまで応急処置なのできちんと病院に行ってください」
ダリアはそれだけ伝えると、立ち上がって氷室に背を向け歩き出した。
「トニーの件、悪かったな」
背中から小さく聞こえた氷室の声。
ダリアは振り向くことなく答えた。
「私に謝ってどうするんですか。詫びるなら遺族にでしょう。それに真実を語るならこんなところに引き篭もってないでサッサと取り調べ室にでも行ったらどうですか? その役目はあなたたち刑事課の仕事でしょう。ボサッとしてないで仕事してください」
凛然としたダリアにケツを叩かれたように刑事課の職員たちは氷室を取り調べ室へ向かわせるため、牢から連れ出した。
「氷室さん!」
去り行く氷室の背中にダリアは呼びかける。
氷室は立ち止まると、振り返りダリアの方を向く。
「そう言えばあなた、最近自宅アパートの前の道路を勝手に封鎖してたでしょう。その案件は交通課で処理しますので取り調べが終わったら交通課に来てください」
心底面倒そうな顔を返事代わりに、ゆっくり歩き出す氷室。両脇にて支えてくれている顔馴染みの刑事二人に「取り調べ、なるべく時間をかけてくれ。あっちの方が面倒だ」とダリアには聞こえないよう小声で告げた。
「面倒なのは私たち交通課の方なんですからね! その辺きちんと反省してくださいよ!」
バッチリ聞こえていた。




