相棒との別れ
肥大化した紫色の筋肉、血走って視点の定まっていない真っ赤な目。氷室と同じくらいだった背丈は既に見上げるまでになっていた。ジャケットがはち切れるほど太い腕には熊のように鋭く巨大な爪。トニーは今や悪魔や鬼と見紛うほどに醜悪な姿へと変貌してしまっていた。
「ウガァァァアアアア!!」
奇声を発し、辺り構わず腕を振り回すトニー。廃工場内の機械や設備は容易く破壊され、壁や地面には巨大な爪痕が刻まれている。触れただけで人体など一溜まりもないことは明白。氷室は不得手なりに銃を構え、急所をなるべく外しながら弾倉が空になるまで撃ち続けるもトニーは全く怯む様子はない。寧ろ攻撃対象を教えただけとなり、氷室を狙って襲いかかってきた。
「目を覚ませトニー! 家で子供たちが待ってるだろう!」
「グルァァァアアア!!!!」
理性は完全に失っているらしい。もはや友の声も届かないほどに。
工場内の廃材や大きなコンベアーなど物ともせず巨腕を振るい辺り構わず破壊しながら氷室を追うトニー。丸腰の氷室には成す術はない。しかし逃げ回るにしても限界がある。肩からの出血は徐々に氷室の足を重くしていき、視界をぼやけさせていく。加えてこんな状態のトニーを工場外へ出してしまったならどれだけの被害者が出るか分かったものではない。
何かないか。
刀の代わりになる何かは。
逃げ回りながら武器になりそうなものを必死に探す。しかし残念ながら刀剣の代わりになりそうなものは見当たらない。また、先程トニーが破壊した物の中に照明に送電している配線、またはブレーカーがあったようで工場内は暗闇に包まれているため尚更辺りが見えづらい。辛うじて窓から差し込む月明かりのみで視野を確保している状態だった。
「ぐっ、目眩が……」
強い貧血感に襲われ、ふらつきながらその場で足を止めた氷室。背後から迫り来るトニーの爪が今まさに氷室に向けて突き立てられんとしていた。
肉を貫く悲痛な音。
飛び散る鮮血。
爪は氷室の腹部の手前で止まっている。
「だっ……大丈夫っスか? 氷室さん」
トニーの凶爪の前に立ちはだかり、身を挺して氷室の盾となったのは聖騎士マルグリットだった。マルグリットの腹部から腕を引き抜き、辺りを破壊しながら別の場所へ向かっていくトニーを一先ず無視し、氷室は急いでマルグリットに駆け寄った。
腹には大きな穴が空き、肋骨や内臓の損傷が覗けた。依然と激しく流れ続ける血液の量はあっという間に地面に大きな血溜まりを作った。医学の知識が乏しいものでもわかる。助かる可能性は限りなくゼロに近いだろうということが。
「お前なにしてやがる! 死にに来たのか!」
「や……やだなぁ。氷室さんってば……コレ、お届けものッス……」
吐血しながらもマルグリットはニッコリ笑い、手にしていた剣を氷室に差し出した。氷室はその剣と全く同じ物に見覚えがあった。アシュリーが携えていた、アスガルド聖騎士団の聖剣である。
「うち、剣の腕はからっきしなんで普段はあまり持ち歩かないんですけど、氷室さんなら上手く使えるんじゃないかって……」
「わかった。もういい。喋るな。すぐにカタをつけて病院に連れていってやる。三十秒だけ待ってろ」
氷室はマルグリットにそう伝えると、自身のコートを脱いで彼女の傷口に巻き付ける。こうなってしまった以上、止血云々でどうにかなる状況でも。そもそも傷口の大きさ深さから見ても血を止めることさえ出来ない。そんなことは百も承知。だからこそ急いで医者に診せる必要がある。例え助かる可能性が絶望的であっても。
受けた恩や仇に関しては最大限で返すのが氷室の信条。なればこそ、親友への別れの挨拶をする暇さえ彼には惜しいと感じていた。
氷室は気を失ったマルグリットをそっと地面に寝かせ、受け取った聖剣を鞘から抜いた。
「悪いが時間がない。恨み言や愚痴は墓前で聞いてやるよ、トニー」
窓から差し込んだ月光を反射させた聖剣の煌めきを目にしたトニーはすぐさま標的を氷室に変え再び襲い掛かる。
「あばよ、ダチ公」
目にも止まらぬ横一閃。
まるで流れ星のように聖剣の煌めきのみがトニーの首を通り過ぎた。動きがピタリと止まったトニーに背を向け、聖剣を投げ捨てた氷室はマルグリットを抱き抱えると動かなくなったトニーの横を素通りし工場を出ていく。
「……世話かけたな、エイジ」
工場に一人残されたトニーはそう呟くと、斬られた首が牡丹の花のようにボトリと落ちる。直後、紫色の血を傷口から噴出させ巨大な身体は大きな音を立てて地面へと倒れた。
朝日が昇ると同時にトニーの身体は灰となって消えてしまった。警官隊が工場に突入したのはその直後。事件発生から実に五時間後だった。




