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八話

  今日は何を語りましょうか。


  古典とか歴史についてまた語ろうかな。と言ってもどの時代が良いのやら。

  とりあえず、鎌倉時代とかにしましょうか。鎌倉時代といえば、源頼朝さんや北条政子さんが有名ですね。

  頼朝さんに関して言うと鶴ヶ丘八幡宮がよく知られています。

  私も一回行きました。けど雨上がりだったので境内にある石段を上がるのが怖かった記憶がありますね。

  鶴ヶ丘八幡宮は京都にある石清水八幡宮が基になっているそうです。石清水八幡宮は清和源氏の氏神らしくて。源氏の武士達はよくお参りに行ったと言われています。

  頼朝さんは鶴ヶ丘八幡宮が建立された際に鶴を何羽か奉納したとか。それ以来、こちらでは鶴がシンボルになったといいます。


  頼朝さんの事でもう一つ。この方、恐妻家だった一面があるそうです。それもそのはずで一度浮気しただけで北条政子さんは激怒してその相手の邸に乗り込んで行ったという逸話があります。しかも相手の女性の邸の玄関口に岩を投げ入れさせて壊してしまったのは有名です。

  これ以来、頼朝さんは政子さんに頭が上がらず、浮気はしなかったとかで。お二人の間には大姫と乙姫という娘さん、頼家さんに実朝さんと四人ほどのお子さんがいました。

  はい、大姫はかの有名な木曽義仲の息子の木曽冠者義高さんの婚約者であった人です。彼女は5歳くらいの時に義高さんと婚約していました。けどお父さんの義仲が討たれた後、頼朝は義高さんを疎み始めます。これに義高さん自身も気づき、家臣である少年に自分の身代わりをさせて本人は女装して逃げようとしました。大姫や侍女達も協力して彼を逃がそうとしましたが。結局、頼朝さんが気がついてしまい、義高さんは捕まり討たれてしまいます。

  けどこの後が悲劇の始まりでした。義高さんの亡くなった後、6歳から7歳だった大姫はショックのあまり寝込んでしまいました。精神的にも肉体的にも彼女は弱り一時は命が危うくなった時もありました。それでも大姫は義高を忘れられず、数々の縁談を断り続けます。頼朝さんや政子さんも大いに心を傷めていました。けど大姫は20歳という若さで両親の看病の甲斐もなく亡くなります。


  ……乙姫や頼家さん、実朝さんも若くして亡くなり夫の頼朝さんにも先立たれ、北条政子さんは老後は寂しかったと思います。本人も後に「私は子供たちに先立たれ、母としては幸せではなかった」と述懐しています。鎌倉幕府は将軍になっていた源氏の嫡流の血筋が途絶えてしまい、代わりに北条氏が執権と称して権力を掌握しました。実朝さんが暗殺された後、甥であった公暁さんも殺されています。では幕府の将軍はどうなったのかというと。京の都から皇族の方を迎えて将軍に据えていたといいます。

  そういえば、元寇がありましたね。北条時宗さんの時です。この元寇があった年は源平の合戦があった時代からおおよそ100年後になります。

  西暦1333年頃に鎌倉幕府が滅亡するまで北条氏は執権としてあり続けました。実は北条氏は元は平家と親戚だったといいます。つまり、北条政子さんは本名が平政子ということになりますね。なので政子さんと結婚するまでは頼朝さん、彼女のお父さんにだいぶ警戒されていたようです。結婚自体も反対されていたとか。それでも政子さんが一途に頼朝さんを慕っていたのでお父さんも渋々、承諾したといいます。


  さて、語るのはここまでにしようと思います。いかがだったでしょうか。それではお読みいただきありがとうございました。

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