一話
また、自分の好きな物について語りたくなりました。
これはエッセイ第2弾でございますれば、興味がある方は覗いていってくださると嬉しゅうございます。
……さて、表題にはおくんなましとか古風な言葉を使いましたが。私、普段は普通でございますよ。え?普通ってどんな感じかって?
共通語を使って喋っていましてよ。あ、失礼致しました。
私は昔、古典が好きでした。でも現代語訳までで原文を読んだ事がないんです。
原文を読みたいと両親に言ったら遠い目を何故かされました。
まあ、原文の本自体が高いからでしょうが。例えば、「源氏物語」とか「蜻蛉日記」でしょうか。「更科日記」、「伊勢物語」も読んでみたいです。
「竹取物語」と「伊勢物語」はそういえば、原文と現代語訳付きの本を買ってたんでした。うっかりしてましたよ。
でも「蜻蛉日記」の作者はネガティブ思考の人だったようで。
けっこう、内容は明るくないです。「蜻蛉日記」の作者は藤原道綱母と呼ばれていますが。彼女の本名はわかっていません。ちなみに一人息子の道綱はあの藤原道長の異母弟で実直な男性だったようです。
道綱母は当時の本朝三美人の内の一人にも選ばれた才色兼備の女性でした。歌人としても有名ですね。
後、「更科日記」の作者の菅原孝標女は道綱母とは親戚関係にあったようです。
「源氏物語」の作者はあの有名な紫式部ですね。紫式部もおとなしくて内気な女性だったようです。それでも内に秘めた物は熱かったんでしょうが。紫式部は当然ながら本名ではありません。ただ、「香子」という名前だったのではという説も昔はありました。ちなみに紫式部のお父さんは藤原為時といい、学者として有名でした。為時には紫式部の他に娘と息子の惟伸がいました。娘は式部からいうと姉で惟伸は弟だったそうです。
後に姉は若くして亡くなります。式部も結婚して一人娘を夫との間にもうけていました。この一人娘が後の藤原賢子です。彼女の女房名は大弐三位と言いました。百人一首でも親子で歌が取り上げられていますね。
式部は夫も結婚して三年ほどで亡くします。この後で「源氏物語」を執筆し始めたと言われていますね。ただ、「源氏物語」の初巻はどれだったのか諸説ありはっきりしません。一説によると「若菜の帖」が最初に描かれたのではと言われていますが。「桐壺の帖」は後で描かれたようです。
「源氏物語」の女性では空蝉が今は好きですね。彼女の機転には驚かされます。式部も空蝉に自己投影していたのではと指摘する学者の先生もおられるようです。式部はとある高貴な生まれの男性--宮様といえる方に長い間、片想いしていたとも聞きます。その男性をモデルにして光源氏を誕生させたのでしょうか。他にも道長や在原業平、在原行平などもモデルとして挙げられています。光源氏が明石と須磨に隠遁した事がありましたね。実は在原行平も同じような憂き目に遭っています。行平は業平の兄で後に赦されて都に戻っています。式部はそれを基にして光源氏の流離譚を構想したと思われますね。
また、在原業平は色男の代表格で有名です。彼を主人公にしたのが「伊勢物語」になります。在原業平は九十近い老女まで相手にしたと物語にはありますが。ううむ。すごいとしか言いようがないですね。
さて、古典について語るのはここまでにします。お読みいただきありがとうございました。