第二話:始まる
サブタイトルを変更しました。
町がしんと静まり返った夜、街灯の明かりに照らされながら、一人の老爺が杖を突く音を鳴らしながら歩いていた。足音も、呼吸の音すらも立てず、まるでその老爺の周りだけ音という概念が存在しないようだった。
「さっさと走れジジイっ、そんな亀みたいな足の速さじゃ間に合わねえ」
その少し前を切れ長の目をした青年が、老爺の足の遅さに苛立ちながら足早に歩いていた。
老爺、世阿弥は、周りの空気を揺らすような気迫のこもった声にも動じずに、ただ真っ直ぐと目的地に向けて足と杖を動かす。
「そう急かさんでくれ、こちとら周りの気配を探りながら歩いてんだぜ。ちょっとは年寄りに優しくせい」
「黙れ、もし俺達がこの件を探ってると奴等に知られたら面倒くせえ。解ってるだろジジイ」
「解っている。儂とて奴等と鉢合わせになるのはご免だ。だから有馬、お前さんは先に行け」
そう世阿弥に言われた青年、有馬翔太は靴底を削る音を立てながら立ち止まり、振り返る。
「―――ああ、なら俺は先に行く。だがな―――」
「単独行動はするなだろ。安心せい、大人しくしておるから」
世阿弥は生まれつき目が見えない。しかし、聴覚や嗅覚など視覚以外の能力は逸材だった為、今日まで目が見えずとも生きてきた。だがその時、世阿弥は目の前にいる青年がどのような感情を秘めているのか容易に気付くできた。
憎悪。青年から放たれる燃えるような殺気、まるで獣のようだ。
「・・・そうか、ならいい」
そう言い残して有馬の気配は、不意に吹いた突風と共に消え去った。
「―――やれやれ、短気なもんだ」
真っ暗であろうその夜空を見上げながら、世阿弥はそう呟いた。世阿弥の見るのはいつも暗い夜の光景だ。誰かが言う美しい景色。桜吹雪、入道雲、時雨、雪景色。それは本当に綺麗なのか、確かめることすら出来ない。
今日はペルセウス座流星群が最もよく見える日らしい。流星群、星が流れていく様はきっと美しいに違いない。
◇◆◇◆◇
「見て、これ持ってきた」
時刻は午前10時。あの後、家に戻って支度してから再度来てみると、そこには綾野川と青崎の姿があった。
綾野川は何故か星座早見表を俺に向けてヒラヒラと振っている。
「これでやっと揃ったな。後は流星群を待つだけだ」
「ザッキー、ペルセウス座ってどの方角なの。というかペルセウスどこ」
「お前読めないのに持ってくんなよ」
綾野川をからかいながら、青崎は俺に缶コーヒーを投げてくれたのでそれを片手で受け取る。俺がコーヒーが苦手なことは黙っておいた。
「おい綾野川、シート広げるから手伝え」
「ちょっと待ってよ。ねえ悠真、ペルセウスどこ?」
綾野川はまだペルセウス座の方角が解らないのか、表をぐるぐると回している。
「青崎、シート引くのは俺がするよ。何もしないわけにはいかないから」
「悪い頼むわ、俺はあのバカをどうにかしてくる」
青崎はそう言って綾野川の元へ駆け出して行った。まったく、あいつも変わった奴だ。学校だろうと何処だろうと、あの空気の読めないでクラスでも浮いた存在である古手川の行動にいつも突っかかっている。きっと綾野川が一人にならないように気を遣っているのだろう。優しい奴だ。俺にはない優しさを青崎は持っている。
俺はそんな青崎の背中を尻目に、俺は無造作に置かれた筒状に丸めてあるレジャーシートを広げる。
その瞬間、不意の突風がいたずらに俺の手からレジャーシートを抜き取った。ヒラリと舞っていくそれに手を伸ばそうとする。だが、届かない。飛び付けば届くかも知れない。でも、何故かその気になれなかった。
老爺だ。風がまるで、その老爺を追うように吹いている。そして、俺の手から離れたレジャーシートは老爺にぶつかる寸前で止まった。いや、そうじゃない。あの老爺が俺の方を見た瞬間、風が止んだのだ。
先程まで生き物ように宙を舞っていたレジャーシートが、その命を失ったように老爺の足元に落ちる。老爺はそれを杖を持っていない左手で掴むと、俺の方まで引き摺ってきてくれた。
「ほら、これお前さんのだろ? 駄目だぜ離しちゃあ」
俺は老爺からそれを受け取る。間近で眺めてもなんとも不思議な雰囲気の持ち主だ。坊主頭になんという色かは知らないが薄い青紫色の羽織が彼をより一層、落ち着いた雰囲気にさせている。だが、どこか違和感がある。彼は先程から俺と目が合わない、細く開かれた瞳からは生気が感じられない。
「・・・見えてないんですか? 目が」
「この通り、生まれつきでな。でもだからといって儂はこの役立たずの目を恨んじゃいない、こいつは視覚と引き換えにいろんなものをくれたからな」
その後も老爺はシート引きを手伝ってくれた。その間も俺の頭には彼の言葉が引っ掛かっていた。目が見えないことから得られることとは何なのだろう。俺はそれを聞けないでいた。
「なあ君、まだ流星群は見えないのか?」
腕時計で確認する。もういつ流れてきてもおかしくない。
「もうまもなくですね」
「そうかい、ところで君、一人で来たのかい?」
「いえ、友達と来てます」
「おお、それはいい。思い出深いものになるな」
気恥ずかしくなって明後日の方向をみる。すると、綾野川と青崎が此方に駆けてきた。
「どうやらお友達が来たようだね。じゃあジジイはそろそろ行くよ」
そう言って彼は俺に背を向けて歩き出す。俺は彼を呼び止めたかった。知りたかった。彼が何を見ているのか、だが彼にかける言葉を探している内に、彼は遠くに行ってしまった。
「悪い遅くなった。こいつが中々聞かないもんでな」
「ふっふーん、お陰で方角はばっちりだよ。ペルセウスは南東だ」
「北東だよ。馬鹿が」
そうこうしている内に来た綾野川と青崎がまた喧嘩を始めた。全く、仲が良いのか悪いのか。
「あ、見てあそこ」
三人でお菓子を食べたり、飲み物を飲んだりと寛いでた頃、突如として綾野川が指差した方に顔を向ける。夜空を流れる微かな光を俺の目は捉えた。弱く光る流れ星が一つ、また一つと流れていく。想像よりも規模は小さいが、その打ち上げ花火のように儚く消える様は絶景だ。
「ねえねえ二人とも」
俺達の間に座る綾野川がふと呟く。
「こんな時だから言うけどさ、二人には感謝してるの。わたしみたいな空気の読めない奴と付き合ってくれて、本当に嬉しかった」
「おいおい、なんだそのドラマのワンシーンみたいなセリフ」
「良いじゃんたまには、カッコつけさせてよ」
「自分のこと天才美少女って言ってたの誰でしたっけ?」
先程までの幻想的な雰囲気とは裏腹に、今では俺の周りは動物園のように賑やかになった。いや、元々俺達にはこんなドラマチックな展開は似合わないと知った。
楽しい時間はあっという間に過ぎた。薄暗い住宅街の道を俺達は歩いていた。
「いやー今日は見れて良かったな。ニュースだと夜から雨だったのに降らなかったし」
「ザッキーと綾野川は途中から飽きてたじゃないか」
「飽きてねえし、星めっちゃ大好きだし、なあち―――」
青崎の言葉が途切れる。それも当然だ。先程まで俺と青崎の少し後ろを歩いていた筈の綾野川の姿が見当たらない。
「おい千華、またいつもの天然行動か? 隠れて出てこいよ」
「いや、隠れる場所なんてないよ。ここは裏路地もない一本道だよ?」
「じゃあどこに」と言おうとした青崎の表情が固まる。その視線の先を見ると、そこには一人の人間がいた。全身が黒づくめの男、俺達の前にはだれもいなかったのに、しかしそんなことよりも俺は男が腕に抱える千華に目がいく。
「・・・やっぱり違う。あの人の予想と全然違うな」
状況が飲み込めないまま、男は綾野川を抱える逆の手で指を五本立てる。
「見たところ君達もこの子も、まだ不安定な覚醒だな。・・・これは仕方がないか」
ペラペラと、作り物のような笑顔が張り付いた顔が喋る。俺は咄嗟に綾野川を助けようと体が動く。男の元まで一気に距離を詰め、顔面を殴る―――筈だった。
俺の拳は何故か空を切った。最初は避けたかと思ったが違う、男と綾野川は俺の前から完全にいなくなっていた。
ザクッ
その音と同時に俺の目に激痛が走る。そして、激しく血飛沫が飛ぶ。何をされたか解らなかったかった。ただ俺の右の視界からは何も捉えられなかった。早く青崎に逃げるよう言いたい。しかし、どくどく脈打つようにくる出血と激痛で意識が飛びそうになる。立つことも出来ずに俺は膝から崩れ落ちる。
「よし、じゃあこっちが最優先っと」
ザクッ
また同じ音が聞こえた。青崎はどうなった。もう首を回すことすら出来ない。終わるのか、何もかも。俺達の思い出も未来も全て壊れていく。直感だが解る。このままだともう取り返しがつかなくなることを。
動け、動け、動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け――――。
かろうじて俺は立ち上がる。青崎は、綾野川は、あの男はどうなった。頭には頼らない。頼るのは目の前の真実だけだ。
ドンッ
その音が響いた時、俺の意識が遠くなる。
「麗月、君はボクのことなど忘れているだろう。だがボクはこの二百年、ずっと君のことを思っていた。運命の輪は断ち切れない、昔も、もちろん今もね」
意味が解らなかった。だが思考の停止は避けられずに、俺は静かに目を閉じた。
こんにちは。柊です。第二話、『始まる』が完成したので投稿させて頂きます。第二話では後のストーリーに繋がる出来事があるので、よく注意して読んでみてください。次回の第三話では主人公の世界がガラッと変わりますのでお楽しみに、ここまで読んで頂きありがとうございました。