たまご焼きとねこ、致死率三十パーセント
超短編ですー
スナック食べ終わった後の袋の油くらいの感覚で読んでいただければと思います。
THE・思い付き&息抜き
新人賞投稿作品を書かねばならんというのに。我、移り気男爵なり。
【1】
窓から差し込む朝日で目が覚めた。いい天気だ。今日は、たまご焼きを作ることにした。
布団を押しのけて、台所へと向かう。七月半ばのじめっとした熱帯夜のせいで、汗ばんだシャツが肌に張り付いているがそんなことはお構いなしだ。たまご焼きはカナちゃんの大好物。腕によりをかけて作ろう。
冷蔵庫を開けると、ひんやりとした空気が漏れ出して、まだはっきりしていなかった頭が完全に覚醒した。エッグケースから三つ、白い涙のような形の卵を片手で掴んで扉を閉めた。
扉の閉まる音を聞いたのか、カナちゃんがリビングからやってきて足元にじゃれつく。オレンジ色のふわふわした長い毛が、むき出しの脛をくすぐってくる。おそらくメーンクーンという種類のカナちゃんは、体が他の猫と比べるととても大きくて、それでいて普段は全然動かない。そのくせ、僕がご飯の支度を始めると「私もちょうだい。ごはんごはん」とでも言うかのようににゃんにゃんごろごろと喉を鳴らしながらすり寄ってくるのだ。なんとも現金な大猫ちゃんである。
突然だが、僕の彼女のカナちゃんは、たまご焼きに関してとてもうるさい。とくに塩加減。濃い目の味付けはもってのほかで、ほとんど素材の味でなければならない。そして焼き加減も重要だ。半生っぽい感じより、しっかり火が通っていて少し硬めが好き。白身の匂いが嫌いらしい。さらに言えば、調味料は一切使わない。醤油もソースもケチャップも使わない。僕は塩コショウ派だったけど、彼女に合わせることにした。なぜかって言えば、彼女が好きだからとしか言えない。少しでも共通項を増やしたいんだ。愛ゆえに。
卵をシンクで叩いた。ひびの入った部分に親指を入れてボウルに開ける。よかった、今回は有精卵じゃない。過去に一度、有精卵だった時があって、その時はカナちゃんも絶句していた。
ちゃっちゃっちゃと卵をかき混ぜた後、四角いフライパンをコンロに乗せて強火にかける。七秒ちょっと待ってサラダ油を少しだけ引いた。油が熱で玉になる。黒い鉄のスケートリンクを滑ってく。
持ち手をくりくりと動かして、全体に広げた。火力を弱火にして、卵を一気に投入する。黄色の絨毯が広がっていく。白い湯気が立って、明るい黄色だった卵は、徐々に暗い色に変わり始めた。火力を強火にして、表面にできた気泡をつぶした。
ちらりとテーブルを見ると、僕の彼女のカナちゃんが座って待っていた。ぐーっと伸びをして、大きなあくびをしている。今日も愛くるしくて胸が苦しい。でも、いつも彼女は手伝ってくれない。今はいいけど、猫の手も借りたいほど忙しい時には少しくらい手伝って欲しい。でも実は、そんな期待をするだけ無駄かもしれないと思ってる。彼女は自由だからね。
彼女との出会いは中学の時だった。雨の日のバス停で偶然出会い、恋に落ちた。しっとりと濡れた体に顔が熱くなったのを覚えてる。それは彼女も同じだったようで、すぐに僕らは惹かれあった。
周りには、遊べるようなところなんて何もなくて、山へ行ったり海へ行ったりの繰り返しだった。たまに遠出して町へ行ったりもしたけど、お互い人ごみは嫌いだから、病院だとかどうしても外せない用事があるとき以外はほとんど行かなかった。
昔のことを振り返っていると、たまご焼きが一つ完成した。
僕らは少食だから、朝はこれとパンだけでいい。なんて金欠の言い訳を、自分自身にしてみるが、悲しいだけだった。さらにたまご焼きを作り始める。
そういえば、先月行った海では大変だった。梅雨も明けていない時期だったから、その日も空は曇り空。雷がごろごろと鳴っている中、彼女はそんなの関係ないわ、と言って浜辺を駆け回っていた。あいにくの天気だったけど、楽しそうに遊んでいる彼女は、とても素敵だった。鉛色の空をキャンバスにした絵画のようだった。愛おしくて、いとをかしくて、ぼぅっと見惚れていると、突然目の前が真っ白になった。地面が揺れて、上も下もわからず、最初に感じたのは顔に張り付く砂の感触だった。はっとして顔を上げて、さっきまでカナちゃんのいたところを見た。
地面は大きくえぐれていて、そこには、赤と黒の焼きすぎたソーセージのような物が転がっていた。
カナちゃんだった。
僕は叫んだ。
叫んだ声は、聞こえなかった。落雷の轟音は、僕の鼓膜をぶち抜いたんだ。
雨が、頬にポツリと頬に落ちた。
【2】
足にこそばゆい感覚がして、はっと意識が戻された。フライパンからは、少し焦げ臭い匂いがする。残念ながら、これは食べられそうにない。僕は、そのたまご焼きをお皿に乗せて、仏壇の前まで行くと、写真の前にそれを置いて手を合わせた。焼きすぎちゃってごめんね、と心の中で呟いて、再びキッチンへ。その間ずっとカナちゃんがついて回ってきていた。可愛い奴め。
最後に、自分の分を作って、お皿に乗せた。フライパンをすぐに水につけると変形してしまうので、放置してリビングへと向かった。
足元をカナちゃんがじゃれついてくるので転びそうだ。僕はテーブルに二つのお皿を並べた。
「どうぞ召し上がれ」
僕の彼女のカナちゃんは両手を合わせた後、お箸でたまご焼きを半分に切って一口に頬張った。もぐもぐと咀嚼した後、ぐっとサムズアップ。満足してもらえたみたいで何よりです。
彼女は、のこった半分のたまご焼きをさらに小さく切って、手のひらに乗せると、足元のカナちゃんへ差し出した。ぺろぺろと舐めるように食べるカナちゃん。
この部屋にカナちゃんは二人。いや、一人と一匹いる。
僕の彼女のカナちゃんと、愛猫のカナちゃん。
先月、落雷に打たれてカナちゃんが入院してしまった時期に、僕が飼い始めたのが愛猫のカナちゃんだ。同じ名前なのは、会えない時間が寂しかったからだ。つまり、愛ゆえに、だ。
朝食を食べ終わった後、二人で手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
カナちゃんは、すぐさま立ち上がり、腕を引っ張った。そんなに焦らなくても、病院は逃げたりしないのに。
カナちゃんは事故のショックで話せなくなり、僕は耳がほとんど聞こえなくなった。その治療のために今は、病院に通っている。今日もこの後、行く予定だ。
僕は、仏壇の母に「行ってきます」と呟いて、カナちゃんと一緒に外に出た。愛猫のカナちゃんはお留守番だ。当然だけど。
僕はふと、以前テレビで聞いた話を思い出し、それをカナちゃんに言いたくなった。
「ねぇねぇ、カナちゃん、知ってる?」
カナちゃんの、大きくてくりくりっとした瞳が上目づかいで僕を見る。少し焼けた小麦色の肌と、風になびく黒髪が、綺麗だ。
彼女は、きょとんとした表情で僕を見る。可愛くて我慢できなくて、僕はそっと彼女を抱きしめた。僕の胸をぽかぽかと叩くカナちゃん。きっと恥ずかしがっているんだと思う。往来でこんなことをしたら当然そうだよね。
「ごめん。我慢できなかった」
カナちゃんは眉を八の字にして、そんなことより何を言おうとしたの! と、言いたそうだ。
「ああ、さっき言おうとしたのはね、落雷の致死率って三十パーセントなんだってさ。生きててありがとう、カナちゃん」
僕らは手をつないで、歩いた。