国家・地域②──ルミジャフタ郷
【集落名】
ルミジャフタ郷
【開郷年月日】
通暦600年頃(正確な年月日は不明)
【開祖】
タリアクリ(イグナシオ・レ・ソルフィリオ)
【人口】
400~500人
【歴史】
通暦400~600年頃まで、グアテマヤン半島には複数の部族が点在していた。彼らは半島のあちこちに集落を形成し暮らしていたが、半島全土を蛇行して流れるアムン河(※1)の氾濫に伴い、水害による食糧問題や住居問題が頻発。これにより部族間での争いが起こるようになり、半島には長らく混沌の時代が続いた。
しかし通暦600年頃、有力部族であったアティパイ族から太陽神の神子タリアクリが誕生する。当時半島の北で版図を拡大しつつあったハノーク大帝国の侵略に危機感を抱いていたタリアクリは、「我が力にて半島を統べる王となれ」とのシェメッシュの神託に従い、半島統一戦争を開始。苦難の末に全部族を平定し、一つの部族としてまとめ上げた。これがキニチ族の誕生である。
あらゆる部族の血と文化が融合することで生まれたキニチ族は、それまで半島各所に設けられていた集落を放棄。タリアクリの導きの下、アムン河氾濫の被害が最小限で済む土地にルミジャフタ郷を築き、以後現在に至るまで900年近い歴史を守り続けている。
【体制】
国家としての体系を持たない小さな集落。タリアクリ直系の子孫とされる代々の族長により統治され、森深い土地で自給自足の生活を営んでいる。
郷には族長の他にも複数人の顔役が存在し、有事の際には族長と顔役の合議によって一族の方針が決定される。また郷の至聖所であるコリ・ワカ(※2)は代々『ナワリ』(※3)と呼ばれる巫女によって守られており、このナワリもまた一族の中で非常に強い発言力を持つ(ただしナワリは普段郷民と接触することはほとんどなく、その立場は族長の諮問役としての意味合いが強い)。
軍隊や自警団のような戦力を持たない代わりに古くから男児皆兵であり、郷で生まれた男児はほぼ全員が戦士として育てられる。また遺伝的に神術使いとしての素質に恵まれた者の多い一族で、老若男女を問わず、郷の民の8割が何らかの神刻を刻んでいる(詳しくは同章「民族」-「キニチ族」を参照のこと)。
不文律ではあるが開祖タリアクリが定めた厳格な掟があり、郷民はその掟を遵守して暮らしている。狭いムラ社会での秩序を維持するべく、掟を守らない者は厳しく罰せられ、最悪の場合はグアテマヤンの森(※4)に追放されることになる。
現在では外界に合わせ、ハノーク暦を郷の標準暦として使用しているが、祝祭等は郷に代々伝わる天道暦に準拠する。天道暦の詳細については「エマニュエルについて」-「暦」-「天道暦」を参照のこと。
【地理・気候】
赤道に向かって突き出た半島の上にあるため、1年を通して気候は温暖。冬の間も雪が降ることは非常に稀だが、代わりに年間降水量の多い亜熱帯気候。
半島全体を覆うグアテマヤンの森の中に佇む郷であり、外界との交流はほとんどなきに等しい。時折ルミジャフタ郷でしか手に入らない貴重な品々を求めて行商人がやってくるものの、それ以外は衣食住すべてを郷民が自給自足で賄っている。
夏の最高気温は40℃近くまで上がるため、郷では耐熱性の高い黄黍(トウモロコシに似た穀物)やコロ芋を栽培、主食とする。また体毛の短いマルルキ羊駝や家禽などの家畜が郷の共有財産として飼育され、これを郷民全体で世話している。
家屋は『ルミジャフタ造り』と呼ばれる高床式の丸太小屋で、屋根は草葺き。床が高いのは高温多湿地域ゆえ、床板が地面に接していると地中の水分を吸収して腐りやすいためである。またアムン河の氾濫に対する備えでもあり、河の水位が上がっても床上まで浸水してくることは滅多にない。こうした水害は大抵の場合、ナワリによって事前に予言されるため、郷民は数日分の食糧を自宅に運び込んで外出を控え、水が引くのをじっと待つのが慣習になっている。
また睡眠時の暑さ対策として寝具は吊床を使用。網状の寝床の上に横になって眠るので通風性が良く蒸れることが少ない。家屋に侵入した毒蛇や毒虫から身を守る意味合いもあり、寝台を置いている家はごくわずか。木製の寝台は多湿とそれに伴う使用者の寝汗で腐りやすいことから、ルミジャフタではあまり好まれていない。
さらに公衆浴場での入浴が一般的なエマニュエルで、珍しく一家に1室風呂場があるのも特徴として挙げられる。これは冬場でも汗ばむ気候が続く土地柄ゆえ、毎日汗を流せるようにとの配慮。
また薪となる木材が無尽蔵に採れることや水源が豊かであること、蒸し暑いため湯を高温まで熱する必要がないこと、神術使いが郷民の大半を占めるため火熾こしに困らないこと、などの好条件が重なっているがゆえの贅沢でもある。
(マルルキ羊駝イメージ画像)
(バリケンイメージ画像)
【文化】
900年前から話され続けているルミジャフタ語と、外界から流入したハノーク語の2言語が今も話される珍しい郷。現在ではエマニュエルの人口の9割がハノーク語を公用語としているため、ルミジャフタでもハノーク語が日常的に使用されるが、郷に伝わる伝統的な儀式の間はルミジャフタ語が話される。
現在のルミジャフタ郷において、ルミジャフタ語は神に祈りを捧げるための神聖な言葉であり、ルミジャフタ語での祈唱はハノーク語での祈唱より威力(効果)が高い神術を行使できることが確認されている。ルミジャフタの民が祈唱にルミジャフタ語を用いることが多いのはそのため。
狩猟と農耕によって自給自足の生活を送る原始的な郷で、狩りや農作業は大抵の場合、血のつながりがない複数人の郷民が協力し合う形で行われる。これは狩りの成果や田畑からの収穫は郷の共有財産である、という考え方に基づく。ゆえに収穫物や森で採集されたものは基本的に郷民間で分け合い、一族全員で助け合って暮らしている。郷民同士の結びつきが強いのは頻繁に起こる水害や、森の危険生物から身を守りながら生活するためのキニチ族の智恵である。
郷民は男女の役割分担が明確で、男たちは郷の防衛の他、狩猟や農作業、家畜の世話などの力仕事を担当する。女たちは日常的な家事、糸紡ぎや染色、機織り、裁縫、森での採集作業等を担当。郷にはキニチ族の女たちが共同で作業する機織小屋や染色小屋があり、十歳にもなれば年上の女たちから仕事を習い始める。
機織小屋では郷民の衣類となる生地の他、『キニチ織り』と呼ばれる伝統的な敷物も多く作られる。キニチ織りは太陽をモチーフにした模様が特徴の円形の織物である場合が多く、小さいものはコースターやランチマット、大きなものはラグマットや絨毯として使用される。
このキニチ織りを求めて危険な森を抜けてくる行商人も少なくなく、郷の外(特にトラモント黄皇国)では貴重な織物として高値で取引される。黄皇国で広く使われている『トラモント模様』は、キニチ織りに描かれる太陽の模様を簡略化したもの。トラモント黄皇国はフェニーチェ炎王国の後継国とも呼ぶべき国であり、フェニーチェ炎王国の建国者はルミジャフタ郷を開いた英雄タリアクリ。ゆえにルミジャフタ郷とトラモント黄皇国の間には似通った文化が多い。
また黄皇国の建国者であるフラヴィオ1世もルミジャフタ郷とは縁深い。彼はツァンナーラ竜騎士領出身の竜騎士だったが、キニチ族のナワリに導かれてルミジャフタ郷へ降り立ち、コリ・ワカにて《金神刻》に選ばれた。黄皇国が軍事大国であるエレツエル神領国から独立できたのはこの《金神刻》の力によるところが大きく、フラヴィオ1世を導き太陽神シェメッシュの神託を与えたルミジャフタの民のことを、トラモント人は〝神託の民〟と呼んで今なお崇め続けている。
(キニチ織りイメージ画像)
【食文化】
主食は黄黍。黍粒をバラバラにして米のように調理することもあれば、乾燥させた黍粒を臼で引いて黍粉にし、小麦のように練ってパンを作ることもある。また、調理に使われる油も黄黍から抽出したもの。黄黍なくしてルミジャフタ料理は語れない。最も有名な郷土料理は『サク』。サクとはルミジャフタ語で「白色(の食べ物)」を意味し、その名のとおり黍粉を使って焼いた白いクレープ状の皮に調理した肉や魚、野菜などを巻いて食べる。これは食事を手掴みで食べる文化の名残。現在は外界文化の流入によりスプーンやフォークなどの食器が食卓に並ぶものの、郷の高齢者の中には手掴みでの食事が習慣化している者も多い。
また外ではあまり見られない食材として蛇や蛙、カタツムリも食す。酒類は黄黍から作られる『黄黍酒』という酒が最もポピュラー。非常にアルコール度数が高い濁り酒で、外の人間が知らずに飲むとひっくり返ると言われているが、郷では日常的に飲まれているためルミジャフタの民は酒に強い者が多い。なお黄黍酒は神の恵みの象徴であり、古来から神前に捧げられたり、神聖な儀式のときには必ず飲まれるなど、強い宗教性も兼ね備えている。
現在ではサボる者も多いが、食前には郷の開祖タリアクリに感謝の祈りを捧げるのが習わし。手を組み合わせて「天に坐す我らが父よ。今日も変わらぬ恵みに感謝し、太陽神シェメッシュの恩愛を敬い、愛すべき家族、友人、隣人と過ごす人生のひと時に、あなた様の加護と平穏を祈ります。栄えあれ」と唱えたのち、三角形を描くように胸の三点を衝くのが正式な祈りの捧げ方である。
【郷民性】
古来から深い森の奥に引き籠もって暮らしているため、保守的で頑固な人間が多い。ただし常に郷全体で助け合って暮らす生き方が染み着いており、大半の者が困っている相手には無条件で手を差し伸べるのが当たり前と思っている。
トラモント人ほど陽気ではないが排他的というわけでもなく、外から来る人間にも比較的寛容。しかし郷の和を乱さぬよう、幼少期から厳しい掟に縛られて育つため、規律や協調性を何よりも重んじる傾向がある(よって融通がきかない)。
その掟の一つである「戦士たる者、悪に対しては常に正義を守り、善に対しては其の献身を惜しむなかれ」は郷で最も大切にされている掟であり、ルミジャフタの民は他者を助けたり正義のために戦うことを厭わない。良く言えば勇敢、悪く言えば怖いもの知らず。ゆえに曲がったことが嫌いで、自分とは直接関わりのないことであっても、不正や不条理には率先して立ち向かっていくきらいがある。
亜熱帯地域で暮らしているものの、森の木々で陽射しが遮られやすいこともあり、肌の色はそこまで色黒というわけではない。近隣国家であるトラモント黄皇国の民に比べるとやや肌が黄色い程度。髪色は黒色の者が多く、金髪や銀髪といった色素の薄い毛髪の者は滅多に生まれない。
【宗教】
太陽神シェメッシュの神子であったタリアクリによって築かれた郷であることから、シェメッシュ信仰が非常に盛ん。外界と違って教会や教団といった概念はなく、古来より続く伝統的な信仰の形を守っている。便宜的に言えば郷の至聖所であるコリ・ワカが教会の聖堂(あるいは神殿)として機能しており、郷民の信仰の対象となっているのが特徴。キニチ族の族長が郷の運営の実務的な部分を担っているのに対し、コリ・ワカの巫女であるナワリは郷の宗教的な部分を総轄している。
このため天道暦に従って行われる宗教的儀式のほとんどはナワリが責任者となって取り仕切る。こうした儀式が郷民とナワリの唯一の接点であり、それ以外の場面で郷民がナワリと直接会ったり話したりすることはほとんどない。
ルミジャフタ郷で行われる代表的な儀式については以下のとおり。
◆クィンヌムの儀
成人した郷の男児を武者修行へ送り出す儀式。出発の日取りは本人の意思によって決定されるが、だいたい17~20歳頃に旅立つ者が多い。
郷の男児はこの儀式を終えて戻らない限り一人前の戦士と認められることはなく、尚武を尊ぶルミジャフタ郷において、クィンヌムの儀を拒否することは臆病者の烙印を押されることと同義。よってこの儀式を経ていない男児は一生を笑い者として過ごさなければならない。
「クィンヌム」とはルミジャフタ語で数字の「5」を意味し、この「5」とはタリアクリがフェニーチェ炎王国建国のために森を出たあと、外の世界で経験した5つの苦難(迫害・傷病・喪失・裏切り・飢餓)を意味する。
タリアクリの足跡を辿り、外の世界で彼と同じ苦難を乗り越えながら何かしらの武勲を立てることが儀式の主旨であり、一人前の戦士として後々武勇伝として語れるような実績を挙げない限り郷へ戻ることは許されない。
儀式の期限は特に設けられていないものの、何の音沙汰もないまま3年が経過した場合は脱落(死亡)したものと見なされる。なお近隣諸国であるトラモント黄皇国やルエダ・デラ・ラソ列侯国の一部界隈ではこの儀式の存在が認知されており、ルミジャフタ郷出身の若者は優秀な傭兵として歓迎される傾向がある。
◆成人の儀
数え年15歳の子らを集め、日盛の月の第55の日に行われる儀式。この日、新成人はコリ・ワカに併設された『太陽の祭壇』にてラプハ・パパイ(ルミジャフタ郷に伝わる伝統舞踊のひとつ)をシェメッシュに奉納し、無事成人の年を迎えられたことを報告する。「ザヨリン」とはルミジャフタ語で「巣立ち」を意味することから、一連の儀式は雛鳥が成鳥となって大空へ飛び立つ過程を暗示している。
この儀式に向けて、郷の大人たちはその年成人を迎える子らのために1年かけて晴れ着を用意する。ルミジャフタ郷の晴れ着である『ケチョリ』(※5)は霊鳥トスネネの羽根をふんだんに使うことから、男たちは危険を冒して森で羽根を探し、女たちは集められた羽根を使って晴れ着を織る。
また、息子がいる家庭では真新しい剣が用意され、成人の儀の朝に父から子へ託される。これは父が我が子を一人前の戦士と認めたことを示す通過儀礼である。
大人たちが用意したケチョリを身にまとった新成人たちは、日の出と共にコリ・ワカの祭壇へ赴きラプハ・パパイを舞う。このラプハ・パパイは男児の部と女児の部に分かれており、男児は剣舞を、女児は扇舞を奉納する。
この際、祭壇の中央で特別なラプハ・パパイを舞う役目を担う者は『鳳(凰)』と呼ばれ、新成人の中でも特に優れた者、将来有望な者が選ばれる。鳳(凰)の任命を受けることは新成人にとって最大の名誉である。
ラプハ・パパイの奉納が終わると新成人たちは巫女ナワリの祝福を受け、郷を守り、繁栄へ導く誓いを立てる。その後、新成人が帰宅すると郷を挙げての宴となり、皆で子らの成長を祝い合う。宴は夜通し行われ、日の出を迎えるまで続く。以降、郷の男児はクィンヌムの儀へ出発する権利を獲得し、旅立ちに向けて実戦的な武術を学んでいくことになる。
◆再誕祭
天道暦における満30歳、60歳、90歳、120歳、150歳を祝う儀式。ハノーク暦に換算すると数え年13歳頃、27歳頃、41歳頃、54歳頃、68歳頃に行われる儀式となる。太陽神信仰が盛んなルミジャフタにおいて「30」という数字は特別な意味を持ち、天道暦における30年はエマニュエルの皆既日食の周期と合致する。ルミジャフタ郷において皆既日食は太陽が一度死に、そして生まれ変わる神聖な現象であり、人の魂も天道暦計算で30年ごとに一度死んだのち、神々の祝福を受けて復活すると考えられている。
このため『再誕』を迎える人々は、宵の月の第55の日にコリ・ワカへ招かれ、日没と共に眠りに就く『死の儀式』を受ける。ナワリは祭壇に横たわった再誕人たちを『夜牙』と呼ばれる黒刃石の槍で突き殺す仕草をし、以降、再誕人たちは日の出まで何があろうとも目を開けてはいけない。
やがて日の出を迎える頃、ナワリが『再誕歌』を歌うことで再誕人たちの魂は浄化され甦る。郷の民は皆でこれを祝い、暁の月の第1の日は終日盛大な宴となる。
なお死の儀式の最中に何らかの理由で目を開けてしまった者は悪霊に取り憑かれると信じられ、宴には参加することができない。この者は自身に取り着いた穢れを清めるために30日間コリ・ワカに幽閉され、毎日『浄化の儀』を受ける必要がある。しかしこの浄化の儀は祭壇の間から出ることを一切許されず、毎晩黄黍酒を飲まされ、朝が来るたび祝詞と共に火の粉を振りかけられるという大変過酷なもの。儀式の間は食事も制限され、肉食が禁じられるため、幽閉が解ける頃には窶れきって帰って来る者が多い。
またこうした太陽神信仰の他にも、ルミジャフタ郷では『トスネネ』と呼ばれる幻の鳥を霊鳥として崇める霊鳥信仰も根づいている。トスネネはエマニュエルでもグアテマヤンの森にのみ棲息する珍しい鳥で個体数が少ないため、森で暮らすルミジャフタの民も滅多にお目にかかることができない。
しかし人に慣れればオウムのように人の言葉を真似る習性を持つことから〝人語を解す鳥〟として神聖視され、キニチ族に伝わる様々な神話や伝承に登場することとなった。中でも霊鳥信仰の起源とされているのが、トスネネが郷の開祖タリアクリに神託を下し、《金神刻》のもとへ導いたとされる伝説である。
この伝説によりキニチ族はトスネネをシェメッシュの使者であると信じ、〝森でトスネネを見かけた者には幸運が訪れる〟とか〝トスネネの羽根を身に着けていると太陽神の加護がある〟といった伝承がルミジャフタには今も根強く残っている。ゆえに郷の民は森でトスネネの羽根を見つけると『カラリワリ』(※6)と呼ばれるお守りにしたり、晴れ着に縫いつけて重要な通過儀礼時に身に着けたりする。
なお(天道暦での)30年に1度訪れる再臨祭(皆既日食の日に行われる、ルミジャフタで最も重要な祭事)にて、郷の民が一様に鳥の仮面を被って踊り狂うのもこのため。再臨祭における儀式は郷の民がシェメッシュの使者たるトスネネに扮し、〝死〟を迎える太陽に再生を促すことで、新しい時代の到来を祝う意味が込められている。
【冠婚葬祭・礼儀作法】
成人年齢は男女共に15歳。掟のさだめによれば成人を迎えた男女であれば結婚することが可能だが、男児の場合の〝成人〟はクィンヌムの儀を終えて正真正銘の戦士となったあとのことを指す。このため婚約を交わしていたとしても、男がクィンヌムの儀を終えて戻るまでは婚礼を上げることができず、女は婚約者の無事の帰還を数ヶ月~数年のあいだ待つこととなる。
晴れて結ばれた夫婦は結婚の証として刺青を入れるしきたりがあり、男は右翼、女は左翼の刺青を背中に入れる。刺青が片翼のみなのは、伴侶と添い遂げることで初めて完璧な存在になれることの暗示。刺青を彫る際の痛みに耐え抜くのも伴侶に対する愛情表現のひとつと言われ、基本的に離婚は認められない。
夫婦のうち一方が先に他界した場合、遺された伴侶は同じく片翼の相手であれば再婚を許される。しかし未婚の異性と結ばれることは不貞と見なされ、掟に照らして厳しく罰せられるのが常。特に女性は結婚するまで固く貞操を守ることが義務づけられており、未婚のうちに姦淫した者は罰として一生結婚することが許されない。こうした非常に厳しい貞操観念は、郷の開祖タリアクリが最愛の妻カチャを敵対部族に奪われ強姦された歴史に由来すると考えられている。
なお近隣の森の中には『逢い引き小屋』と呼ばれる樹上家屋がひっそりと設けられており、夫婦が交わる際の隠れ家として利用される。これは吊床を使っての性交渉が困難であるためで、小屋の中には蛇除け・豹除けの香が常備されていることから、安心して寝泊まりすることが可能。使用中の小屋は登り口に明かりを下げる決まりになっているため、基本的に他の夫婦と鉢合わせる心配はない。
葬法は土葬を採用しており、墓地は郷の西に設けられている。この墓地の外れには東を見据えるタリアクリの彫像が佇んでおり、彼の眼差しは再生への道標。これには死者の魂が一度(西に)沈んだのち、太陽と共に東からまた昇り、無事に輪廻転生できるようにとの願いが込められている。
ちなみにエマニュエルでは一般的に人は死後、魂のみの存在となって地上と天界をつなぐ《白き剣峰》へ招かれ、そこから天樹へ召されると考えられている。しかしキニチ族はまったく違う死後の世界を信じており、彼らは死ぬとトスネネが迎えに現れ、かの鳥に導かれて太陽へ至るという。そこでシェメッシュに拝謁し、生前の罪や穢れをかの神の炎で焼き清められたのち、暁の神であるザラの歌に乗って天樹へ召されるとか。しかしあまりにも重い罪を犯した者のもとへはトスネネは訪れず、行き場を失った魂は魔界へ引きずり込まれ、魔物と化すと信じられている。
また彼らはコリ・ワカを象徴する図形である三角形を神聖視している。このため衣服の刺繍や装飾品には三角形を組み合わせた模様が使われることが多い。
キニチ族の最敬礼である『聖三角』もそうしたコリ・ワカ信仰の表れ。現在では両手の掌を合わせ、深々と一礼する形が定着しているが、本来は両手を組み合わせて三角形を作り、それを胸に当てて一礼するのが正式な形である。なおこの聖三角がトラモント黄皇国に伝わった結果、新たな解釈と簡略化が加えられ、拱手というまったく別の敬礼が生まれた。敬礼の際に唱える「この出逢いを神に感謝します」という決まり文句も、黄皇国ではまったく異なる言語に置き換わっている。
【特産品】
・キニチ織り
・カラリワリ
・緑豹の毛皮
・鰐革
・蛇革
・黄黍酒
・樹液酒
・コロ芋(一口大のコロコロした芋。栄養価が高く日持ちする)
・ウピの実(マンゴー大の非常に甘い果実。齧りつくと溢れるほどの果汁が出る)
・岩塩
・香辛料
【友好国】
◆トラモント黄皇国
建国者フラヴィオ1世に《金神刻》を与え、エレツエル神領国からの独立戦争にも加勢した関係で、黄皇国とは古くから不可侵条約が結ばれている。
表立った交流こそないものの、トラモント人からは〝いざというとき助けてくれる頼もしい隣人〟と思われている節があり、ルミジャフタ郷の出身というだけで大袈裟に歓迎されることもしばしば。なおトラモント人に「ルミジャフタ」という名前は馴染まず、「太陽の村」と呼ばれている。
【イメージBGM】
◆ルミジャフタ郷
https://youtu.be/Trb1Qdj-tn8
◆グアテマヤンの森
https://youtu.be/Z__6SvgpGVc
(※1)
アムン河とは、グアテマヤン半島を大きく蛇行しながら縦断する大河のこと。土地の傾斜がゆるやかなため河の流れも非常に遅く、1年を通して水が濁っている濁り河として有名である(イメージは南米のアマゾン川)。
長雨が降る度に氾濫を繰り返し、ひどいときには河川の規模が3倍にまで膨れ上がる。ルミジャフタの家屋のほとんどが高床式なのは、このアムン河が氾濫した際、溢れた水で郷全体が巨大な沼地のようになるためである。
なおエマニュエルでは水兵や漁師でない限り、水泳の能力を身につけている者はほとんど存在しないが、ルミジャフタの民はアムン河と共生するために必ず泳ぎの技術を叩き込まれる。これはアムン河の氾濫に備えた措置だが、誤ってアムン河に転落した際、命を守るために必須の能力でもある。
というのもアムン河は野生のワニや人食い魚、大蛟(※7)といった危険生物の宝庫であり、飛び込んだが最後、たちまち野生動物の餌食となってしまう。ゆえにルミジャフタの民はいざというとき泳いで河から脱出を図れるように、幼い頃から水泳の技術を学ぶのである。
(※2)
コリ・ワカとは、ルミジャフタの民の信仰対象となっている古代のピラミッド。かつて郷の開祖タリアクリが太陽神シェメッシュの神託を受けた場所であり、のちにトラモント黄皇国の建国者フラヴィオ・ヴァレンティーノが《金神刻》を手に入れた場所でもある。
上記の歴史的事実からも明らかなように太陽神シェメッシュと深い関わりを持つ遺跡であり、現在ではキニチ族の至聖所として扱われる。コリ・ワカとその近辺は不可侵の聖域と考えられ、郷の者も特別な儀式のとき以外には近寄らない。
このため代々『ナワリ』の称号を受け継ぐ巫女が遺跡の管理を担っており、ナワリと郷の民をつなぐのがキニチ族の族長の役目。なお「コリ・ワカ」とはルミジャフタ語で「金色の聖所(太陽の神殿)」を意味し、ピラミッド型をしているのは太陽が昇って沈む様を三角の形で表しているためである。遺跡の内部にはナワリが毎朝祈りを捧げるための祭壇と壁を埋め尽くす膨大な量の壁画があるのみ。この壁画は代々のナワリが天道暦における〝第1の時代〟から受け継いできたキニチ族の歴史書であり、暦の一部として1年ごとに新しい壁画が継ぎ足されていく。
郷の歴史が文字ではなく壁画で表されているのは、キニチ族が文字の文化を持たないため。外界との交流により、近年はハノーク語の読み書きができる者も増えているが、コリ・ワカでは未だにこの伝統が守られ続けている。余談ながら「ルミジャフタ」とはルミジャフタ語で「石の町」を意味する言葉。木造家屋だらけの集落がこのように名づけられた由来は不明だが、恐らくは石造りのコリ・ワカに寄り添う郷であることからこの名がつけられたのではないかと考えられている。
(コリ・ワカイメージ画像)
※カンボジアのコ・ケー遺跡。画像引用元↓
http://ситур.рф/strany/dostoprimechatelnosti-kambodzhi/
(コリ・ワカ壁画イメージ画像)
(※3)
ナワリとは数十年に1人、キニチ族の中から選ばれるコリ・ワカの巫女。郷の至聖所であるコリ・ワカの守護と管理を担う存在で、郷の民からは畏敬の念をもって崇められている。
「ナワリ」とは「妖術師」を意味するルミジャフタ語で巫女個人の名前ではない。ナワリに選ばれた者はコリ・ワカへ入るための『洗礼の儀』を受ける際に俗世で名乗っていた名前を捨て、以後「ナワリ」と呼ばれて暮らすようになる。その名が示すとおり、代々のナワリはエマニュエルでも有数の妖術使いであり、妖力によって傷病を癒やしたり予言をもたらしたりすることが可能。また100~200年程度の長寿を誇り、常人に比べて肉体の老化も非常にゆるやかである。
彼女らが暮らすコリ・ワカは郷でも不可侵の聖域ということになっているため、ルミジャフタの民もナワリが普段、遺跡でどんな生活を営んでいるのかほとんど知らない。郷民がナワリとの接触を許されるのは、年に数回行われる伝統的な祭事のときのみ。ナワリとなる娘は成人を迎える前にナワリによって指名され、コリ・ワカへと引き取られる。なおナワリは妖力を維持するため、肉食と性交を禁じられており、一生を処女として過ごすことが義務づけられている。
(※4)
グアテマヤンの森とは、グアテマヤン半島を覆う密林のこと。エマニュエルでも有数の迷いの森として知られ、招かれざる者が踏み込めば森に呑まれて二度と戻れないと言われている。
非常に豊かな自然と独自の生態系が形成されていることでも有名で、エマニュエルを見渡してもこの森でしか見られない生物が何種も存在する。しかし中には人間を襲う危険種も多く、それらの生き物を警戒して、キニチ族すらも単独で森の中を歩き回ることはしない。緑豹や人食い花といったグアテマヤンの森独自の動植物については「文化・自然」の項目で詳しく解説する。
(※5)
ケチョリとは、キニチ族が重要な通過儀礼の際に着用する晴れ着のこと。ルミジャフタ語で「貴重な羽根」を意味し、具体的には成人の儀、婚礼、葬送(死に装束)のときのみ着用が許される。赤や黄色、緑といった鮮やかな色合いの紗をふんだんに使った衣服で、装飾の一部にはトスネネの羽根も使用される。ケチョリがいずれも鮮やかな色をしているのは七色の翼を持つトスネネを模した衣服であるため。装飾にトスネネの羽根を使うのも同じ理由である。
ケチョリの着用が許されている儀式はいずれも〝旅立ち(巣立ち)〟が関係しており、ケチョリには「新しい門出にトスネネの導きとシェメッシュの加護がありますように」という願いが込められている。一度贈られたケチョリはよほどのことがない限り、丈を直すなどして生涯同じものを着回すのがならわし。
なお雨が多いルミジャフタには「雨が降ればケチョリができる(ケチョリが1着作れてしまうほど雨が長い、という意味)」という慣用句も存在する。
(※6)
カラリワリとは、トスネネの羽根を用いて作られたお守りのこと。作り手によって形は様々だが、ストラップのような形状のものが最も一般的。
トスネネの羽根と色鮮やかな組紐、木製の飾り珠などを組み合わせて作られるお守りで、家族や恋人など大切な相手への贈り物とされることが多い。「カラリワリ」とはルミジャフタ語で「不動の星(=北極星)」を意味する名前で、旅人が方角を知るためにしばしば北極星を目印にすることから、「どこへ行っても帰り道を見失わないように(必ず無事に帰ってこられるように)」「道に迷わずに済むように(トスネネの導きがありますように)」という願いが込められている。
なお青や黄色、緑、赤といったカラフルで光沢のある羽根が美しいことから、郷の外でも装飾品として人気が高い。トスネネの羽根は非常に貴重なため、郷の者は滅多に手放さないが、それゆえに外界でも高値で取り引きされている。
(※7)
大蛟とは、アムン河に棲息する大蛇のこと。体長は5~7mにもなり、普段は白い鱗に青色の斑模様という毒々しい見た目をしている。しかし陸に上がるとカメレオンのように体色が変化し、白い鱗が緑色になるため森の中では発見が困難。牙には即効性の神経毒を持ち、獲物を麻痺させたのち丸呑みにする習性を持つ。
普段は河の中で生活する水蛇だが雨の日には陸に上がって狩りをし、大型の獣はもちろん人間をも捕食する。ゆえにルミジャフタの民は大蛟を恐れ、雨の日には決して森に立ち入らない。かつてはアムン河が氾濫する度に溢れた水の中を泳いで人里へ襲来し、人を襲ったことから、グアテマヤン半島では長らく恐怖や災いの象徴として恐れられてきた。現在もコリ・ワカの壁画に大蛟の姿が繰り返し描かれているのは、郷に降りかかった災いや水害を大蛟という記号で表しているためである。