026話 馬上にて
元亀二年(1571年)四月 【越中】にて
馬に揺られながら越中から越後へと続く道を進む謙信は苦い思いを胸に抱いていた。
昨年に引き続き、またしても松倉城に籠る椎名康胤を討ち果たせず越後に帰る事になった。
いや松倉城を落とせなかった事だけではない。
椎名康胤だけの問題ではない。
越後国主として立ってから二十余年。
これだけの年月を掛けて自分は何を為したのか……
二度の上洛を果たして、天子様に拝謁し、将軍様にお会いし、官位を戴き正式に関東管領のお墨付きを戴こうとも、我に従ぬ者は多い。
関東諸将の国人領主どころか越後の有力国人領主でさえ、反旗を翻した事が何度もあった。
関東に出陣し始めてからでも、もう十有余年経つ。
当初の目的は前の関東管領、上杉憲政様を関東より追い出した北条を打ち破り、関東に静謐を齎す事を望みとした。
それも果たせなかった。
関東に出陣し始めた頃には関東諸将が参集し十万の軍勢が集まった時さえあったのにだ。
今にして思えば、あの機会を生かせなんだは痛恨の極み
あの頃に比べ上杉を見限った関東諸将は多い。
今や北条の地盤は盤石となり、武田の浸食は激しい。
だからこそ妥協して北条との盟約を受ける事にした。
自分は何も為していない……
二十有余年、越後国主としてありながら何も為していない……
そこに忸怩たる思いがある。
自分を毘沙門天の生まれ変わりと嘯こうとも、戦上手と讃えられようとも、義の為に戦っていると大義を掲げようとも、何も為していない。
ただ、戦場から戦場へと駆けずり回っていただけだ。
今も同じだ。
己の力不足を痛感する。
そしてもう一つ……
嘆息する。
何故、人は大義の為に戦おうとしないのか……
大義の為と考えるなら道は一つの筈。
しかし、大義を理解しない者は多い。
越後にさえそういう者は少なからずいる。
振り返れば随分と越後の国人領主達に足を引っ張られたものよ。
それでも戦わねばならなかった。
越後に静謐を齎し、関東に静謐を齎し、その先に天下の静謐を齎すために。
だが、今の己はどうか……
越中の片隅にある城さえ落とせず越後に戻ろうとしている。
不甲斐ない。
嘆かわしい。
故に神仏に縋らずにはいられない。
その力をあてにせずにはいられない。
情けなき事よ……
ふと養子になった景虎の顔が浮かんだ。
松倉城攻めの最中、武田が徳川を攻めたとの報が届いた。
またもや、あやつの言う通りになったか……
北条との盟約には忸怩たるものがないわけではないが、越後国主として関東管領としてそれを表には出さぬだけだ。
だがあの景虎を養子に迎えた事だけは僥倖だったやもしれぬ。
あの知略は本物と見た。
あの知略を今後も生かせるならば、上杉にとって掌中の珠となろう。
あとは武勇を示せるか、だが……
まだ若いし越後に来たばかりではあるが、試してみるのも悪くはないか……
そう思惟しながら少しは気分が晴れた謙信は、左手に見える海を横目に微かに笑みを浮かべるのだった。
【つづく】