022話 お正月 その②
元亀二年(1571年)一月 【越後国 春日山城】にて
「景虎殿、昨年の武田の動きを言い当てたのはお見事でござった。そこで今年は武田がどう動くか一つご教示願えますかな?」
と、直江景綱殿が赤ら顔でそう言って来た。
現在、春日山城にて、新年を祝う宴会の最中だ。
みんなかなりの酒が入っており、無礼講に近い雰囲気になってきている。
上機嫌な者やら泣き上戸の者やら笑い上戸の者やら色々いて騒がしい。
そんな中、直江景綱殿が話しかけて来た。
座がその声に静まる。
みんなが聞き耳を立てていた。
義父上(謙信)を見てみると、こちらを見て頷いた。
好きに話せという事か。
ならば、俺の地位向上の為にこの場を利用させてもらおう。
「されば、酒の座興に一つ。
信玄公はすぐにも動きましょうぞ。恐らくは正月が過ぎればすぐにでも。その動く先は駿河になりましょう」
「まさか……」
直江景綱殿が信じられないという感じで言葉を漏らした。
「ぶっ」と酒を吹き出しゲラゲラと笑い出したのは北条高広殿だ。
刈羽郡北条城(現代の柏崎市北条)に本拠を構える国人衆だ。
江戸時代に書かれた「北越軍談」では「無双の勇士」と評されている。
義父上(謙信)に二度、背いた過去があり当然の事ながら二度とも敗北している。一度目は武田信玄、二度目は北条氏康についた。
しかし、義父上は許し以後もそれなりの扱いをしている。
結構、粗忽者らしい。
だから調略に乗せられてしまったのかな。
それ故だろうか江戸時代に成立されたとされる越後十七将にも上杉二十五将にも選ばれていない。
だけど御館の乱では景虎側に息子と共に味方してくれた人物だ。
「無い無い無い、それはありえませんぞ景虎殿、それは無い、正月過ぎに直ぐ動くなど」
北条高広殿が、そう言って笑っている。
他にも笑っている者が何人もいる。
笑われても構わない。
怒らない、怒らない。
どうせあと半月もすれば、俺の言った事が事実だとわかるのだ。
ここは大きく構え鷹揚なところを見せておこう。
「景虎殿、一月に武田が軍勢を動かした例は無いのです。正月の上に冬ですからな。年越しで対陣が長引いた事はあってもわざわざこの時期に軍勢を動かすなど……」
上杉家の一門衆である山本寺定長殿もそう言って首をふった。
山本寺家は越後上杉家の傍流で上杉山本寺家とも呼ばれる越後での名門だ。
史実では俺、景虎の後見役になっているんだけど、何故かこの歴史ではなっていない。
何でだ?
それはともかく、この山本寺定長殿も、御館の乱で景虎側に味方してくれた人物だ。
そして越後十七将にも上杉二十五将にも選ばれていない。
何というか、御館の乱では景虎側に味方した武将は殆ど越後十七将にも上杉二十五将にも選ばれていないんだよね。
まぁ江戸時代に成立したものだし、景勝殿の敵になったんだから上杉家からすれば、反逆の輩となるのだから当たり前かな。
その割には北条高広殿の嫡男で、景虎側で奮戦した北条景広は上杉二十五将に選ばれているんだけど。
それはともかく、北条高広殿と山本寺定長殿の言に賛同する者がやはり多い。
「いかにも」
「その通り」
そう言って頷いてる。
まぁ無理も無い。
実際には過去に一月に兵を動かした例はあるけど、それは大きな戦ではないから見逃すか忘れていても仕方が無いだろう。実際、極めて稀な例なのだ。
だが、それをここで声高に言うのも相手の面子を潰す事になる。
敵対したいのではないし、やり込めたいのでもない。好意を持ってもらい最終的には味方に付けたいのだ。
取り敢えず、穏やかな口調で明るく言っておこう。
間違っても喧嘩を売るような口調になってはだめだ。
「過去の事例が必ずしも未来を約するわけではありませぬので。それに信玄公は焦っておりますからな」
「焦り、ですか?」
そう問いかけて来たのは、囲碁の席で俺に警告してくれた事のある山崎秀仙殿だ。
その問いに頷いて言葉を続けた。
「そうです。焦りです。織田の動きを信玄公はよく思っておりませぬ。
織田を京から引きずり下ろしたいのです。
しかし、武田の周りは敵だらけ。
そこで駿河攻めです。
この攻めは北条を叩き潰そうというものではありません。
嫌がらせなのです」
「嫌がらせ、ですか?」
山崎秀仙殿が再び問うてくる。
「はい。その本意は北条に再び武田と盟約を結べということ。
盟約を結ばねばいつまでも攻め続けるぞ、という嫌がらせです。
北条としても上杉とは結びましたが、武田の他に関東で里見氏や佐竹氏という敵がおります故、東西に敵があり楽ではありませぬ。だから武田と盟約を結び直せと攻めておるのです。
そして武田が再び北条を味方につければ、駿河方面は安泰。
更に当家は北条と越中という二正面の戦いを強いられ武田にはそうそう手を出せなくなります。
これで武田の東は安全。
それで武田は西へ動けます。
その為の布石。そのための駿河攻めですよ」
「理屈はわかり申したが、それでも兵を出すのはもっと後になるのではないですかな?」
直江景綱殿がそう言って来る。
「そこが信玄公の焦りです。
周りが敵だらけの信玄公は一日も早くこの状況を脱したいと考えておりますからな。
越後が雪に閉ざされ当家の動きが鈍い今のうちに事を進めておきたいのです。
それに既に当家が徳川と結んだ事は信玄公の耳にも入っておりましょう。
嫌がらせの駿河攻めは短く終わり、義父上が越中攻めを行えば、その隙を突き今度は徳川を攻めましょう。
今年の信玄公はいつにもまして戦漬けの年となりましょうぞ」
「それが当たりますかな?」
半信半疑、という色合いを色濃く言葉に乗せて来たのは隣に座る山浦国清殿だ。
武田信玄に国を奪われた村上義清の実子で、義父上(謙信)の猶子となり、義父上の養女を娶った、言わば俺の義兄だ。
猶子と言うのは言わば養子の一種だ。父になった者が子になる者の後見人になるようなものだ。
この時代の猶子は、父となった者の家や財産を継ぐ事はない。
だから、史実において義父上(謙信)が亡くなった時、家督をめぐる争いで猶子の山浦国清殿の名が後継者として出る事はなかったのだ。
この山浦国清殿は御館の乱では景勝側に付き敵となっている。
今回の歴史では味方にしたいね。義理とは言え他家から来た者同士の誼で。
「時が来ればわかりましょう。
なぁに、若輩者の某が酒の余興に話した戯言ですよ。さ、さ、義兄上お一つ」
そう言って山浦国清殿の盃に酒を注いだ。
皆もそれぞれ隣の者達とガヤガヤと話し始めた。
俺の話しの内容についてだ。
義父上にちらっと視線を向けると目が合った。
そして頷いている。
ふむっ。
俺の話しを肯定的にとらえてくれたのか。
それともこの場を和やかにやり過ごしたのを評価しての事なのか。
まぁ兎にも角にも、これで後は時が来るのを待つだけだ。
俺の言う事が当たり、皆、驚く事になるだろう。
それで俺の評価が上がれば、万々歳だ。
【つづく】