020話 宗教かぶれ
元亀一年(1570年)十二月 【越後国 春日山城】にて
義父上が突如「不識庵謙信」と名乗ると言い出した。
これで後の世で言われる「上杉謙信」の誕生だ。
「不識」と言うのは西暦502年に梁を建国した武帝と、禅宗の開祖となる達磨大師の間に交わされた問答からきているらしい。
武帝が達磨大師に「あなたは何者か?」と尋ね、
達磨大師は「不識(知りません)」と答えたらしい。
この「不識」という返答について宗教的、哲学的意味合いから色々な解釈が後世においては語られている。
義父上は、この「不識」について「無心の境地にて生を全うする事ぞ」と言っていた。
まぁそれはいいのだが、どうも義父上の度を過ぎた宗教への傾倒には、小一時間ほど説教してやりたい気分になってくる。
いや、ほんと宗教かぶれも大概にしろと言いたい。
自身を毘沙門天に例えたり、ここ春日山城にて護摩壇でお経を唱えるぐらいはいいだろう。
だが、しかし春日山城から出陣していく時に軍勢に加えられているアレは何なのだ。
アレとは数々の仏像だ。
毘沙門天、大日如来、聖観音、不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王、その他にも多くの菩薩だの如来だのの仏像も運び、僧達さえ連れて行く。
神や仏に縋って戦に勝てるか! たわけ! うつけ! まぬけ! と本気でドヤしつけたくなってくる。
経験則で物を見ろよ! と言いたい。
義父上、これまで、あなたは何十回戦場に立ったんだ。それで全部の戦に勝ちましたか?
それだけの仏像や僧を伴い、神や仏に縋ったって、必ずしも全ての戦で勝ててるわけではないだろう。
いい加減気付けよ!
神や仏に縋って勝てるなら、それこそ今頃は巨大宗教勢力の一向一揆、つまりは本願寺が天下を取っているわ、たわけ!
だいたいやね、それだけ大量の仏像を運び僧達を引き連れていくという事は、ただでさえ金のかかる戦に更に無駄な出費を増やし、消費する兵糧を増やしているようなものだろう。
後方の負担を重くしてどうすんだ、このボケ!
神や仏に縋らんでも勝つ時は勝つ、負ける時は負けるもんだ。
そもそもパピー、あなたは口癖のように言ってるじゃないか。
「勝敗は一つに将帥の心術如何にある」って。
と、思わず心の中で義父上に文句をつけまくってしまった。
いや、ほんと義父上の宗教かぶれには、ついていけないものを感じている今日この頃です。
【つづく】