018話 上杉の武士
元亀一年(1570年)十月 【越後国 春日山城】にて
義父上が越中から帰還した。
椎名康胤は征伐できなかった。
椎名康胤の籠る松倉城は守りが堅く短期間で陥落させる事が出来ない為、関東の状況が気になる義父上は取り敢えず、城攻めを打ち切ったという事らしい。
春日山城に戻った義父上は、改めて今、評定を行っている。
関東に兵を出すか、出さぬか、その為の評定だ。
北条から援軍の要請が重ねて来ているしね。
先々月、俺を吊し上げていた者達のうち幾人かは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
俺の言う通りになったので不愉快なのだろう。
だが他の何人かは俺に対して険のある目つきが消えている。
少しは俺を見直した。もしくは俺を正当に評価しようとしているのだろうか。
ともかく、どれだけいるかはわからないが、現在いる反景虎派とでも言うべき者達が、少しでも考えを変えて減ってくれれば有り難い。
反景虎派の人達に敢えてこちらから喧嘩を売るような真似をする気はない。
「北風と太陽」の童話の如く、無理強いをせず地道にやって味方を増やしていくつもりだ。
それにしても評定の空気は未だ反北条という感じだ。出兵に賛成の意見が出てこない。
「北条は盟約の条件にある領地引き渡しを履行していないのに我が軍が動く必要がありましょうか」
「まずは北条が盟約の義務を果たすべきかと」
「北条にいい様に使われては上杉家の名折れ」
反対意見が大勢を占めている。
しかもこれらの声は先々月、俺を吊し上げていた者達とは違う者達の声だ。
北条が盟約の条件を果たしていない事もあるだろうが、やはり上杉家家中には反北条の空気が色濃く残っている。
しかしだな、君達いかんよ。それはいかんよ。
視野を狭めてはいかん。
全体を見なくては。
そんな事をつらつら考えていたら義父上からお声がかかった。
「景虎、そちの意見を申してみよ」
「はっ。
さすれば皆様の北条に対するお怒りは至極ご尤もなれど、さりとてそれを理由に武田の跳梁を許して良いものでありましょうや?
先日まで義父上が越中で戦っていたのも武田の手が伸びて来た故にございます。
北信濃においても武田は昨年来より飯山城に狙いを定め支城を陥落させてきております。
そして、今、武田は武蔵にまで手を伸ばしております。
年々、武田の威勢は強まるばかり。
元々武田が関東に進出して来たのは、上杉、北条よりも随分と遅れての事。
されど、今や西上野の武田の支配は盤石と言っても過言ではありませぬ。
武田は決して侮れませぬ。
ここで手を拱いていては、増々武田は大きくなりましょう。
それに加えて、もし出陣致さぬともなれば東上野で今も戦っている上杉方の者達はどう思いますでしょうか。
それらを鑑みれば出陣致さぬが事が上杉にとって本当に正しき事にございましょうや?
某にはそうは思われませぬ。
ここは北条のために兵を出すのではなく上杉のために兵を出し武田と戦うべきだと某は愚考致しまする」
そう言って一度頭を下げる。
頭を上げてから評定にいる者達をぐるりと見回してみた。
ふむ。何人かはバツの悪そうな、悪い夢から覚めたような表情をしている。
うんうんと頷いている者も何人かいるぞ。
流れは変わったか。
北条とのいざこざなんざ小さな事だとやっと気づいたか。
そうだよ。味方を見捨てる事はできんだろうが。
なんで北条から来てまだ半年かそこらの俺がそれを指摘しなけりゃならんのだ。
それに武田をなめたらあかんぜよ。
武田信玄は一代で国をあれほど大きくした傑物だぞ。
逆に家を大きくできず滅ぼした者達が、この戦国の世でどれだけいる事か。
武田信玄に隙を見せる事は許されんよ。
まぁその武田信玄は俺が武田での人質時代に義父だった人物でもあるがね。
あぁそれもあって俺に対して風当たりの強い者もいるのかな。
やれやれだな。
相模の獅子、北条氏康を実父に持ち、甲斐の虎、武田信玄と越後の龍、上杉謙信の二人を義父とした男、それが俺、上杉景虎なんだけど、その派手な看板とは裏腹に内実は苦労ばかりで、いつも向かい風に晒されているようなもんだ。
たまには温かい風に吹かれてみたいもんだよ。
ここでもう一言加えておこう。
「加えますれば、此度、関東に出陣致すならば、北条にはきちんと盟約の条項を履行致すよう念押ししておくのがよろしいかと。上杉ばかりが盟約を守り北条が守ろうとしないのなら手切れも辞さぬと釘を刺してはいかがかと存じます」
どよっと空気が動いた。
評定の場にいる者が一斉に俺を凝視しどよめいたからだ。
北条と上杉の架け橋になるべくやって来た北条宗家の血を引く俺が、北条との手切れを交渉での手札にとは言え、口にしたのだ。驚きもするか。
「景虎殿、北条との手切れも辞さぬとは、それはご本心からのお言葉ですかな」
越後の鍾馗との異名をとる勇将、斉藤朝信殿が問い掛けて来た。「越後十七将」の一人でもある。
この人も「御館の乱」では景勝側についている。
「如何にも。
正直に申しまして、此度、上杉が出陣し北条に手切れも辞さぬと釘を刺したところで、北条は盟約を守りますまい。
ですが、ここで釘を刺しておけば、北条に対して言い訳の利かぬ明白なる大義名分を得られましょう。
上杉が一方的に手切れをいたしても義は上杉に在り申す」
「もし、それで手切れになった場合は景虎殿のお立場がなくなるのでは」
今度は竹俣慶綱殿が問い掛けて来た。「越後十七将」には入っていないが「越後二十五将」には選ばれている人物だ。そして、この人も「御館の乱」では景勝側についている。
「構いませぬ。大事なる事は上杉にとり、どれがより良き道かという事。
それに比べれば某の立場などどうという事はござらん」
「そうは言っても、それではご実家に対する面目も……」
直江景綱殿が俺の面目を心配するかのような事を言う。
「某の出自はどうあれ、今は上杉の武士にござる。上杉を第一と考え申す」
またもや、どよっと空気が動いた。
評定の場にいる者達が再びどよめいたのだ。
まぁ十代の若造がこうもはっきりと実家との決別を口にすれば感じるところもあるか。
「景虎、その言葉、義父として嬉しく思うぞ」
「はっ」
「武田を押さえる為に越山し北条には強く釘を刺す。誰ぞこの案に異論がある者はおるか!?」
義父上が評定に出ている者達全員に問い掛ける。
直江景綱殿が一同を見回した後、異論が出ないようだと見ると代表して義父上に答えた。
「ございませぬ」
「うむ。ならば出陣致す! 敵は関東を喰わんとする武田! 準備を致せ!!」
「「「「「「「「「「「はっ!!」」」」」」」」」」」」
皆が声を揃え頭を下げる。
これで関東への出陣が決まった。
さて、この場にいた皆さんの俺への評価はどうだろう。少しは上がってくれたかな。
少しでも上がれば嬉しいのだが。
しかし、義父上も忙しいね。
年に何度もあっちこっちで戦だ。
俺にはとても真似できそうにない。
あっ、そう言えば義父上は三河の徳川家康と手を結ぶ事を決めた。だから「越三同盟」も成立したよ。
【つづく】