017話 苦悩
元亀一年(1570年)九月 【越後国 春日山城 三の丸】にて
上杉景虎の家老、遠山康光は悩んでいた。
わからない。
全くわからない。
どうにもわからない。
主君、景虎の事がわからず康光は悩んでいた。
あまりに、そのう……景虎様は普通の若者とは違い過ぎる。
奇矯なところが多い。
はっきり言って、その行動が理解できない。
だが、康光は決して景虎を嫌っているわけではなかった。
むしろその逆であり、大切に思っている。
何故なら康光は景虎の叔父にあたるからだ。
康光の妹が北条宗家の三代目、氏康の側室となり、そして景虎(当時の幼名は竹王丸)が誕生した。
だが、側室となった妹とその子供はあまりにも恵まれなかった。
氏康様の正室にうとまれ、妹は虐められて体を悪くし早くに亡くなってしまった。
幼き竹王丸様は寺に入れられ顧みられる事はなかった。
竹王丸様が呼び戻されたと思いきや、それは武田への人質に出すためだった。
氏康様は、この遠山の家をどうお思いなのか!
妹と甥の事を思う度に、そう憤らずにはいられない。
今は亡き妹が哀れだった。
武田への人質になった甥が哀れだった。
八年も武田で人質として暮らしていたのだ。
だから北条に戻って来た時は嬉しかった。それも幻庵殿の娘婿になるという。
これで報われたと思った。
それがどうだ。婿入りして半年と経たずに、またもや甥は上杉に人質に出される。
思わず拳を握りしめるほどに怒りがわいた。
どこまで我が甥は愚弄されねばならんのか!
これでは亡くなった妹もあの世で嘆いていよう。
かといって現状では甥を守って遠山の家が北条を離れるのは難しい。
所領の位置から言って北条に背くのが悪手となるのは目に見えている。
我慢しなければならなかった。
だが、可愛い甥を、妹の忘れ形見を、これ以上、たった一人で苦難の道を歩ませるのは忍びなかった。
だから自ら申し出て甥の付家老として上杉に行く事に決めた。
既に我が家は長男が立派育っている。家督を譲っても問題は無い。
老い先短いこの命、どこまで役立つかはわからないが甥の為に捨てる覚悟をした。
そこには家を割る計算もありはした。
どうにも今の北条家は頼りない。
氏政様は氏康様に比べ、あまりにもご器量が劣る。
これから先、万が一の事があるやもしれぬ。
だから我が長男は北条に残したが、次男と娘は越後に連れて来た。
北条から来たのだから風当たりが強いのはわかっている。
だが、これも戦国の世を切り抜け遠山の家を守るため。
景虎様と共に上杉家家中に確りとした立場を築きたい。
それが景虎様と遠山家の将来のため。
そう思っているのだが……
どうにも景虎様がわからない。
養蜂を始めたり、蒲公英を栽培させたり、蒲公英で薬を作らせたり、今度は椎茸を栽培するという。
まるで武士らしくない。
それでは町人か農家ではないか。
一体、何をお考えなのか……
しかし、武略に長けている面も見せたりする。
武田の東上野、武蔵侵攻を言い当てた事は上杉家家中でも今や評判となっている。
先日は暗殺者どもを誘き寄せ一網打尽になさった。
だが……
あの奇行は何なのか。
「◯◯◯◯◯っど流剣術」などと一度も聞いた事のない流派の剣術修行を皆に隠れてこそこそしていたのを見た時は驚いた。
「我が剣は、たいぶつらいふるのだんがんさえも斬り捨てる!」とか
「弓矢などまほうすら斬る我が剣の前には児戯にも等しい!」とか言って剣舞でも舞うように剣をぶんぶん振り回していた。
あんな大振りの剣技では戦場では役に立たんのに。
そもそも言っている事の意味がわからない。
ある時など片目を押さえているから怪我でもしたのかと思いきや
「くっ! わが目にやどりしこくりゅうが暴れておるわ。まだだ、まだお前の出番では無いぞ」と呟いていた。
いつぞやなど「幾千、幾万の時を経ようとも我が身に刻まれし、ちゅうにびょうの業は消えはしない!」と月に向かって叫んでおられた。
あれは一体何なのか。
そういう奇行は一人でいる時にだけしておられるようだからまだ救いはあるが。
目撃者も今のところは儂一人だけだから問題にはなっておらぬが。
上杉家の中には景虎様が北条宗家の血を引いている事を心良く思わない者もおるというのに。
もし、そんな者達に殿の奇行を知られればどうなるか。
それを考えると、あぁ腹が痛くなってくる。
最近は白髪が一段と増え、抜け毛も多くなった。
はぁーーーー。
そう言えば京に上った織田信長公も若き頃は奇行が多く「うつけ」と言われていたとか。
我が殿も信長公と同じく大望を果たせるような人物なら良いのだが……
【つづく】
【筆者からの一言】
本当のサブタイトルは「康光様が見てる」でした(´ー`)エヘヘ