014話 警告
元亀一年(1570年)七月 【越後国 春日山城 三の丸】にて
パチン
パチン
パチン
今、碁を打っている。
相手は山崎秀仙殿だ。
儒学者であり、その方面での義父上の師でもある。
また、上杉家における外交役でもあり、他家との交渉によく派遣されている。
義父上の信頼厚い側近だ。
そして「御館の乱」では景勝に付き景虎の敵になった男でもある。しかも大きな働きをしており、それが景虎敗北の一因ともなっている。
その秀仙殿が今朝、突然、我が屋敷を訪ねてこられ、にこやかに「一局どうですかな?」とのたもうた。
俺も碁は好きな方なので断る理由も無いからお相手をする事になった。
パチン
むっ! 秀仙殿のこの一手は……
最良の一手というわけではない。
だが、最低の一手というわけでもない。
これは俺を試している!
俺の力量を測っている!
それも、それなりの高みから!!
だが、残念だったな秀仙殿!
あなたでは届いていない! 本因坊秀策(囲碁界史上最強との呼び声も高い江戸時代の棋士)の高みには!
まぁ俺も届いていないけど。
そんな、つまらんどこぞの囲碁漫画ネタを頭の中で垂れ流しつつ碁石を打つ。
パチン
おっ秀仙殿が長考に入った、と思ったら話しかけて来た。
「最近は蜂と蒲公英にご執心と伺っておりますが?」
ふむっ。今日訪ねて来たのは、それが本題かな。丁度いい。メッセンジャー役になってもらおうか。
「はい。外つ国の知恵をうまく活かせたようで養蜂に成功致しました。蒲公英もその一環にございます。
ここに、養蜂の仕方をしたためました故、義父上にお見せいただけますか。
できれば国人衆の方々にも義父上から養蜂の仕方を広めていただき、多少なりとも越後に益を齎せればと思う所存です」
そう言って、これまでに書きまくって来た養蜂指南書の一冊を秀仙殿に手渡した。
手渡された養蜂の指南書を興味深く見始めた秀仙殿だったが、項をめくる度に表情が厳しくなっていく。
「これは景虎殿が書かれたのですかな?」
「如何にも。お恥ずかしい限りですが」
「なんの、見事なものです」
「しかし、蜂蜜とは高価な物。その取り方を広めてしまっては景虎殿の益が損なわれるのでは?」
「構いません。某への益など小さな事にございます。全ては上杉家のため越後のために。その一念にございます」
「北条家ではこの養蜂は?」
「某の知る限りでは行ってはおりませぬ。
もし、某があのまま小机城を任されていれば試したでしょうが、その機会はありませなんだ故」
「何と北条家は知らぬと?」
「はい。敢えて教える気もございませぬ。某が北条宗家の血を引いているのは事実なれど、今は上杉家の武士にござる。上杉家第一なれば」
「うーーーーむ」
俺の話しを聞いて秀仙殿は少し表情を和らげ、何か考え込んだようだ。
そして何やら決心したらしい。
それが表情に出ている。
そんなに表情豊かで外交は大丈夫なのか、とも思うが、まぁ今は関係ない。
ともかく、これで秀仙殿の歓心を少しでも買えればいいのだが。どうかな。
パチンと碁石を打ちながら秀仙殿が言葉を紡いだ。
「若いのに見事なお考えです。そうそう言える事でもできる事でもございませんぞ」
「何の義父上に比べれば、まだまだ、月と鼈にございますよ」
パチン
そう言って笑うと秀仙殿も苦笑していた。
しかし、そこで秀仙殿は苦笑を引っ込めると沈痛な表情になり声を潜める。
パチン
「輝虎様は立派な国主にございまする。
しかし上杉家は大きい。
大きい故に行き届かぬ部分もありまする。
家中には不届き者もがおるのもまた事実。
景虎殿が沼田城でご自身の有り様を蒲公英と仰った事と、ここ最近、蒲公英の栽培に力を入れている事を合わせて蒲公英公と揶揄する者もおりまする」
パチン
「それしきの事、事実にございますれば如何ほどの事もございません」
パチン
俺の返事に秀仙殿は頷いたが沈痛な表情は消えない。
「なれど、より深刻なのは景虎殿の名前は輝虎様の初名であった事と、上杉姓まで許されている事にございます。それは今まで誰にも許されていなかった事。それを一部の者達は快く思ってはおらぬ様子……」
パチン
「耳に入って来ております。義理の兄、長尾顕景(景勝)殿の周辺にいる輩が何かと騒がしいとか……」
秀仙殿が頷いた。
そして声を潜め警告して来た。
パチン
「御身、お気をつけなされよ。どうやら悪口だけでは気が済まず、よからぬ事を考えている者がおる様子にて……」
パチン
「ご忠告、有り難く……」
パチン
「おっと! どうやらこの勝負、某の負けにございますな。参りました。なかなか楽しい時間でござった」
「某もでござる」
秀仙殿が負けを認めた。潔いねぇ。流石は儒学者、人間ができている。
待ったを連発したり、碁盤を引っ繰り返そうとはしない。
中にはそういう奴もいるからねぇ。
「またいつかお相手して下され」
「喜んで」
「では、某はこれにて。
この指南書は輝虎様に確かにお渡し致します
良き勝負にござった」
「楽しい勝負にございました。指南書はどうぞ良しなに」
秀仙殿は負けたにも関わらず気分を害した風もなく、にこやかに帰って行った。
そうか、秀仙殿は警告しに来てくれたのか。
しっかし、あぁいう風に言うからには俺の身を実際に狙っている奴がいるのだろう。
相当深刻な状況かもしれない。
暗殺の危険か。
だがまぁ想定の内だよ。
【つづく】