011話 倍もらえました
元亀一年(1570年)五月 【越後国 春日山城】にて
鹿肉を進呈してから数日後、義父上にお願いがあると申し出てみた。
面会は直ぐに適ったが、その場には甘粕景持もいた。
彼の顔は無表情。こちらに好意的なのかそうでないのか、さっぱりわからん。
甘粕景持。後世において越後十七将に数えられている。更に上杉四天王にも数えられている。
川中島の戦いでも大活躍し、武田家の逸話や軍学を記述した「甲陽軍鑑」の中でも褒められている人物だ。敵方なのに武田が褒めているのだから甘粕景持は相当な活躍をしたのだろう。
そして「御館の乱」では景勝につき、景虎の敵になった男。
今は飯塚の桝形城主だ。
現代の長岡辺りを治めている。つまり、そこにはあの邪馬……いや、そのネタはもういいや。
さて、義父上のご機嫌は悪くはなさそうだ。
「して、何ぞ願いがあるとか?」
「はい義父上」
「遠慮なく申してみよ」
「然らば遠慮なく。この景虎に村を一つお任せ願えないかと……」
「村を一つとな?」
「はい。某が相模で暮らしていた頃、小田原の港に来た外つ国の船の者達と話したり、外つ国の書を目にする機会がございました。そこから得られた知識の中には民の暮らしに役立ち領国を豊かにする知恵もございました。それを此度是非とも試してみたいと思い、まずは村一つで行えたならばと思う所存にございます」
「ふむ」
「領国を思うお心がけは御立派ではありましょうが、あまり武士らしゅうはありませんな」
義父上の反応は悪くない。
しかし甘粕景持は渋い顔をして一言言って来た。
「はい。それは重々承知しております。
上杉家は尚武の気風。
なれど外つ国には富国強兵という言葉もございます」
「フコクキョウヘイ?」
「はい。国を富ませ強い軍勢を作るという意味にございます。
三国志における諸葛孔明も蜀の国を豊かにしてから魏との戦を始めたとか。
この越後の国も義父上のお働きにより豊かではございますが、それを更に富ませ更に強い国になるお手伝いをできればと思っておりまする」
外つ国にだって、まだ富国強兵なんて言葉は無いよ。
それは未来に出来る言葉。
まぁ真実はわかりはしないだろう。
「ふむ」
「なるほど」
おっ好感触。
「よかろう。村を一つ任せよう。いや、二つ任せよう。好きにやってみるがよい」
「ははっー有り難うございまする」
やったね。まずは取っ掛かりができたよ。
【つづく】