踏切
住宅街の中の小さな駅に、中年のサラリーマンが降り立ちました。ほろ酔い加減で家路を辿り始めました。すると、駅すぐ横の踏切が、作動し始めました。上り下りとも、既に終わっている筈なのですが。驚いて振り返ると、踏切の中に、人影がありました…
踏切
住宅街の中の、小さな駅でした。改札口は一つ、反対側へ渡るには、改札を出、駅すぐ横の踏切を利用するのが普通でした。
中年のサラリーマンが、心地よく酔いながら駅に降り立ちました。改札を出、遮断棒の上がっている踏切を渡りました。彼が乗って来たのが終電で、始発到着まで踏切が閉じる事はない筈です。時刻が時刻ですから、左右に立ち並ぶ家々には窓明かりも殆ど無く、通りかかる車も殆どありません。千鳥足という程ではありませんが、ゆらゆらとサラリーマンは家路を歩いていました。
数十メートルと歩いてはいなかった筈です。突然、背後でけたたましい音が鳴り出したのです。驚いて、サラリーマンは振り返りました。踏切の遮断棒が下りています。ありえない筈の光景でした。まだまだ始発は先なのですから。
遮断棒の向こう、誰か立っているのが見えました。女性です。まだ若い様に見えました。電車の音が近付いて来ます。女性が動きました。遮断棒を潜ります。思考停止していたサラリーマンは、ただ見守るばかりでした。そのまま渡るかと思われた女性は、線路の上で立ち止まりました。電車の先頭が住宅の向こうから姿を現しました。速度を落とす気配はありません。駅は目の前なのに、です。大体、線路の上に人が立っているというのに。女性は微動だにせず、立ち尽くしています。
いよいよ接触する、その直前、男はとっさに顔を伏せました。人身事故の瞬間なぞ見たら、生涯悪夢にうなされる事になりかねません。
音が消えました。一瞬のうちに、静まり返った夜の住宅街に戻っています。恐る恐る、顔を踏切の方へ向けました。遮断棒は上がっています。緊急停車している筈の、電車の姿はありません。慌しくしている筈の駅員の姿も、大体、人身事故の痕跡がありません。躊躇した後、サラリーマンは踏切に近付いて行きました。線路の周辺には、人体はおろか血痕一つ見当たりません。プラットフォームの明かりも消えています。やはり電車が来る様な状態ではありません。首を捻りながら、踵を返すしかないサラリーマンでした。