森の中・Ⅰ
丘の上の、森の中を通る、一本の道がありました。その途中には、祠があったという、少し拓けた所がありました。
丘の斜面、その上方に住む中学生が、夜、その祠跡の横を通り掛かると…
森の中 Ⅰ
丘の上、森の中を、一本の道が通っていました。随分と古くから、それはありました。
住宅街が丘の斜面に沿うように形成されているため、上の方に住む人達にとっては森の中の道を利用する方が、市街地と往来するのには近道なのですが、たいていは丘の下方に新しく整備された道を使います。
住宅街の上方に家のあるその中学生は、一人で登校する時や帰宅する時などはその道を使っていました。他に人のいない森の中の一本道は、夢想しながら歩くにはうってつけだったのです。
道が使われなくなったのには理由がありました。一つは下の道が整備され、この道が舗装も荒れ、道幅も狭く街灯もろくに無いまま放置されてしまったため。もう一つは、奇怪な噂のためでした。途中、拓けた場所があるのですが、そこには昔、小さな祠があったそうです。どういう理由からか、いまや跡形も無くなっていますが。そこを通るとき、どんな季節でも冷気を感じるといいます。夜中、ここを通りかかった人の中には、落ち武者の亡霊を見た、というのもいました。しかし中学生は、あまり気にする事もなく、この道を使っていました。
ある日、学校に大事な忘れ物をした事に帰宅後気付き、中学生は学校に戻りました。当直の先生に訳を話して忘れ物を取り、道を引き返してきた中学生は、祠跡の前を通りかかりました。日は既にとっぷりと暮れ、街灯の無い道のこととて足元もおぼつきません。懐中電灯は持ってきていましたが、ごくささやかな空間を照らすのみで、周辺は余計に暗く感じられます。足早に、中学生が祠跡の前を小走りに走り抜けました。と、その足が止まります。声が、聞こえた気がしたのでした。低く、地を這う様な男性の声でした。ただでさえ人気の無い道です。こんな時間に通るのは彼くらいなものでしょう。しかも、声は突然聞こえてきました。まるで祠跡で待ち伏せでもしていたかの様にです。
何を言っているのか、よく判りません。割れ鐘の様な、聞き取れない声が、近付いてきます。足音もしますが、何か、違います。靴の音ではありません。
中学生は固まった様に動けなくなってしまいました。声は近付いてきます。少しずつ大きくなってくる声を、やがて彼は理解しました。読経でした。やがて、足音が止まります。と、背後から何者かに肩を掴まれました。耳元で何か囁かれました。意識が、弾けました。
気付けば、自分の部屋でした。既に翌朝であり、自分がどうやって帰宅したのか、全く記憶にありません。ただ、耳元で囁かれた一言だけは、明確に思い出す事が出来ました。
『わが恨み、思い知れ』
いまだ恨みを抱き、彷徨う者の低く、暗い声でした。
森を抜ける道は、もはや通る者も無くなり、静寂に包まれています。