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怪談集  作者: 武内 修司
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あつい

怪談の数が多くなってきたので、この辺で一本に纏めていこうと思います。新作はもちろん、これまで発表した作品も纏めていこうと思います。無くなったと思っても、移動しただけですので以後宜しくお願いします。

 あつい

 とある下町にあるその公園は、少し高台にありました。結構急な階段を上がって、手入れの行き届いた木立の、土を踏み固めただけの散歩道を抜け、また階段を下って道を横切れば、二十四時間営業のスーパーがあります。その若者は、その散歩道をよく利用していました。駅から彼の安アパートまで、その散歩道を使えば随分とショートカットになったからです。朝となく夜となく、階段を上り下りするのは、ちょっとした運動にもなり一石二鳥といえました。もっとも、雪が降った時など、注意を要する場合は避ける事もありましたが。公園には、その他にも何本か、細い散歩道が分かれ、園内を散策出来る様になっていました。

 若者は、社会人になってから、その街に引っ越してきました。通勤は片道三十分余り。家賃も手頃で、気に入っていました。休日には、何も無ければ公園の中を散策する事もあります。お金の掛からない、手軽なレクリエーションといえました。その日もそうでした。

 九月下旬、まだまだ残暑の厳しい日の事でした。私用で朝から部屋に籠っていた若者でしたが、昼下がり、このままではいけない、と部屋を後にしました。とはいえお金を使いたくありません。暑く、遠出する気にもなれません。そこで、公園で少し時間を潰す事にしました。階段を上がり、通勤路とは違う道を行きます。途中にあるベンチには、直射日光を避け、木立を通り過ぎる涼風を求める人等が腰掛けています。若者は、流れ落ちる汗をタオル地のハンカチで拭いながら、ぼんやりと歩いていました。そのベンチには、お爺さんが一人、腰掛けていました。両腕をだらりと垂らし、俯き加減です。若者は、その反対側の端に腰掛けました。家から持ってきた、ミネラルウォータのペットボトルを傾けながら、スマホを弄り始めます。ふと、お爺さんが何か言い、若者は視線をそちらへ向けました。

「暑い…」

低く、お爺さんはそう言いました。面識のない人物でした。もっとも、この街に、彼と親しくしている人など居ませんでしたが。よく見れば、帽子を被ったそのお爺さんは、汗をかいていません。視線を少し下へやれば、ズボンが吐瀉物で汚れていました。これはまずい、と若者は声を掛けました。熱中症に罹っているに違いないとの判断でした。しかも、かなり手遅れに近い状態だと。

「あの、大丈夫ですか?」

お爺さんは答えず、暑い、暑い、と、譫言の様に繰り返しています。若者はスマホで救急車を呼びました。

 救急車が来た時には、やはりお爺さんは手遅れでした。応急手当の甲斐もなく、お爺さんは亡くなりました。どうやら、近くのアパートで一人暮らしだったそうです。もっと早く気付いていれば、と、若者の心に後悔が残りました。

 時は流れ、間もなく年の瀬、という頃になりました。あの暑さが嘘だったかの様に、若者はコートに身を包み、家路を急いでいました。その日は天候が不順で、朝から冷たい雨が降ったり止んだり、という状態でした。朝、傘を持って部屋を後にした彼ですが、退社時には雨は上がっており、傘を会社に置き忘れていました。そこへ、また雨が、しかもかなり本格的に降り出しました。公園に差し掛かる少し手前の事で、もう少し待ってくれても良いだろうに、と胸中で毒づき、小走りに公園への階段を上がってゆきます。いつもの通勤路ではなく、より雨宿りに適したあの散歩道を行きます。普段から、夜でもカップルの姿など見かけない園内は、天気もあってか誰も居ません。木陰で若者は暫く雨宿りをしましたが、一向に止む気配がありません。こうなれば、出来るだけ濡れない様に木陰を進み、公園を出たら一気にアパートまで走り抜けようと腹を決め、歩き出しました。

 あのベンチが、見えてきました。街灯の光を受け、ぼんやりと影の様に横たわるそれは、あの日の印象とは大分違います。あの時は、いかに木陰とはいえ、まだ強い陽光が降り注いでいました。あのお爺さんの顔も、今となってはぼやけてきていますが、あの声は、未だ耳の底に残っていました。彼に責任はないとはいえ、人の死に立ち会ってしまったのです。気味悪げに、若者はそのベンチの前を通り過ぎました。

「暑い…」

その声に、若者は立ち止まりました。いいえ、正確には、体が固まってしまったのです。その声は、あの老人のものだったからです。しかし、雨音の強い中、あるいは、空耳だったのかも知れませんが。

「暑い…」

空耳などでは、どうやらない様でした。雨音などお構いなしに、確かに、聞こえたのでした。若者は、ゆっくり、ゆっくり、振り返りました。

 ベンチには、誰か、腰掛けていました。先程までは、確かに誰も腰掛けてはいなかった筈なのです。しかし、今はあのお爺さんと思しき人影が、あの時のまま、あります。

「暑い…」

また、あの声。と、人影は動き出しました。立ち上がり、若者の方へと、やって来ます。針のとんだレコードの様に、同じ言葉を繰り返しながら。暑い、暑い、と。

「わぁあああ!」

そう叫んだ所までしか、彼の記憶はありませんでした。気付いた時には、彼は濡れた服を着たまま、布団の中に蹲っていたのでした。靴も乱雑に脱ぎ散らかし、扉の鍵さえ閉めてはいませんでした。

 若者にとって、もはや公園は通勤路でも、憩いの場でもなくなりました。賃貸契約が切れるや、彼は近場に引っ越したのでした。


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