文京区国際テロ組織襲撃事件 その1
目を開けた。
水の中に居る己の体。
海ではなく、川でもない。
透明の檻に満たされた水の中に私は浮いている。
私が目覚めた事に気づいた檻の外の何かが私に話しかける。
「実験は成功だ!」
その時、私は人ではない事に気づいた。
三木原有実からの依頼は決まって人形が絡む。
人形好きが高じて己の体を義体化して人形に成り果てた彼、いや、彼女らしいといえば彼女らしいのだがと上総君茂は苦笑する。
「先輩。
こっちです。
こっち」
「珍しいな。
お前が、店でない場所で依頼を持ちかけるなんて」
俺達が歩く本郷通りの隣には日本トップクラスの大学の校舎が広がっている。
そんな中、三木原有実から渡されたゲストIDを携帯端末に入力して、俺達は大学の中に入る。
「まぁ、先輩の事だから察していると思うんですが、人形がらみの依頼です」
「だと思った。
俺みたいなロートルには専門知識は無いぞ」
「それを期待するほど、私は先輩との付き合い短くはないですよ」
苦笑しながら三木原有実がとある小ぶりな建物の前で立ち止る。
『柏原義体研究所』。
ここが目的地らしい。
中にあるエレベーターに二人で乗ると、凄い勢いで下に降りてゆく。
大深度地下にある研究所という時点で色々と怪しい所満載だが、エレベーターの中で三木原有実は依頼内容を話し出す。
「この研究所は主に義体の開発を研究している所で、私の体のメンテナンスなんかもお願いしているんです。
ここの主である柏原忠道教授が今回の依頼主です。
とある研究がこの間成功したんですけど、それから色々と探りを入れられまして。
万一の護衛として先輩を呼んだという訳です」
「探りねぇ……
具体的には何処か分かって、それを言っているのだろう?」
「先輩。
ここ禁煙です。
無害だからって口に咥えるの止めて下さいって」
ポケットから煙草を取り出そうとした俺の手を三木原有実が止める。
義体化しているだけあって、本気の力では三木原有実では勝てない。
「分かったよ。
話の続きだ。
何処だ?」
エレベーターが開いて、LEDライトに照らされた圧迫感のある研究室内部が見える中、三木原有実はその名前を口にした。
「高天原ホールディングス」
「ようこそいらっしゃいました。
私がここの研究室の所長を務める柏原忠道と申します。
三木原君とは木更津の事件の後から、客員研究員としてここで働いてもらっています」
上総君茂は若々しい白衣のジャパニーズエルフと握手をする。
姿だけでそういう事ができる上級階級に属している人間であると分かるのが良い事なのか悪い事なのか分からないが、上総君茂は愛想笑いで挨拶を返す。
木更津の事件。
つまり、この間上総君茂と三木原有実とジェラルドの三人でやらかした木更津の事件の事なのだろう。
「上総君茂。
今はただの賞金稼ぎさ。
あんまりこういう場所で役に立つ人間じゃないと思うが、依頼について確認していいか?」
握手の後三人は椅子に座る。
緑髪のアンドロイドが一礼してコーヒーを三人の前に置くが、当然インスタントではない。
そのカップを持ちながら柏原教授は本題に入る。
「察していると思いますが、この国は神話資源を使った技術革新で今だ大国の地位を保持しています。
要するに、木更津の事件みたいな事は古より起こっており、それは私達みたいな人間にとって当たり前の事である。
そこまではよろしいですか?」
「口封じというより、知ったからお仲間にという事か」
「察しのいいお方は嫌いではないですよ。
三木原さんは湾警時代より人形使いとして有名で、退職して人形の専門店を開いてからもそのセンスには定評がありました。
こちらとしては前々からスカウトしたかったのですよ。
話がそれましたな」
コーヒーの香りと苦味を堪能しながら、会話というゲームが繰り広げられる。
話す事と話さない事で、情報というのは見えてくる。
ここで話す事が表向きの情報ならば、確実に話さない何かを抱えている。
柏原教授も、三木原有実も、上総君茂も。
「木更津の事件は、情報生命体がこちら側の伝承を核に顕在化するという事件でした。
では、顕在化の条件は、こちら側の伝承のみなのか?
情報生命体であるならば……」
「……器である人形を用意してやったら、もっと簡単に顕在化するのではないか?か」
上総君茂はあえて怒らせるような口調で柏原教授の言葉の後半部を先に言うと、柏原教授は楽しそうに笑った。
その時感じた上総君茂が見た柏原教授の笑みは思ったより老獪な人物に見えた。
「具体的な研究については本題から外れるのでひとまず置いておきましょう。
そういう研究をしていて、この間それが成功したというのさえ知っていただければ」
「その研究成功後に高天原ホールディングスから探りを入れられた。
三木原からそこまでは聞いたが、何が問題なんだ?」
柏原教授はコーヒーカップを置いてテーブルの上で腕を組む。
その端正な顔からは何かを察するような感情は浮いていなかった。
まるで、人形のように。
「うちの研究、高天原ホールディングスの後援を受けているんです。
それが成功したのだから、正規ルートで既に伝えていますよ。
にもかかわらず、高天原ホールディングスから探りを入れられた。
というより、高天原ホールディングスも探りの件を知らなかった」
だんだんと話が怪しくなってゆく。
柏原教授はここで口を閉じ、続きは三木原有実が説明する。
「事が事だけに、高天原ホールディングスの企業警察である天衛警備保障が捜査を開始。
調べてみると、高天原ホールディングスの末端下請け会社の支店にある端末からハッキングを受けて、情報が抜かれていた事が発覚。
柏原教授はセキュリティーの強化と万一の護衛を雇う事を決めて、私の伝で先輩をという訳です」
「なるほど。
依頼についてはとりあえず分かった。
質問だ。
何で天衛警備保障に全部任せないんだ?」
上総君茂の質問に柏原教授が薄く笑う。
そういう笑みが様になるなと二人は思ったが口に出すほどでもない。
「その末端企業、天衛警備保障のペーパーカンパニーでして。
高天原ホールディングスぐらいの大企業ともなると中が一枚岩であるはすがない。
ここまで言えばよろしいかな」
「よくわかった。
それで具体的には何をすればいい?」
上総君茂の質問に今度は三木原有実が答える。
テーブルの上に都内の地図を浮かべて現在地と目的地を示す。
目的地は方舟都市の湾警本部。
「ここのセキュリティーというより、警察内部の管轄争いで天衛警備保障が全力で動けない。
だから、安全に動かせる方舟都市にその研究成果を移したい。
という訳で、私が知るプロ中のプロの先輩をお呼びしたという訳です」
「一体いつの時代の話だよ。
まぁ、仕事である以上、手は抜かんよ」
湾岸警察警備部警護課広域警護隊のエースだった時の話だろうと上総君茂はゲンナリとする。
過去の栄光は今は昔と思うは本人ばかりなり。
「で、情報を抜いた連中の目星はついてるのか?」
上総君茂の質問に、三木原有実はかつての上司と部下みたいなやり口でその連中の名前を口にした。
「ええ。
『箱舟』。
最近世間を騒がせている、国際過激派宗教テロ組織ですよ」