木更津中華街遺伝子ハッカー殺人事件 その6
「カツ丼は用意していないんですかぁー!」
「いつの時代だよ……」
湾警本部の取調室で不遜に振る舞う三木原有実に生田省吾上級警部がツッコミを入れる。
元がつくが三木原有実と生田省吾は同期で、同じ先輩の下で働いていた仲である。
木更津中華街銃撃事件でドロイドやアンドロイド数十体をお釈迦にした関係者と目されていたから、上総達は機先を制して出頭したのである。
そのかいもあって、取り調べは生田省吾上級警部が担当することになった。
なお、顔が割れていないジェラルドはここには来ていない。
「で、データはこれで全てですか?」
「そ。
データはこれで全てよ」
メモリーチップを解析したアンドロイドに三木原有実が返答するが、それにツッコミを入れたのが生田省吾だった。
実に憎たらしい笑みを浮かべながら上総君茂を見て一言。
「データは嘘をつかない。
が、真実しか言わない。
先輩の大好きな言葉でしたね」
「……よく覚えていたな」
「憶えますとも。
それで何度も先輩に叱られたんですから。
で、嘘まで話して頂きますよね?」
「なるほど。
お前も上級警部らしくなったじゃないか」
後輩の成長に手を叩きながら、話せる範囲の話を上総君茂は話す。
具体的に彼がしたのは、ただ名刺をテーブルの上に置いただけなのだが。
その名刺を見て生田省吾と彼のアンドロイドが露骨に嫌そうな顔になる。
「内閣府情報局国内部神霊室って……また厄介な所に絡みましたね。先輩」
「後始末がまだの段階でここに来ているからな。
おそらく、ここが動くかゲノムフロンティア経由で天衛警備保障が動くかのどちらかだ。
それを見て後始末のシナリオを考えようってな」
「俺たちまでダシにするのやめてくださいよ。先輩」
「無理じゃない?
先輩年とってもこういう所は全然変わらないんだから」
切り札もありコネもある。
後は相手次第という形で、闇に葬られるのを避けるために上総達は湾警本部に逃げ込んだとも言える。
湾岸地区トップクラスのセキュリティーを誇る湾警本部で裏仕事をするリスクと、得るリターンを釣り合わないようにすることでやっと上総達の勝ち目が見えてくる。
「そりゃ、この二者が出てきたら湾警としては闇に葬って釈放するしか無いでしょうが、現場荒れますよ」
「それを何とかするのが上の仕事でしょ。
生田くん」
もともと馬があったせいか馴れ合いの掛け合い漫才もいい感じなので、上総君茂は取調室から出て自販機前でタバコを吸う。
そんな彼の耳に凛とした声が届く。
「ここ。
禁煙って知ってる?」
「さあな。
一服ぐらい待ってくれ」
振り返ると、湾警制服姿のジャパニーズエルフの女が落ち着いた感じで苦笑する姿が見える。
とはいえ、彼女の目は餓狼のような視線で上総君茂を見ているので、全体としてとてもチグハグな感じになっているのだが。
「で、天下の向井直美湾警公安局局長様が何の御用で?」
「今から十五分前、あなた達二人の弁護をという電話が湾警に入ってきたわ。
その弁護士は天衛警備保障のお抱え弁護士。
で、私はモニターで取調室を見ていたといえば分かるかしら?」
上総君茂は長い付き合いだから分かる。
こういう時の彼女は怒っているという事を。
「危ないことはしないでって昔の約束なんてもう忘れたのかしら?」
「あいにく年はとっているがそこまではボケていないよ」
「だったら!
今、どういう状況か分かっているでしょうに……っ!」
公私に渡るパートナーだった向井直美の激高する目から涙が落ちる。
つまり、それぐらいやばい橋を渡ってたのだと上総君茂は悟った。
「こればかりは性分でな。
すまん」
「……貴方はいつだってそうなんだから」
ため息を一つつく彼女を昔はそのままベッドまで連れて行ったものだ。
もう十数年前の話になるが、上総君茂は老い、向井直美はますます美しくなった。
「武装移民犯罪の激化に伴う湾警の権限拡大という現状を苦々しく思う連中が、国家公安委員会直下に警察軍を作るって話そこまで進んでいたのか」
「警視庁を始めとした県警と企業警察や賞金稼ぎのバックになっている湾察の対立は第三勢力を作ってバランスを構築しないといけないぐらいまで深刻化しているわ。
今回の木更津中華街銃撃事件で千葉県警はカンカン。
天衛警備保障は秘密主義でこっちに情報を流さない。
情報操作でうちのスタッフは大変よ。
で、そんな状況下に内閣府情報局国内部神霊室なんてパンドラの箱が出てきたのよ。
ここまで言って、しらばっくれるなんてのはなしよ」
湾警公安局局長クラスならば、この事件の裏を知りうるという訳だ。
それが確認できただけでもここに来たかいがあったというものだ。
「安心しな。
お前に迷惑はかけないよ」
「そう言って、貴方ここを辞めてもう何年になるかしら?
……ねぇ。
戻ってこない?」
その言葉に惹かれなかったといえば嘘になる。
だが、上総君茂はただ静かに首を横に振った。
「言ったろ。
年はとったがそこまでボケていないって。
……忘れるには、あの事件はまだ重すぎるのさ……」
湾警本部を出た二人を待ち構えていたのは、乾和輝の方だった。
オールバックの髪にメガネをかけたジャパニーズビジネスマン風の姿だが、その雰囲気に裏の者特有の影というか臭いが滲み出ているのを上総君茂は見逃さなかった。
「三木原様ご苦労様でした。
そちらの方は賞金稼ぎの上総君茂様でしたでしょうか?
今日はジェラルド様と一緒ではないのですね」
挨拶から身元割れていますの先制パンチに上総君茂は苦笑する。
こういうタイプは嫌いではない。
全力で潰しても文句を言われないからだ。
「良かったら、美木原の店まで送ってくれないか?
ビジネスの話はそこでしようじゃないか」
乾和輝の用意したリムジンの中、車が方舟都市から繋がる橋に移ったあたりで上総君茂は本題を切り出した。
「俺達への用事ってのは、田村直樹が隠していた遺伝子配列データ。
その行方だろう?
生憎だが、俺達は持っていないぞ」
「『俺達は』ですか。
という事は、誰が持っていたので?」
乾和輝の貼り付けたような笑顔から殺気が溢れる。
上総君茂は確信した。
こいつは無数の裏仕事を乗り越えて表に出たタイプの人間だと。
「その前に、田村直樹があの女と組んで何を得ようとしていたのは確認したい。
荒唐無稽な話だから前提を確認しないと齟齬が出る」
「たしか、ヤクシニーでしたっけ?
それを顕在化してヒルコを呼ぶと」
表情は笑顔のまま。
荒唐無稽な話だが、最低限それを前提にという姿勢を乾和輝がとってくれたので上総君茂は安堵の息を漏らした。
ここが擦り合わないと、その後が荒唐無稽になってしまうからだ。
「じゃあ、質問。
ヒルコは神話でどうやってできた?
そして、田村直樹が死ぬ前、あの女はどんな格好をしていた?」
「あ!?」
上総君茂の質問に真っ先に気付いた三木原有実が声を上げる。
その声に視線をそらせた乾和輝だが、彼も質問の答えにたどり着いて、笑顔の仮面を外して心の底から苦笑した。
「なるほど。
騎乗位で腰を振っていただろうあの女の腹の中でしたか」
「そして、あの女は誰かが仕掛けたシュレディンガー改竄で消えちまった。
だから俺達は持っていないと言ったんだよ」
あとはこの答えを乾和輝が信じるかどうかだ。
信じなかった場合、この車の行き先は別の所になるあまり楽しくない未来が待っている。
上総君茂が肩をすくめると、乾和輝は殺気を消してため息をついた。
「私に与えられた仕事は騒動の後始末ですからね。
彼が探していた物とかは書類に不備なく書ければそれで十分です。
あの一件で失ったドロイドの請求書をこちらに回してください。
経費としてお支払いします」
「お断りしておこう。
このままなし崩しに仲良くなると、過労死する未来しか見えそうになくてな」
「長いこと賞金稼ぎもできないでしょうに。
うちは福利厚生が充実している笑顔の絶えない明るい職場ですよ」
裏工作の部門の管理職がそれを言うとブラックどころの話ではないが、ほどよく車が三木原の店の前で停まる。
ドアが開いて二人が出ると、乾和輝は一礼して去っていった。
「先輩。
請求書は先輩に回しますからね」
「友達価格でまけてくれ」
「乾杯」
「乾杯」
『アヴァンティー』にて上総君茂とジェラルドがグラスを傾ける。
仕事が終わった後の酒というは実にうまいものだが、三木原から来るだろうドロイドの請求書でこの仕事の報酬の大半がぶっ飛ぶ事になる。
それまで貯めていたツケを精算していたのが救いだが、また仕事探しとツケの日々が二人を待っている。
入り口のベルが乾いた音を立てて、ドアが開いたのはそんな時だった。
「いらっしゃい」
「こんばんは。
ここ、空いているかしら?」
マスターの声に女が返事をする。
振り向こうともしない女は自然とカウンターの二人の隣りに座った。
「マスター。
ここでマスターが一番と思うお酒と料理を。
マスターと隣の人達にもついでに。
お仕事ご苦労様でした」
神奈世羅の艶っぽい声にジェラルドがわざとらしく愚痴を言う。
「あんたの仕事は失敗たと思っていたがな」
神奈世羅からのオーダーはヤクシニーの捜索と保護。
シュレディンガー改竄でヤクシニーに消えた今、罵られるか皮肉を言われるかと思っていたからだ。
「彼女の保護は失敗したけど、それも想定の範囲内よ。
私が来たのは、彼女が産もうとしたヒルコの回収よ」
妖艶な笑みを浮かべるか、彼女もまた目が笑っていない。
今日の客はそんなのばかりだと思いながら、上総君茂は口を出す。
「マスター。
あれを作ってくれ。
どうして俺達がヒルコを持っていると?」
「最初に貴方と三木原さんが湾警に出頭してジェラルドさんが残ったのが一つ。
ジェラルドさんが何かあった時の保険だとすぐ気づいたわ。
で、天衛警備保障の車に乗って何事もなく出てきてここで祝杯をあげているのが決定打。
持ってても換金できるようなものじゃないから、さっさと渡して頂戴な」
「お待たせしました。
『ジャック・ローズ』でございます」
マスターが神奈世羅の前に赤いカクテルを差し出す。
そのカクテルを手に取った、神奈世羅に上総君茂はほろ酔い気分でネタバラシをする。
「その『ジャック・ローズ』ってのは、アップル・ジャックとライム・ジュースと『グレナディン・シロップ』を2:1:1の割合で作るそうだ」
「っ!?」
グレナディン・シロップ。
それは、柘榴の果汁と砂糖からなるシロップで、今回は高級品が手に入ったのでマスターお手製のシロップになっていた。
「シュレディンガー改竄の最中にヤクシニーが我が子と勘違いした柘榴と同じものだ。
もしかしたら、彼女のお腹にあったヒルコと同じ遺伝子データだったのかもしれないな」
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
だが、その曖昧さを容認したこの世界において、この完全否定および完全確定できないという事は、使いみちによってはものすごく有用な武器になる。
神奈世羅はグラスを持ったまま笑った。
「呆れた。
そんな口先三寸で生き残ったって言うの?」
「高かったんでな。
買った柘榴はそのカクテルで最後だ。
こういう話を聞くと、赤色が血に見えるから困る」
ため息をついた神奈世羅はそのままカクテルを傾けて、ジャック・ローズを飲み干す。
そして、何も言わずに店から出ていった。
「……一体、どんな事件に巻き込まれたんですか?」
マスターのぼやきに、ジェラルドと上総君茂はほぼ同時に答えた。
「ごく普通の」
「賞金稼ぎの仕事さ」