木更津中華街遺伝子ハッカー殺人事件 その5
「湾警本部より緊急連絡。
木更津中華街において大規模銃撃事件が発生。
湾警警備部機動隊および刑事部強行捜査隊は出動せよ。
なお、千葉県警は機動隊を投入して周辺地域の封鎖を既に開始中」
「始まりましたよ。先輩」
三木原有実の声に俺は警察無線に耳を傾ける。
専用回線で聞くにはそれなりのリスクはあるのだが、そこは元居たなんとやらでワゴン車内の二人とも気にしていない。
二人が居るのは木更津中華街の近くの駐車場。
千葉県警機動隊の封鎖地域から少し外れており、彼らの目にも千葉県警の機動隊所属の警備ドロイドが重武装で交差点を封鎖しているのが見える。
駐車場入口にこちらの警護ドロイドを二体出して警戒させる。
県警所属ドロイドには、このドロイドは駐車場管理会社のドロイドと誤認されているはすだ。
「しかし派手にやっているなぁ。
音がここまで聞こえてきているぞ。
ジェラルド。
そっちの方はどうだ?」
更に離れた場所の駐車場にいるジェラルドに無線で声をかける。
護衛ドロイドを二体をつけた軽自動車の中でジェラルドは事件発生からの情報をモニターしていた。
「木更津周辺の通信には全て湾警の電子警備課が監視を始めている。
上空は衛星から偵察ドロイドまでほぼ掌握しているから情報は入っているはずだ。
ハッキングするか?」
「湾警にまで喧嘩を売ってどうする?」
上総君茂は苦笑する。
近く木更津で大規模銃撃戦が発生する事を生田省吾上級警部経由でタレこんだのだから。
所轄の軋轢なんてお約束を無視して警察側の対応がスムーズなのは、情報のタレこみによって事前調整が行われたからに他ならない。
「三木原とジェラルド。
ここから手に入る情報だけ拾ってくれ」
「了解。
まぁ、戦場みたいなものなので、ドロイドで大概拾えますよ」
「湾警に喧嘩をしないなら民間の監視カメラだな。
データを回してくれ。
こちらでもチェックする」
「大概はいらんさ。
欲しいのは素粒子測定データ。
その変動だけは常に目を光らせておけ」
一部始終を知った三木原有実の感想は、
「人が人形になるご時勢です。
人が化け物になっても驚きませんよ。先輩」
だったりする。
その答えを聞いていつの間にか人は人であるという事が揺らぎつつあると上総君茂は思ったが、それを口に出す事もなかった。
「素粒子測定センサーには異常はないですよ。
しかし、この事を殺し合いをしている連中は知っているんでしょうかね?」
「中華マフィアはどうか知らんが、天衛警備保障は知っているだろうよ。
そうなれば、奴らも素粒子測定センサーをつけて観測しているはずなんだ……が……」
「先輩?」
そこまで言って、上総君茂の声が止まる。
モニターを見ていた三木原有実が声をかけても彼は返事をしない。
(そうだ。
少なくても天衛警備保障はヤクシニーが素粒子測定センサーを使わないと見つからないと知っていた。
ならば、こんなに派手に騒ぎを起こす必要は無いはすだ。
どうして、こんな馬鹿騒ぎが発生するんだ?)
何かを見逃している。
その何かが分からない。
焦りともどかしさから上総君茂はいつものように煙草を咥える。
「先輩!
素粒子測定センサーの反応が木更津全域から発生しています!!」
「すこし黙ってろ!」
上総君茂は携帯端末で検索をかける。
ヤクシニーと鬼子母神。
更に神奈世羅からもらった妖怪絡みの資料とそれぞれの検索資料を眺めて、最後のピースを見つける。
「……そういう事か。
奴らシュレディンガー改竄を行おうとしてやがる」
箱の中の猫は生きているのか死んでいるのか?
そんな問いかけから始まったシュレディンガーの猫はこの世界においてその曖昧さが実証されてしまっている。
「この銃撃戦は起こされるべくして起こされたんだよ。
それがヤクシニーを消すって事だ」
「どういうことだ?」
会話に通信で割り込んでくるジェラルドに上総君茂は説明する。
その胸糞悪くなる今回のからくりを。
「ヒルコに目をつけた田村直樹はその顕在化ができなくて困っていた。
そこにつけこんだのが顕在化しかかっていたヤクシニーだ。
彼女の逸話から顕在化したらヒルコが召還できると誘って田村直樹を誑かせた。
中華マフィアと手を組んだのは、子供狙いだ。
顕在化する為に子供を食べないといけない大食いのヤクシニーにとって、勝手に餌がやってくるこの状況は都合が良かったんだろうよ。
だが、成果を求めるゲノムフロンティアとヤクシニーに挟まれた田村直樹そんな状況に耐え切れなくなった。
一部始終をタレこんだんだよ。
神奈世羅に」
シュレディンガー状態と呼ばれる存在しているのかしていないのか分からない曖昧な存在から、こちらの世界にその情報を確固として確立した状態を資料では『顕在化』と呼んでいる。
問題なのは、シュレディンガー状態でも観測者が観測する事によってある程度の影響力行使を高度情報体ならば行えるという点で、ヤクシニーという概念をまとった情報生命体はその逸話の再現によってこの世界に顕在化しようとしていた。
その為に選ばれたのが田村直樹だった。
「で、顕在化しかかっていたヤクシニーは裏切った田村直樹を殺して姿を消した。
事実の隠蔽に走ったゲノムフロンティアは天衛警備保障に後始末を頼んで、今の大惨事って訳だ」
「いまいちこの大惨事と繋がらないんですけど?先輩」
警戒を解かないまま三木原有実が首をひねる。
上総君茂は苛つきながら、そのカラクリをバラす。
「おそらく、あの中華街では『子供を食べる鬼』という噂が広がっていたはずだ。
実際食べていたのだろうし、そういう噂を核にしてこいつらは顕在化するんだからな。
だが、その噂そのものを『中華街のマフィア抗争』に切り替えて、顕在化の核を潰しに来ているんだよ。
これだけの大惨事を起こせば、全部『中華マフィアの同士討ち』で終る。
それは、情報生命体であるヤクシニーにとって存在消滅に等しい一撃だ」
「という事は、それを知っている私達はヤバイって事になりませんか?
新しい核として多分ヤクシニーから狙われますよ」
「……」
「……」
「……」
三人が沈黙から行動に移すのに数秒もかからなかった。
たまらず三木原有実が上総君茂へ叫ぶ。
「先輩!
車を出してください!!」
「ちと遅かったな。
素粒子測定センサーに反応。
人の形をした何かがそっちに近づいているぞ」
一人離れているジェラルドの通信に苛つきながらも、上総君茂は車を駐車場から出そうとする。
三木原有実は出していた護衛用ドロイド二体で素粒子測定センサーに映る人のようなものの行く手を塞ごうとしたが、それが手を払いのけたしぐさで護衛用ドロイド二体が空に飛ばされてしまう。
「あれ高かったのにぃぃぃぃぃ!!!」
「二体の犠牲で逃げる隙を作れた事を喜びやがれ!
残っているドロイドに武器装備!
後部窓からいつでも銃を撃てるようにしておけ!」
「もうやってますよ!!
絶対請求しますからね!!」
運転席にいる上総君茂の背後から轟音と薬莢の音が響く。
サイドミラーに見えないのだが、なんとなくその効果はないと分かってしまう。
無線越しに聞こえるジェラルドの淡々とした声が実にムカつく。
「ナビはこっちでする。
とりあえず港の方に逃げてくれ。
そこで合流しよう」
「分かった。
何か手はあるのか?」
「無いわけじゃない。
ヤクシニーが消えかかっているのならば、鬼ごっこには時間制限がある。
どれぐらいの時間か知らんが、逃げ切れればこっちの勝ちだ」
「あいつ銃弾はじいていますよ!
逃げられるんですか!?」
小銃の連続音が響きながらもワゴン車はスピードを落とさない。
そんな鬼ごっこを展開中の湾警が見逃すわけがなかった。
「よし。
湾警が気づいた!
ドローンがそっちに向かってる」
港近くには東京湾メガフロートシティーに続く高速橋のICがある。
つまり、湾警の主力が近くにいる。
「先輩!
前!
前!!
湾警の封鎖線!!!」
突っ込むかに見えたワゴン車がドリフトをかまして封鎖線の前で∪ターンする。
その前には、彼らを追ってきた鬼女の姿が。
「ほらよ!」
「っ!?」
上総君茂はとっておきのものを湾警の封鎖線に投げる。
それを追って鬼女が彼らの横を通り過ぎる中、背後の大混乱を気にすること無くワゴン車を急発進させた。
「先輩。
何を投げたんですか?」
湾警のドローンは追ってこない。
ジェラルドが情報改ざんを成功させている証拠だろう。
上総君茂は手に持ったそれを三木原有実に投げてやる。
鬼子母神が人間の子を食べるのを止めさせるために、釈迦が人肉の味がするそれを食するようにと勧めた物を。
「……柘榴?」
「高かったんだから大事に食べな」
死者・負傷者合わせて百人を超える木更津中華街銃撃事件は翌日のマスコミを賑わしたが、そのほとんどが不法移民だった事もあって世の関心は低かった。
なお、湾警の封鎖線に突っ込んでドロイドやアンドロイド数十体をお釈迦にした謎の女の指名手配はついに出なかった。