木更津中華街遺伝子ハッカー殺人事件 その3
ミンクのコートを着た黒髪の女は洒落た足取りで上総君茂とジェラルドの隣に座り、マスターに注文をする。
その声に色気がこもっているあたり、たしかに商売女に見えなくもない。
「マスター。
ここでマスターが一番と思うお酒と料理を。
マスターと隣の人達にもついでに」
洒落ているし愛嬌もある。
それでいてあえて二人の顔を見ない茶目っ気もある。
「ここじゃ見ない顔だが、その挨拶は気に入った」
口笛を吹きながら、ジェラルドが苦笑する。
惜しいのは擬体化しているので、その一番のお酒と料理が味わえない所。
仕方がないので彼は煙草を咥えてこの女を観察することにした。
スラリと腰まで伸びる黒髪は瑞々しく、肌は陶器のように白い。
高級娼婦らしく胸も尻も男が飛びつく大きさで、コート越しにその色気を醸し出している。
口元は小さく穏やかな笑みを常に浮かべているが、その目は妖艶のようでもあり何も見ていないようでもあった。
(……不老化しているっぽいな。
一体、何歳なのやら……)
ニコリ。
少しだけ彼女の笑みが大きくなる。
それが彼女の顔を妖艶から殺気に変わる。
女というのは、事、歳の事については超能力者に変わるというのは本当らしいと苦笑しつつジェラルドは手を上げて降伏する。
「で、あんたが何者で何用か知らんが、ここに居るのは金のないおっさんと全身ブリキ人形と腕は良いが商売気はまるで無いマスターしかおらんぞ。
客取りなら別の所でやった方がいいんじゃないか?」
挨拶がてらの言葉の危険球を投げて上総君茂は彼女の反応を探る。
まあ、こういう女がそんな危険球に引っかからないのは承知の上だし、案の定女はその危険球を見逃した。
「あら、折角仕事を頼みに来たというのにつれない人ですのね」
「あんたは、湾警から重要参考人として追われている。
俺たちは賞金稼ぎとして、あんたを突き出してもいいんだが?」
「それだと、追いかけている物が手に入りませんよ?」
互いに笑顔を崩さない。
だが、手札はこちらが圧倒的に悪い。
この手の女が出てくるのは、相手より絶対的有利に立っているからに他ならないからだ。
かくして、上総君茂も白旗を上げた。
「マスター。
奥の部屋借りるわ」
仕事柄盗聴器等が設置されない部屋というのは貴重で、マスターが用意した奥の部屋というのはそういう部屋の一つである。
窓もなく真ん中にテーブルと椅子しか置かれていない殺風景な部屋に先ほど女が頼んだ料理と酒がマスターによって運ばれる中、女は当然のように携帯端末を操作して盗聴盗撮防止の確認を取る。
「では、ごゆっくり」
マスターが出て行き扉が閉まるのを確認して女は胸元から名刺をテーブルに置く。
また古風なとも思ったが名刺にバーコードリーダーがついているからネットで認証されているものでちゃんと組織が発行しているものと分かる。
出てきた組織がまた問題だったのだが。
「内閣府情報局国内部神霊室主幹……の神奈世羅さんね。
国のお役人がまたそんな格好で何用で?」
上総君茂の呆れ声に神奈世羅も苦笑で返す。
その韜晦ぶりが様になるから彼女がかなりの狸だと上総君茂の元警官の感が囁く。
「まぁ、いろいろありまして。
本題から入りましょう」
ぴょこん。
彼女の頭から耳が生えた。
そりゃまあ、見事な狐耳である。
ついでに髪が黄金色の金髪になっていたりするが、ぴこぴこ動く狐耳に男二人して何を言ったらいいか分からない。
狸ではなく狐だったかなんて半分呆けた頭で上総君茂は神奈世羅に尋ねる。
「サイバネティクスか?」
「本物ですよ。
一昔前でいう所の、妖怪という者になります。
私はハーフですけどね。
素粒子の分野はご存知で?」
妖怪が素粒子を語る二十一世紀末。
笑いたくなるのを我慢してジェラルドが口を挟む。
「今の技術の多くが素粒子のブレイクスルーを元に発明されたぐらいしか知らんな。
それと、伝説のモンスターがどう関わってくるんだ?」
「二十世紀末、とある学者が五次元という形で異次元の存在を提唱しました。
あの当時観測が始まった素粒子で、この世界から姿を消す素粒子の存在が確認されたからです。
この百年で、その素粒子観測については飛躍的に進歩しました。
その結果……」
彼女はバンをナイフでスライスし、切った一つをフォークで突き刺す。
それを持って二人に見せつけた。
「これが、私達の世界。
そして、他に切ったパンも同じように世界が構成されている。
一昔のSFやライトノベルで語られた異世界の存在が実証されたんですよ」
話はついていけるのだが、感情がついてゆけない。
人類が宇宙や月に住みだしているのにファンタジーである。
それを何度も味わったのか、神奈世羅が苦笑しながらそのパンを食べた。
「発表時、お二人みたいな顔が当時の世論だったそうですよ。
この理論を元に、更に踏み込んだ考えを提唱した学者がいらっしゃいました。
『もしかして、神話やファンタジーというのは空想の産物ではなく、そういう世界を我々が観測したから生まれたのではないか?』と。
今の日本の飛躍の大元になった『幻想世界観測説と情報生命体理論』です」
彼女の話を聞きながら、二人は携帯端末を触って情報を確認する。
たしかに、ネット辞典にもこの説は掲載されているから本当なのだろう。
それにしては、なんか扱いが小さい気がするのまで見ぬかれたらしく、神奈世羅が補足説明をする。
「この技術はファンタジーや魔法ですというより、今の人は科学技術の成果ですと言ったほうが納得されるのですよ」
「進みすぎた科学は魔法と同じか……
逆もまた真なりって訳だ。
で、俺達はいつ異世界に行けるんだ?」
ジェラルドのジョークを神奈世羅は笑わない。
それが彼女の話の現実味に色を添えている。
この国は古から、物語を好んできた。
その為、『幻想世界観測説と情報生命体理論』によってそれが利用できると分かった瞬間、その全てが技術資源となる可能性が開けたのだ。
難民流入によるいざこざがありながらも、この国が経済大国・技術大国の地位を保持しているのは、この神話資源とその活用による所が大きい。
「『神隠し』ですね。
あいにくそこまではまだ技術が進歩していないんですよ。
現在、実現しているのは素粒子観測による別次元干渉の発生とその利用。
要するに、向こうからやってくる何かを捕まえて、それを解析してこちらの技術に使おうという所までです」
ここまでが前ふりである。
そしてやっと本題に入る。
「田村直樹の研究成果。
この場合は異世界情報体と呼びましょう。
それはヒルコなんですよ。
ヒルコの神話はご存知で?」
「女が上に乗って腰を振るなって教訓ぐらいなら」
外人らしい卑猥なジョークでジェラルドが時間をかせぐ間に、上総君茂が携帯端末から検索してヒルコの情報を確認する。
この時代知らないのは罪ではない。
検索しないのが罪なのだ。
「日本神話の忌み子か。
それがどういう経緯で臓器移植に化けるんだ?」
「ヒルコは胎盤であるという説はご存知で?
イザナギとイザナミという日本人の祖に当たる胎盤。
ここまで言えばお分かりでしょう」
胎盤なら細胞がある。
細胞があるなら遺伝子がある。
そして、その遺伝子配列を全部解析できたら、この世界でもヒルコが実体化する。
イザナギとイザナミという日本人の祖に当たる遺伝子を持った。
「すべての日本人に効く万能細胞って訳だ。
そりゃ、ゲノムフロンティアも血眼になって探す訳だ」
「待てよ。
それならば、アダムとイブを見つけ出したほうが早くないか?」
口を挟んだジェラルドに神奈世羅が答える。
人は同じことを考えるのだから。
「欧米あたりは秘密裏にやっているみたいですよ。
うまくいっていないみたいですが。
素粒子観測による別次元干渉の発生そのものは、予測不能なので」
「彼が信じられない確率を引き当てた……」
「それは無いな」
ジェラルドの呟きを上総君茂が即答で否定する。
それならば、彼女がここに来る理由がない。
自らを妖怪のハーフと名乗った彼女が。
「協力者が居た訳だ。
それも妖怪の、いや、神様か」
神奈世羅の目が大きく開く。
真実にまでたどり着くとは思っていなのか、上総君茂に向けて彼女は笑う。
獲物を見つけた獣の笑みを。
「いいですね。
とてもいい。
その通りです。
彼には協力者が居ました。
この国は神として私達を祀りました。
その為、彼らの介入がしやすかった」
彼らは存在していなかったのではない。
人が認識できなかっただけである。
かつては、一部の特異者のみが認識していた彼らを科学技術はついに捉えることに成功した。
そして会話が図られ、盟約がなされた。
それがこの国の繁栄のカラクリ。
神奈世羅が一枚の写真をテーブルに置く。
ミンクのコートを着た黒髪の女の写真。
ただ違うのは、目の前のミンクのコートを着た金髪の女には狐耳が生えているのに対して、写真のミンクのコートを着た黒髪の女には角が変えていた事。
「ヤクシニー。
鬼子母神の名前の方がいいですか?
この事件における田村直樹の協力者です。
貴方がたにお願いしたいのは、彼女の捜索と保護です」
元ネタ リサ・ランドール