木更津中華街遺伝子ハッカー殺人事件 その2
とりあえずこの話だけでも終わらせる予定
金の恨みは恐ろしい。
特に未払い金でツケ等を返済しようとしていた奴にとっては。
灰色の空の下。
寒風吹く街の中を上総君茂とジェラルドの二人は歩く。
「さて、金の回収だがどうする?」
「その為には調べないといけないだろうに。
この一件明らかに裏があるからな」
二人は駅に着くと、携帯端末をかざして構内に入る。
この国ではこの携帯端末がないと生きていけない。
通信や情報端末だけでなく、身分証明と決済機能もついているからだ。
同時に、その携帯端末の身分証明に記載されているセキュリティー・クリアランスで入れる場所が違ってくる。
駅や高速のIC料金所、巨大ビルや大深度地下街はそうやって法的日本人とその他外国人を区別していた。
二人の後ろで警報が鳴り、アジア風の男が慌てて逃げてゆくのをドロイドが追いかけてゆく。
それもこの国の日常になって久しい。
「で、その当てはあるのか?」
「まあ、そこそこにな」
二人が乗った電車は東京湾に浮かぶ巨大な多層構造物に向かっている。
東京湾メガフロートシティー。
急増する人口と多国籍化の軋轢を避けようとしたこの国の回答で、外国人からは羨望と皮肉を込めて『方舟都市』と呼ばれている。
その内部の法的日本人比率は驚くほど高いが本来は逆で、九州に作られた『新出島』や大阪湾に浮かぶ『新堺』は多国籍豊かな町になっていた。
ジェラルドの携帯端末が赤く光る。
この駅では降りることができないという警告だ。
「これが癪に障るんだよ」
「待っているからゲストIDを取ってこい」
この街の大部分のセキュリティー・クリアランスは公的身分保障が取れる程度に設定されている。
にもかかわらず、先ほどのような光景が日常になっているというのは、そんな公的身分すら持てない連中が急増している証拠でもある。
『上に政策あれば下に対策あり』がこの国でも通用するようになって久しく、彼らは偽装IDを使ってこの国に溶け込んでいた。
ジェラルドが一日限定のゲストIDを取って改札をくぐる。
その先に広がっているのは美しい町並みと、同じぐらい美しい人々が楽しそうに暮らす姿だった。
バイオテクノロジーとサイバネティクスの進化によって老いというものが上流階級から消えつつある。
流入が止まらない外国人比率に対抗する日本の回答が、この不老化政策だった。
宗教的・倫理的タブーを踏みにじった彼らを世界は皮肉と羨望を込めて『ジャパニーズ・エルフ』と呼んでいる。
そんなジャパニーズ・エルフの城がこの街だった。
二人が目指すのは、『東京湾治安維持機構』。
自治体で境界がある警察より機動的に動けて、重武装化と凶暴化が進む外国マフィアに対抗する警察軍としての地位にあり、『ジャパニーズ・エルフ』達の警護として組織されたもので、賞金稼ぎの元締めもやっている。
日本版FBIというか現代に蘇った火附盗賊改というか人それぞれだが、多くの人達は『湾警』と呼ぶ本部ビル一階に入ると若々しい男女に混じって人ではない緑髪のアンドロイド達が働いているのが見える。
特権階級である彼らジャパニーズ・エルフの本当のパートナーであるアンドロイド。
調整によって個性がつけられてはや十数年経つが、量子コンピュータークラウドネットワークによる感情学習機能は彼女たちに人権を与えるまでに進化していた。
不老化対策に並ぶ日本の回答その二である。
「賞金稼ぎの上総君茂だ。
警備部警護課の生田省吾上級警部にアポをとってある」
賞金稼ぎの鑑札を見せて上総君成が受付のアンドロイド嬢に話すと、アンドロイド嬢は一礼して受話器を取って呼び出すしぐさをする。
彼女達の体内回線で既に事前スケジュールと呼び出しはかけているだろうに、そんなしぐさがなんとも人間臭い。
待つこと数分。
一人の秘書型女性アンドロイドを共につけた湾警の制服を着た男が二人の前に現れる。
「おまたせしました。先輩。
……老けましたねぇ」
「お前と違って、不老化手術なんて受けてないからな。
しかし、お前が上級警部か。
俺も年を取る訳だ」
「先輩も不老化手術受けりゃいいのに。
今は国の補助も出るし、事故率も大きく下がっていますよ。
……こちらの方は?」
隣りにいたジェラルドに話が移ったので、ジェラルドから自己紹介をする。
もっとも、隣のアンドロイドが既に彼の経歴を洗っているのだろうが。
「賞金稼ぎのジェラルドと申します。
今回上総さんと組んでいたのですが、仕事失敗扱いで報酬が前払いのみになってしまい……」
「湾警警備部警護課、広域警護隊隊長の生田省吾上級警部です。
上総先輩には、新人の頃からお世話になってまして」
生田省吾の手を握りながらジェラルドが意外そうな顔で上総君茂を眺める。
上総君茂はそんなジェラルドに照れくさいのか視線を合わさない。
「あんた。元警か」
「こんな商売の元職にはよくある話さ。
とりあえず本題にはいろうか」
「そうですね。
とりあえずこちらへ」
上総君茂に促されて、生田省吾が奥の通路へ案内する。
ロビーで話すには不穏当な話という訳だ。
もちろん、警察と賞金稼ぎの間には協力関係はあるが、立場もある訳で話せる話と話せない話が出る。
「木更津の一件ですが、県警の捜査から正式に湾警の管轄になる事が決まりました。
近く、湾警刑事部が捜査本部を立ち上げるそうです」
このあたりは公式発表がらみだから話せるレベルだ。
もちろん二人はコネまで使ってこんな所に来たのだから、話せない話に興味が有る訳で。
そこをどう引き出すかという話だが、二人には一つ武器があった。
上総君茂が監視カメラの死角になる自販機でジュースを買い、ジュースを取るついでに持っていたメモリーチップを置く。
生田省吾が続いてジュースを買って、そのメモリーチップを回収するという訳だ。
そのメモリーチップには、ジェラルドのモニターに映っていたミンクのコートを着た黒髪の女が映っているはすである。
仕事のデータから彼女のデータをぼかしたので県警もこの彼女の鮮明な姿をまだ見ておらず、この生データには彼女の姿が鮮明に映っている。
なお、彼女はあの爆発の後忽然と姿を消していた。
最悪を考えて手札を作ったジェラルドの手がここで効いてくる。
管轄違いだろうが、上級警部ともなれば功績稼ぎの使い方はいくらでもあるのだ。
「ジェラルドさんは何か飲みますか?」
「やめておこう。
ここには、義体用飲料が無いみたいだしな」
ジェラルドの言葉の後に上総君茂がジュースの蓋を開けてぼやきという本題に入る。
監視カメラから会話が丸読みされている事を前提の狐と狸の化かし合いのような会話は、何気ない世話話の体をとって始められた。
「千葉警備保障に文句を言おうにも、事務所はトンズラ。
報酬未払いでツケも払えない」
「それはご愁傷様。
賞金稼ぎを使っているうちとしても、こういう形でのトンズラは困るんですよね。
苦情処理課の方に回しておきますので、苦情という形で正式に書類にしますか?
ある程度の保証は期待できると思いますよ」
二人共千葉警備保障がペーパーカンパニーで、大手遺伝子企業ゲノムフロンティアが本当のクライアントであるという事を前提の会話である。
つまり、この件で苦情という形で湾警に垂れ込むならば、ゲノムフロンティアが口封じ料としてある程度の金額を用意するという事だ。
ゲノムフロンティアは日本の政策になった不老化とアンドロイド製造に大きく関わっている。
また、本社アーコロジーがこの方舟都市にあるため、多くの寄付等で湾警とも関係が深い。
普通の賞金稼ぎなんかはここまでの相手をせずに泣き寝入りが精々だろう。
だが、ジェラルドがゲノムフロンティアが本当のクライアントでその目的を知っており、彼が監視していたモニターに襲撃時の一部始終が映っており、湾警にコネがあった上総君茂という存在がここまでの妥協を引き出した。
生田省吾の言う『ある程度』が依頼料の残りであるはすがない。
その数倍は用意しないと口封じにはならないからだ。
そして、そういう対処をするという事が、既に二人に重大な情報を与えている。
この一件、二人が考えているより闇が深いと。
「賞金稼ぎは銭が全てで、正義は二の次ってな。
すまないが書類の方を頼むわ」
「……先輩。
変わりましたね」
手を差し出す上総君茂に生田省吾は意外そうな顔で目配せをして、秘書型アンドロイドが書類一式を渡す。
書類にサインをしたあとその書類をジェラルドに渡しながら上総君茂は苦笑した。
「俺一人ならまた話は別だがな。
今回はコンビだ。
足を引っ張らないパートナーってのはこの業界では貴重でな」
ジェラルドが書類にサインをして秘書型アンドロイドに渡すと、即座に二人の携帯端末に入金報告が入る。
千葉警備保障からで金額は一千万。
口封じとはいえ胡散臭いことこの上ない。
「確認した。
俺達の仕事はここまでだ」
「先輩。
戻ってくる気は無いんですか?」
話は終わりだと帰ろうとする上総君茂に生田省吾が声をかける。
その口調から彼が戻るポストも空けているのだろう。
だが、上総君茂はただ笑って後輩の肩を叩いた。
「こんなロートルをいつまでも働かせるな」
この時代の関東圏というはそれだけで一億の人口を有しており、何処も土地不足と多民族社会の摩擦で悲鳴をあげていた。
賞金稼ぎなんてヤクザな商売柄家を固定するデメリットも多く、上総君茂とジェラルドは多くの不法移民と同じく江戸川河口近くのボートハウスで生活をしている。
人が集まれば社会ができ、社会が集まれば街ができる。
そんな不法移民の楽園にギリギリ法的保護がみとめられる二人が溶け込めたのは、同時に彼らが何でも屋兼用心棒代わりというのもあるのだろう。
事実、賞金稼ぎが住んでいるコミュニティーにおいてはマフィアが手をだす事は少なかった。
その分、賞金稼ぎがマフィア化する事も多々あったが。
「乾杯」
「乾杯」
彼らの行きつけの酒場『アヴァンティー』。
ここも船を利用した酒場だが、岸壁に係留されているので来客は多い。
「あまり嬉しそうな顔ではありませんね」
『アヴァンティー』のマスターである矢坂考太郎が誘い水を向ける。
不老化をしていない彼も五十路を前にして、髪に程よく白髪がまじっているがそれを楽しんでいる風があった。
「もらえるものはもらったが」
「絶対この後があるよな」
口封じ料をもらって、本当にそのまま終わるという事は少ない。
味をしめて更にせびって自滅するか、それを恐れて本当に口を封じにかかるからだ。
とはいえ、人が激増して治安悪化が常に叫ばれている近年の日本においても、人二人を消すにはそこそこの苦労がかかる。
ならば、第三の道しか無い。
取り込んでしまえばいい。
「これ、絶対あれを見つけろって依頼こみだよな?」
「でないと、この金額の意味が分からんだろうが」
あれとは、木更津のマンションで見つからなかった田村直樹の研究成果の事である。
県警だけでなく湾警の現場検証においても田村直樹の死体は見つかっても、その研究成果は何も出てきていなかった。
湾警は既にジェラルドが持ってきたビデオに映ったミンクのコートを着た黒髪の女を重要参考人として秘密裏に探していた。
秘密裏なのはもちろん彼女が持っているであろう研究成果を欲するからだ。
その為賞金稼ぎにも賞金をかける訳にはいかず、事情をある程度掴んだ二人は程よく猟犬の働きも期待されていると。
「受けるのか?」
今や貴重品になりつつある天然モノのブランデーをあおりながら上総君茂が尋ねると、擬体向けアルコールをあおりながらジェラルドが苦笑する。
「断る理由もないしな。
俺は一応法的身分持ちだが、外国人なんでセキュリティーランクが低い。
ゲノムフロンティアの覚えがめでたくなって、駅でいちいちゲストIDを購入しないだけでも受ける価値があるな」
セキュリティー・クリアランスの上昇手段の一つに公的機関やそれに順する大企業の保証というのがある。
ゲノムフロンティアクラスの大企業の保証ともなれば、普通に生活する分にはほぼフリーパスを手にするようなものである。
外国人で賞金稼ぎみたいな仕事しかできなかったからこそ、ジェラルドはそれを欲していた。
「ゲノムフロンティアですか。
あまりいい噂は聞きませんがね」
矢坂考太郎がグラスを磨きながら話に加わる。
彼の前職はハッカーであり、ネットメディアの記者で多くの特ダネをすっぱ抜いた情報屋でもある。
このコニュニティーの暮らしやすさの一つに、二人の賞金稼ぎの他にマスターが持つこの情報スキルがあげられる。
「あれだけの大企業だ。
後ろ暗い噂が無い方がおかしいさ。
で、あの女を探さないといけない訳だが……」
「一億を超える人口を誇るこの関東圏でたった一人の女を探す。
なかなか素敵な仕事じゃないか」
二人して仲良くため息を吐く。
その荒唐無稽さに乾いた笑いしか出てこない。
入り口のベルが乾いた音を立てて、ドアが開いたのはそんな時だった。
「いらっしゃい」
「こんばんは。
ここ、空いているかしら?」
二人の目に映ったのは、木更津のマンションに入っていった姿のままのミンクのコートを着た黒髪の女が彼らに向けた妖艶な笑みだった。
置きっぱなしにするつもりがどうしてこうなった……
いつものように己の作品とかから適当に持ってくる予定