木更津中華街遺伝子ハッカー殺人事件 その1
昔書いた原稿が出てきたので世に出してみる。
世界は貴方が思っているほど狭くもないし
貴方が考えているほど浅くも無い
そして、私が思うほど賢くもない
そう
まるで底の見えない深い海のように
2100年 12月 24日 木更津中華街
「何が悲しくて、21世紀最後のクリスマスをこんな所で過ごさないといけないんだか」
灰色の空は千メートルを超える摩天楼を覆い、数年ぶりのホワイトクリスマスを演出するのではないかとネットニュースは伝えていた。
そんな中、放置された廃ビルの部屋から隣のマンションを覗くという非健全的な行為を行いながら、上総君茂は白く湯気を立てるカップ麺のふたを開けた。
木更津。東京縦貫道によって東京と繋がり、その全てを東京にもっていかれた街は、いまや異民族の街として日本の中の外国として国際色豊かな建物が立ち並んでいた。
彼が食べているそのカップ麺も日本語で無く、北京語が書かれているあたりそれを買う人種が分かろうというもの。
科学が進み、人が宇宙や月までもその生存圏内にしようとしているこの世の中で、人の営みというのは文明の利器が介在するとはいえさして変わってはない。
そんな変わらぬ人の営みの職業人として上総君茂は存在していた。
ボディーガード。副業として探偵。
けど、世間一般は彼ら暴力をお仕事の中に含みつつ、かつ暴力団やマフィアと区別する為に彼等を『賞金稼ぎ』と呼んだ。
ぽたり。
カップ麺の蓋に雨粒が垂れる。
廃ビルだけあって、振り出した雨が漏れているらしい。
「何か動きはあったか?」
無線から低い男の声が聞こえる。
「何も。廃ビルでカップ麺を食べながら、今日はクリスマスだったなと己の不幸を嘆いていた所さ。
そっちはどうだ。ジェラルド?」
上総君茂はわざとらしくカップ麺の蓋に垂れる雨音を無線に聞こえさせると、ジェラルドと呼ばれた男もおかえしとばかり彼がこもっている軽のワゴンのエンジン音をきかせてみせる。
彼の正式名称はジェラルド・ヘンドリクス・ジュニア。
長いのでジェラルドと呼ばれている黒人は元北米連邦の軍人で、全身義体の二メートル近いあの図体の男が軽ワゴンの中で小さく背を丸めて24時間同じマンションを監視しているのは、この一件において二人が組んでいるからに他ならない。
温暖化に伴う海面上昇と環境変化は世界各地で大量の難民を生み、その難民の波は島国であった日本にも関係なく押し寄せ治安は急速に悪化。
21世紀中盤で発生した中華内戦は推定で三億人という難民を生み出し、合法非合法問わずにこの国に押し寄せた難民数はおよそ八千万人。
今やこの国の人口は少子化が叫ばれた21世紀初頭からは考えられない二億人の大台を超えているが、その中で『法的日本人』という枠で見たらその数は七割を切ろうとしていた。
かくして激増する犯罪に対処する為に、政府は犯罪にける情報提供者および要人や施設護衛企業にも補助金という名の賞金を提供する事で治安維持機構に組み込んだのだった。
あくまで、犯罪者の逮捕等の治安維持は警察の仕事であり、上総君茂やジェラルドに逮捕権限がある訳ではない。
とはいえ、急速に変化する多民族社会になりつつある日本においてそれは既に建前となりつつあり、目標を警察まで『任意同行』させるのが二人の今回の仕事であった。
なお、警察まで『任意同行』された目標はそのまま『逮捕』される事となる。
「今回の仕事の確認だ。
目標は田村直樹。今流行の遺伝子ハッカーだそうだ。
中華系マフィアのマンションに匿われ、大陸に逃げ込もうとしているらしい」
科学技術の進歩で一番発展著しかったのが遺伝子工学分野だった。
その遺伝子解析と操作はコンピュータープログラムを作る作業に似ている事から、遺伝子を操作して生物の姿そのものを変えさせる彼らの事はワイドショーなどで『遺伝子ハッカー』等と呼ばれていた。
当然、人の倫理上許されざる所も多く、政府は遺伝子改造法という法律まで設けて彼等を強く取り締まっていた。
ジェラルドの無線越しの声に上総君茂が麺を噛みながら返事を返す。
「で、その遺伝子ハッカー様がどうして中華系マフィアの保護下にいらっしゃるので?」
ゴミが散乱しているマンション入り口にはチンピラらしい男が二人煙草をふかしながらエントランスで見張りをしている。
薬でもやっているのか妙に青白いチンピラ二人は落ち着きの無い顔で外に目を配り、そして何度も上着のごしに腰に手を当てて落ち着こうとしていた。
「銃を持っているのバレバレだろうが」
上総君茂が廃ビルから見張っている理由はこんな所にあった。
いくら賞金稼ぎとはいえ、銃の所持を認められているわけではない以上、安全第一がこの商売である。
もちろん、彼らも非合法のコネを使えば持てない訳ではないが、それでは『賞金稼ぎ』から『お尋ね者』へ転落してしまう。
「まぁ、監視だけで金がもらえるんだ。
悪い話じゃないだろうよ」
「それは、こんな廃ビルで雨漏りの音を聞きながら、カップ麺を食べている俺へのあてつけか?」
「いや、こんな図体で軽ワゴンの中で背を丸めてモニターを眺めている俺自身へのあてつけさ」
一匹狼と見られる『賞金稼ぎ』だが、その捜査は大事件ほど間違いなく複数作業になる事が多い。
事件そのものに政府が賞金をかけ、それを警備会社や探偵会社が落札し、その下請けとして上総君茂やジェラルドが雇われるのだ。
もちろん、その過程で豪快に賞金がピンハネされるのだが雀の涙程度の保障もないよりましだし、何よりも今回の事件のようにマフィア等が背後について場合、ほぼ一人では捜査できないのを一匹狼である彼ら自身が良く知っていた。
「で、何の話だったか?」
「だから、この事件の確認だろうが。
何で遺伝子ハッカーに中華系マフィアが絡んでんだ?」
雨が本格的に降り出してきた。
夜になったら数年ぶりの雪になるかもしれないと思うが、それは廃ビルで寒さと震えて監視をしないといけないと同義語であり、上総君茂はその事に体を震わせた。
「やつが生み出したウイルスはある種の免疫を効かなくさせるものらしい。
細胞に侵食した後、その免疫系等を破壊させる。
ネズミで試した所、拒絶反応系の免疫はまったく機能しなかったそうだ」
イヤホン越しのジェラルドの食べ終わったカップ麺を床に投げ捨てて上総君茂が呟く。
「臓器売買か」
「正解。あの中華系マフィアは大陸の出先で、不法入国の斡旋もやっている。
大陸での借金のかたに売られたガキどもがここでバラされて臓器として売られる事になるのさ。
バラす事前提なんでガキどもの体内に麻薬まで押し込んでな」
モニターを見るジェラルドの目には、その事件のファイルと被害者の屠殺死体の写真が写っていた。
「人身売買に殺人、臓器販売に麻薬。
数え役満確定じゃねーか」
「それに、お偉方への買収に遺伝子ハッカー。トリプル役満だな」
指を折って罪状を呟く上総君茂もそれに追加の罪状を教えるジェラルドもここまで見事だと笑うしかない。
軽のワゴンの後ろの席でパソコンを弄りながらデータを画面に映し出すジェラルドはそのままマイクの先にいる上総君茂に話を続けた。
「ガサが入るのは確定なんだが、それだと役満止まりでな。
俺達の仕事は田村を確保してトリプル役満にもってゆく事なのさ」
「どうりで、大手が誰も受けたがらないと思った」
この仕事、異例の高額報酬らしいのだが買収か圧力かまぁ両方だろうが大手がまったく手を出さなかった依頼でもあった。
落札したのが千葉警備保障という地場零細企業で、上総君茂とジェラルドはその下請けとして、個々に田村の監視を依頼されたのだった。
上総君茂とジェラルド以外にもこの仕事の為に30人近い人間が雇われているはずである。
「さぶっ。
これで報酬が一人200万でお前とコンビってのは割りあわねーな。
まぁ、前金50万のおかげでつけは払えたし、こうして見張っている間は飯は困らねーし。カップ麺だが」
高いか安いかは人それぞれだろうが、己の才能に見合うと思ったから上総君茂もジェラルドもここにいる。
コートの上から近くのマーケットで買ってきた毛布をかぶりながら上総君茂が悪態をつく。
「24時間車の中でモニターとにらめっこがいいんなら変わってやるぞ。
飯も便所もままならんのがお好きならの話だが」
ジェラルドの声に目の前にいるかのように上総君茂は首をふった。
水滴が毛布に染み付いてゆくがこれも経費ゆえ気にしないとはいかず、持ち帰る事を考えて水滴から慎重に毛布を動かす。
「結構。
しかし、ピンハネしている上がうらやましいぜ」
「特別報酬まで狙うか?
裏話込みだが」
ジェラルドの更に低い声に上総君茂も呟くように口を開く。
「これ、安全なんだろうな?」
「で、なきゃ話す訳ないだろうが。
これが中継車だから、ここからコントロールすれば他には流れない。
で、だ。
高額とはいえ、この仕事、既に足がでてるんだ」
「何?」
200万で30人雇ったとしても6000万。
その前捜査や経費まで考えると億は超える。
国の懸賞金が5000万だから既に赤が出ている。
「千葉警備保障ってのがペーパーカンパニーでな。
俺達の本当のクライアントってのが、ゲノムフロンティアだ。
田村はあそこの研究員だったといえば分かるだろう。
ちなみに、田村の研究成果は報告されていなかったらしい」
「あの大手遺伝子企業か」
遺伝子操作が法の制約下にあるとはいえ飛躍的に進歩した結果次々と大手製薬企業がこの分野に進出し、その膨大な資金が更なる新技術を生み出していた。
ゲノムフロンティアはそんなゲノムバブルともいえる遺伝子技術の業界NO1企業であり、それが背後にいるとなればこの大げさな捕り物にも納得が行く。
田村を逮捕・起訴すると同時に田村の研究成果を確保するのがゲノムフロンティアの狙いだ。
「俺達の依頼は田村の逮捕だが、研究成果の確保までできれば……」
「特別報酬という訳だ。納得。
ちょっと待て。今、マンション前に車が止まったぞ」
ボロアパートには相応しくない黒塗りのリムジンが入り口に止まり、チンピラ二人がリムジンの運転手と何か話している。
ドアが開き、中からミンクのコートを着た黒髪の女がチンピラの先導の元マンションに入ってゆく。
「ああ、田村は三・四日に一回、マフィア支配下の娼館から女を呼んでいるらしい」
「リムジンで来る、ミンクコートの女かよ。
うえらやましい事で…へっくし!!!
こりゃ、本当に雪が降って来そうだ」
「一回50万からだそうだ。相場」
「俺達の前金と同じかよ。いい身分だことで」
女がマンションに入ってから十五分後にそのマンションの田村が潜んでいると思われる部屋が大音響とともに爆発するまで、二人は田村が抱いているであろう女の事を考えていたのだった。
爆発とともに警察と消防が駆けつけ現場は騒然となり、二人の雇い主である千葉警備保障の仕事は大失敗となってマスコミに叩かれたが、その時には既に会社は倒産という形で跡形もなくなっていたのだった。
移り変わりの速いメディアは木更津の場末の爆発事故などすぐに忘れジェラルドと上総君茂の手元には、前金の50万と軽のワゴンに安毛布だけが残った。




