『スライム』
戦争の話を分割したため、全7話になりそうです。
一匹の犬が魔王噛みついた。
最初、兵士の誰かの猟犬かと思った。
しかしよくよく見ると、犬のあちこちの皮がはがれていていて、緑色の体液が流れている。
どうやらゾンビ犬らしい。
ヒト型のゾンビは先ほどから嫌と言うほど見ているが、ゾンビ犬を見たのは初めてだった。
聖はホラーゲーマーの血が騒ぎ、何となく魔王よりゾンビ犬の方を先に撃ちたいと思ってしまう。ホラーゲームでは、プレイヤーの動きより素早いゾンビ犬は、真っ先に始末するべき敵なのだ。
しかし魔族の仲間割れに呆気に取られている場合ではない。理由はわからないが、とにかく魔王を撃つチャンスである。
聖はそう思いなおして狙撃銃を構え、しかし撃つ前にその勘違いは消えた。
それはセチンや周りに居た兵士達が一言、同じ言葉をつぶやいたからである。
『スライム』と。
驚いた聖は隣にいたセチンを見やり、そしてその奥、つまりパロキセ軍左翼のさらに左から、赤緑の集団が走ってくるのが見えた。
* * *
地球で『エルフ』や『ドワーフ』と言えば、みんながほとんど同じものを想像できるだろう。
エルフならば長命で耳のとがった白人、ドワーフならば髭で背の低いずんぐりとした鍛冶職人。
人によって耳のとがり方などは想像に差が出るだろうが、しかし本質的には変わらないものを想像する。
しかし『ゾンビ』と言って思い浮かべるものには、おそらく2種類のパターンがある。
一つはRPGゲームに出てくるアンデッドで、こん棒でも殴り殺せる最初の城の周りにいる雑魚敵。
それは先ほどから魔王軍の召喚士に次々と召喚され、そして兵士達に次々と切り殺されていた。
もう一つはホラーゲームに出てくるウイルスやエイリアンが原因で生み出され中々死なない、最初の強敵で、最後まで強敵な存在。
それは今、聖の左側の丘から陸上選手のような速さで走り、こちらに向かってきていた。
* * *
聖はどうしてあれがスライムなんだろうと悩んでいた。
確かにゾンビはゾンビで存在するし、あれもゾンビと呼ぶのはおかしいかな?けど普通のスライムは普通のスライムで存在しているのに?
それは現実逃避からくる思考だったが、しかしやがて答えが出る。
『スライム』の皮膚の皮がはがれたところに、緑色のゲルが薄く付着しているのが見えた。目玉の代わりに緑色が詰まっている者もいる。
先ほど魔王に噛みついたゾンビ犬も、それは既に魔王によって灰にされているが、緑色の体液に見えるものが付着していたのを覚えている。
それこそがスライムの本体なのだ。死体を包み込むのではなく、食い破って体内に入り込む。
ただ「捕食した動物の筋肉や骨を利用する」と聞いていたが、あれは死体をほとんど食べないで、そのまま利用している。
聖はその時はそのように考察していた。実際には死体の内臓の大半が食べられていて、内臓の代わりにスライムが数匹詰まっているという事実を後に知ることになるが。
聖がどうしたら良いのかわからず周りを見渡すと、兵士も魔族もやはり戸惑って動けないでいる。セチンもどうしたらいいとは言えずにいるが、それでも護衛として周りの警戒は怠らない。
この時セチンは迷っていた。三つ巴の戦いになるなら一度退却した方が良いが、今は魔王を倒す絶好の好機でもある。しかし勇者ヒジリが本当に一撃で魔王を倒せるならよいが、無理なら手を出さない方が良い。
その判断の遅れが、彼の命運を分けた。
聖は魔王が何か号令を出すのではないかと思ってすがるように見て、そして絶句する。
魔王はゾンビ犬に噛まれた右腕を自分で切り落として焼き払い、それから回復魔法で再生させていた。
それが意味するところはつまり。
スライムは感染する。
聖はずっと、剣と魔法のファンタジー世界に来たのだと思っていた。
この世界で魔王を倒して成功したならば、そのままこの世界で一生を過ごすのも良いと思っていた。
勇者のハッピーエンドと言えば、姫を娶って国王就任が鉄板だろう。
聖は女なのでそれは無理だろうが、大貴族ぐらいにはして貰えるかもと思っていた。
しかし『スライム』をみて、そして渡された武器が銃である意味を考え、事実を知る。
この世界はファンタジー世界などではなかった。
この世界からは一刻も早く逃げ出さなければならない。
トゥルーエンドですら敵の殲滅はできず、最後には主人公が死んでしまう世界なのだと理解した。
「逃げましょう!セチンさん!」
「・・・承知!」
聖がようやく結論を出す。それとほぼ同時に、魔王も右腕を治しながら撤退命令を出していた。
魔族につられて、兵士達も次々と中央に向かって走り出す。
最後に魔王と対峙していた優秀な魔法使いは疲れ果てていたのだろう。その場にとどまり広範囲魔法をスライムの群れに何発か打ち込み、やがてスライムの群れに飲み込まれていった。
他にも魔族に召喚されたゾンビやスケルトン、ゴーレムは逃げずにスライムに応戦するが、まるで歯が立たない。RPG世界のゾンビが『スライム』に勝てないのは当然だが、ゴーレムに関しては「スライム」本体との相性が悪い様だ。『スライム』が、口から単体の「スライム」を吐きつけ、「スライム」が体の酸でゴーレムを溶かしていく。
三つ巴の戦いになどならない、スライムによる蹂躙が開始された。
聖とセチンは思うように走れないでいた。周りの兵士達が混乱して右往左往ているからだ。
セチン一人ならもっと楽に走れるのだろうが、聖を置いていくわけにもいかずに並走している。
当然そんな速度では人間の身体能力を超えて走ってくるスライムには追い付かれてしまう。
さらに悪いことにゾンビ犬、もといスライム犬やスライム馬がすでに群れで回り込むように移動していた。そして聖の前方、つまり軍の中央に近い所に居た兵士達を襲い始めていた。
聖は右手に拳銃を召喚し、それで前方のスライム犬を次々と撃ち抜いていく。しかし数が多く、犬だけでなくスライム牛などのスライム獣までも現れ、やがて左翼にいた兵士や魔族達は囲まれ、軍隊から孤立した。
そんな中で一番スライムを殺しているのは聖、ではなく魔王だった。彼は退路を作ろうと立て続けに炎の波を発生させてスライムを焼いていく。もはや兵士の誰も魔王に襲い掛かる事はなく、スライムの攻撃を防ぐことに必死になっている。
スライムにどの程度の知能があるのかわからないが、魔王を脅威とみなしたらしい。スライム犬十数頭の群れが魔王の死角から彼目がけて飛び込んでいき、
それを聖が必死になって撃ち落とした。
そこでようやく魔王が振り向き、勇者ヒジリを認識した。
魔王に睨まれ、聖は一瞬心臓が止まるような思いをするが、意を決して魔王に襲い掛かろうとしたスライム犬をさらに撃つ。この場から生きて帰るには、魔王の範囲攻撃に頼るしかない。
魔王はこちらの意図を読み取ったらしく、聖を視界から外し、スライムに再び攻撃を仕掛ける。ならばもっと近寄った方が安全だろう。聖は魔王の周りのスライムを撃ちつつ前進する。
「危ない!」
「っ!・・・セチンさん?」
聖は愚かだった。魔王を守る事にばかり集中して、自分の周りを見ていなかった。
セチンが庇ってくれなければ、スライム牛にひき殺されていたのは聖のほうだったろう。
振り返ると、倒れているセチンの体に「スライム」の本体がひしめくのが見えた。
しかし残念ながら聖には、そこですぐに魔王に向かって走り出すという選択は出来ない。
呆然として足を止めてしまった。
それはそんなに長い時間ではなかったが、魔王と分断されるには十分な時間だった。
その後叫びながら拳銃を乱射して周りのスライムを撃ち続けるが、終わりは見えない。
少し遠くから再びスライム犬の群れが突撃してくるのが見え、ついに聖は諦めた。
聖は拳銃の先を銜える。吐き気がしたが必死に我慢した。
歯ががちがちと銃口にぶつかってうるさかった。少し躊躇ってから、その引き金を引いた。
拳銃の銃口が熱くないのは、聖にとって幸運な事だった。
* * *
目を覚ました聖は、再び見慣れた天井を見ていた。
窓の外を覗く必要もなく、悪夢ではないとすぐにわかる。
聖は全裸だったし、目覚まし時計の針は止まっていた。
聖の目に、家庭用ゲーム機が目に留まる。聖はベッドから下りて、ゲーム機の中のソフトを取り出し、そして力いっぱいへし折った。
聖がこの世界に来る前、最後にやっていたゲームはホラーゲームだった。出てくるゾンビは足が速く、場合によっては空を飛び、武器まで装備している。そしてゾンビは何度殺しても生き返る。そんなゲームで、大好きで何度もやり直していた。
その後も聖は服も着ないでホラーゲーム、FPSゲーム、TPSゲームなどを棚から取り出しては粉砕していく。ゲームで埋め尽くされていた棚の一段目には、途中で飽きてやめてしまった有名なRPGゲームの続編と、クリアはしたものの特にやり込むことのなかった日常生活ゲームなどが数本残るだけとなった。
そして聖はベッドに戻り、布団に潜り込んで、泣いた。