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氷雨降る

作者: 純一郎

2月に入ったことがあまりに絶望的だったので思わず。

自分の書くお話は基本的に盛り上がりに欠けますが、今回は猶更。

登場人物の名前が出てきませんが、仕様です。

 今朝から降っていた冷たい如月の雨は、それでも雪に変わることもなく午後においても降りつづけていた。雪ならば風情もあったかもしれないと、安直なことを考えてしまうのは、この地域が温暖な証拠だろう。所用で帰るのが遅れたばっかりに、この氷雨の降りしきる中を一人帰宅せねばならないのかと考えると、心中に冷たい風が吹くようだった。特段、寂しがり屋という自覚こそないが、暗かったり天候が悪くなると、傍らに誰かいてほしいと考えてしまうのは、存外に甘えの目立つ性格かもしれない。

 とにかく、ここで溜息をついていても誰かが迎えに来てくれるわけでもない。諦めて傘を開いて帰ろうと――そう思ったときに、不意に後ろから足音が響いた。まだ校舎に誰かが残っていたのだろうかと振り向くと、見覚えのある人影が立っていた。――何のことはない、ただのクラスメイトだ。快活そうな印象の、小柄な女生徒。あだ名は『ジャンガリアン』体格の小ささとは裏腹のパワフルさを指したものだった、はずだ。彼女もこの雨の中、居残りをしていたらしい。彼女は、仲間を見つけたとばかりに笑顔で近寄ってきた。彼女の笑顔は、なるほど、小さな動物のように庇護欲を他者に与えるものだと思う。


「雨を眺めながら溜息とは、詩人の気がありますかな?」

「才能さえあれば、二首ぐらいは詠めそうな天気だと思うよ」

「ボクは詩と言っただろうに」


 何が面白いのか、彼女はくすくすと肩を揺らして笑う。そんなに愉快な応酬じゃなかったと思うけど。いや――それはいい。とにかく、身体が冷え切る前に帰ろう。


「待ちたまえよ、つれないな。ボクをこの雨の中に置いてけぼりにする気?」

「傘はないのかな」

「あったさ。朝はね。でも朝は風が強かったろう。とっくにスト起こして自決だよ。待遇の改善を近日中に約束すると返事をしておけばよかったかな」


 多分、風で傘が壊れてしまい困っていると言いたいのだろう。時折彼女が何を言っているのかわからなくなるというのは、クラスの共通見解となっている。大体の場合、その場にいる誰かが意味を掴んで翻訳する。たとえば、今の自分のように。


「まさか、僕の傘を奪っていく気?」

「それもいいかもしれないけどね。でもこの雨の中濡れていったら風邪をひいてしまうよ。どうせ誰もいないんだから、相合傘してくれたっていいだろう?」

「あいあいがさって……君ねえ」


 異性相手にそのシチュエーションは、相手が『ジャンガリアン』といっても、なんだ。心理的に影響は大だ。今時珍しいのかもしれないが、受験生を目前とした自分は今に至るまで異性経験はゼロである。端的にいって刺激が強い。


「何? まさか照れるって? いくらボクが魅力的といっても初心すぎない?」

「いや、恥ずかしい話その通り」

「……あ、そう」


 正直に話すと、彼女は思わぬ反撃を食らった、というような表情を浮かべた。当たり前だ、君を意識してしまいますと宣言したのと同じだ。僕は馬鹿か。いや、しかし、他に返事も思い浮かばなかった。ボキャブラリの貧困さが今回の場合致命打となっている。


「キミはショージキ者だな。いやまったく。『安直眼鏡』のあだ名通りだね」

「いつ聞いてもひどいあだ名と思うよ」


 彼女が『ジャンガリアン』なら、僕のあだ名は『安直眼鏡』というわけである。名前の由来は、何もかも見たまんまだから。アニメ漫画ならその他大勢として描画されるような、外見的特徴に乏しいメガネの男という意味である。恐らく性格も込みで言われている。語呂は良いほうでないので、基本的には『メガネ』で通るのが一般的。あだ名に何故略称が発生するのか、それは我が母校八木東高校の不思議の一つとしたい。


「仕方ない。存分にトキメクのを許す。許してやるんで、ボクを傘にいれてください」

「……方向、一緒だったかな」

「ばかだな。家まで送ってくれよ。それだけボクと一緒にいられるぞ」

「自分の身を最大限に利用しているね君」


 彼女のタフさに思わず感心してしまうが、確かにここは送った方がいいかもしれない。女の子が身体を冷やすのはあまりよくないだろう。適当なところで別れたところで彼女に傘が出現するわけでもない。コンビニでビニール傘でも買えばいいだろうと突き放すのは人情に欠ける気がする。彼女がどこかでその選択肢を思いつくまでは言うべきじゃなさそうだ。……ううん、あんまり遠いところだと帰るのが大変だ。彼女も僕も徒歩通学なので、学校からここまで遠いというわけでもないはずだが。


「とにかく雨に濡れたくないんだよ。わかるだろう」

「確かに冷たい雨だからね。氷雨とはよくいったものだよ」


 本当に、氷の粒のような冷たい雨だ。こんなものに打たれていては、数分となく身体の感覚まで消え失せてしまうだろう。昔経験がある。あの時は道端で倒れて死んでしまおうかとも思った程だった。雨具は忘れやすいが忘れてはならないアイテムだ。

 傘を開いて、昇降口から一歩踏み出す。肌が外気に触れると、それだけで体温を根こそぎ奪っていきかねないような、そんな感覚だった。あいにく、手袋だけはもってくるのを忘れていた。一歩遅れて、彼女が僕の右隣に収まった。人の体温が近くに存在すると、先ほど感じていた感覚も薄れるようだ。まったく、自分は自分が思っている以上に甘えが目立つ男らしい。不甲斐ない――そう恥じたところで、最早性分なのだろう。

 溜息を一つついて、歩き出す。そんな僕を見ながら、彼女はやっぱり楽しげに笑った。僕のため息が、どうにも彼女にとっては愉快なものらしい。おかしな話だ。


「世のカップルは雨が降るたびにこういうことをしていると思うか?」

「それを僕に聞くのかい」


 歩きながら、不意に投げられた質問は、どうにも意図がつかみかねるものだった。どのみち、世のカップルを知るわけでない僕には答えられないので、そんな返事しかできない。


「いやボクもこんなの初めての経験だしね」

「君は緊張しないわけだ。男女の違いかな」

「男所帯で育ったボクと普通の女を比べるキミに問題があるね」

「なるほど、君は女らしからぬというわけか」

「反撃にもなっとらんぞ安直眼鏡よ。確かにボクは女っぽくないかもね」


 何故か彼女は得意げに笑う。女っぽくない女子のどのあたりに誇る要素があるのかわからないが。……いや、女っぽくないと言っても、それは比較的という意味だ。顔はまるきり女の子なのだし、目は形の良いアーモンド形ではっきり大きく、顔は小さい。身体も小さいし、何より女子制服、つまりスカートを履いているわけだ。遠くで見ても彼女は女の子にしか見えない。どこに何を言い訳しているのか自分でも疑問だが、彼女は女の子だ。僕の緊張を解くにはパンチが足りない。故に、不公平だとおもう。


「女っぽくないというよりは、男勝りだろうね」

「べつに排他関係にある言葉じゃなさそうだな」

「結構、大きな隔たりはある気がするよ。うん。君は男勝りだけど、女の子だ」

「それはそうだろ。男じゃないんだから。おかしなやつ」


 僕の意図するニュアンスは伝わらなかったらしい。いや、伝わった方が恥ずかしいのか?

女の子と何を話せばいいのかわからないので、どうも調子が狂う。


「そんでさ」

「藪から棒だね」


 先ほどの応酬を最後に、しばらく二人とも無言だったのだが、雨の音だけが響く、暗い道というシリアスな状況に我慢できなくなったのか、彼女がそんな風に切り出した。「そんでさ」とはあんまりな切り出し方である。


「そろそろ惚れたか?」

「惚れてほしいのかい」

「いや、恋愛ゲームならそろそろそんなモノローグが」

「あれぐらい都合がいいものなら苦労してないかな」

「話のタネになるかなと思ったんだけど」

「仮に君に惚れたとして男の純情を何だと思ってる」


 わかった。沈黙に耐えきれなくなると奇行に走るタイプの人間だ、彼女は。確かに、普段彼女が大人しくしている時って授業中とかぐらいなものだった気がする。それにしても、あんまりだ。「そろそろ惚れたか?」なんてひどすぎる。彼女にとって沈黙は毒らしい。僕の精神衛生的にもよろしくなさそうなことを誘発するようだ。


「大体、恋愛が何か知っているのかい」

「おう、知らない奴が上から言うじゃないかメガネ」

「勿論知らないけどね。ただ、そんな話し方をするものじゃないとは思う」

「恋愛に幻想を抱いているクチかね」

「想像上の世界の産物しか知らないからね」


 女性はその辺りもう少し、シリアスに、ドライに捉えているとは何かで聞いたような気はするが。幻想とは人の心を抉ってくる一言だ。何も知らない自分が漠然とイメージするものが幻想だとは、確かにその通りかもしれないが。彼女は現実的に捉えているのか。


「恋愛なんてのは、人間の根本的な欲求からの派生だ。即ち、性欲で見ている夢ってわけだ。十代は人間を獣としてみれば一番繁殖に適した時期ってこったろう?」

「あんまりな捉え方だね」

「ボクはリアリスト志向なんだ。恐れ入ったか」


  何故か勝ち誇る彼女だが、前後を合わせれば彼女はとんでもない墓穴を掘っている。勝ち誇るジャンガリアンの頬袋を萎ませるのも悪くない。

「先ほどの発言を考えると、君は突然『自分を性的対象として見ているか?』と尋ねたも同然になるんだけど、その辺りはどう考える?」

「ぬぐぉ、まるきり変態じゃないかそれじゃ」

「まあ、原文の時点で奇行の分類だけど」


 勝ち誇った表情から一転、彼女も流石に恥ずかしくなったと見えて顔を赤くしている。してやったりだ。これで少しは奇抜な発言も抑えてくれるだろう。


「い、いやだ。負けないぞ。ボクはリアリスト志向なんだ」

「まるきり変態って言った直後なんですが」


 何故か立ち向かう方向で振り切れたらしい。僕にはこのハムスターがわからない。というより、いつのまに勝ち負けのある言い争いになったというのか。恥ずかしいならやめておきなさいと言ってもきっと聞いてくれないだろう。


「それで、どうなんだ。繰り返しは言わないぞ。恥ずかしいから」

「答えるのも恥ずかしいに決まっているだろう」

「ふふふ、まあそうだな。酷な質問だ。オスが同年代のメスを無視できるわけがない」

「いや、それとね。君の理屈はちょっとおかしいところがあって」

「おかしいだと? 面白い、言ってみるといい」


 言っていいものかどうか、悩んでしまうが。このまま徹底抗戦されてもお互い恥ずかしいだけだ。仕方ないので、はっきり言ってしまおう。


「劣情と恋情は違うものだね」

「……む、むむ。どういう意味だ」

「性の対象と、恋愛の対象は違うってことだよ」

「もすこしわかりやすく言ってくれ」

「アダルトビデオか何かに出るような女性に欲情はしても、恋愛感情は抱かないと言えばわかるかな。いや、中には抱く人はいるのかもしれないけど。大多数の人は抱かないはず」

「あん? なら、逆もあんのか?」

「まあ、無い事もないと思うけど」

「でもそんな関係はあまり持たないとおもうぞ、ボク」

「……まあ、そこは置いといて」


 ともかく、わかってくれたらしい。というより、何でこんな恥ずかしい内容の言い合いをせねばならんのか。理解に苦しむ。多分、僕の顔も赤くなっていることだろう。二人して顔を赤らめてなんて内容を話しているのか……。僕の青春は暗い。


「まあいい。わかった。ボクの考えには一部修正が必要だな。じゃあこう質問すればいいのか、そろそろボクに劣情もしくは恋情を抱いたか」

「この話やめない?」

「どっちの返事がきても困るしな」


 ようやく落ち着いたようだ。というか、正直に答えられたら困る質問を人にするな。まるきり変態だと言った並の感覚はどこに消えていったのか。意地になると周りが見えなくなるらしい。彼女らしいが。


「それもこれも、雨のせいで、寒いせいだ。わかるか」

「相合傘という特殊な環境下になければという意味かな」

「その通りだ。こんな傘の下に二人いるからだ」

「……緊張したら余計なことを言うタイプ?」

「緊張なんかしてない。キミと違う」


 さて怪しくなってきた。案外、僕と同レベルかもしれない。男所帯で育ったから平気だと言わんばかりだったが、家族と他人じゃまた感覚も違うだろう。きっと。しかし、自分なんかが隣にいたところで緊張するのもおかしな話だ。それなら、緊張はしてないけどとりあえず余計な言葉が口から出るのか。それはそれでこの先大変だ。


「本当に、どれだけ降れば気が済むんだこの雨は」

「今にも雪に変わりそうなのにね」


 先ほどまでの会話を振り払うように、彼女はうんざりといった様子でぼやいた。雨が傘を打つ音は、強まることはあっても弱まることはない。こんな傘があっても、結局二人してどこかしら濡れていた。それでも、一人でいるよりはいいと思う。それは、僕の勝手な感傷ではあったけど。彼女が隣にいて、助かった。そんな風に考えてしまう。


「雪は困る。雪じゃ余計冷たい、寒い」

「まあ、その通りだと思うよ」

「見ろよこの手。すっかり赤いんだぞ。ほら。冷たい」

「僕の手に押し当てても僕も君と同じ状況だよ」


 正直、手先の感覚はとっくに怪しくなっている。現に、今触られてもよくわからなかった。相当冷えてきているようだ。本当に、氷水でも降っているような雨だ。


「スカートの裾も冷たく濡れるしさ」

「傘一つの防御力じゃ仕方ないなあ」


 どうしても、二人の身体のどこかしらがはみ出ている。彼女は小さいから、僕が多少濡れるのを我慢すれば何となく収まるといっても、流石に限界はある。そのため、二人とも何となく濡れるのは避けようがないことだった。


「あ、そうだ。今更ながら、ありがとな。わがままを言った」

「一人で帰るのが寂しいと考えていたところだから、いいさ」

「思いのほかセンチメンタルなやつだな」

「君が女の子の割に大ざっぱなら、僕は男の割に繊細なんだよ」

「物はいいようだな」

「それで、もうすぐつくのかい」


 結構歩いた。見事に僕の家とは道が違う。これは帰宅が面倒なことになりそうだ。いやしかし、仕方のないことだった。彼女を捨て置くわけにもいかない。


「いいや、もうついたぞ。……よってくか?」

「遠慮しとくよ」

「はは。そりゃ懸命だ。んじゃな、あんがと。明日お礼ぐらいはするよ」

「……まあ、小さく期待しておく」


 そう答えると、彼女はにやりと笑いながら、玄関に飛び込んでいった。家構えはなかなか立派だ。どういう家族が住んでいるのか、気になるような怖いような、といった感じか。いらぬトラブルを招かぬよう、彼女が玄関に入ったのを確認して、僕も踵を返す。

 結局、彼女を家まで送り届ければそこから一人なわけだが――先ほどまで傍らに彼女がいたのだと思うと、先ほどのような寒々しい気持ちにならずに済む。

 ただ、すこしだけ。少しだけ――喪失感のような、ものは感じたかもしれない。なるほど、これは、そうか。これが、いわゆる――


 ――恋、ということなのかもしれない。


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