Web上で同性愛者という認識が根付いてしまった、ある可哀想ななろう作者のバレンタイン2014
僕の親しい友人に、Rという奴が居る。なんだかんだで中学の頃から仲が良く、たまに連絡を交わしては、どこかで待ち合わせをして様々な談義に華を咲かせる間柄だった。
その会話の内容は多岐に渡る。
人間にとっての娯楽とは何か。今この肉体を動かしている自我とは何か。死の向こうで、僕らの意識はどこに在るのか。
そんな哲学的な内容を主として、そのほかにも詮ない雑談や近況報告をするのも楽しかった。Rの人生は、聞いているだけでも面白い。
最近は、一年間の海外留学から帰ってきたせいか日本の空の狭さに思うところがあったようで、芸術家肌のRにとっては海外は良い経験だったとのこと。
Rは万能で、中学のリレーでもアンカーをやっていたし、音楽祭でも指揮者賞を取り、美術で絵画を描かせれば出展確実というハイスペック。
そんなRは、海外から帰ってきてなぜか写真家に転身していた。
さて、そんなRと、今日も待ち合わせをしていた。
偶然……なのかどうかは知らないが、Rが指定してきたのはバレンタインデー。
実はこの日、Rの誘い以外にもバレンタイン合コンの話を別の友人から持ちかけられていたのだが、先にRの予定が入っていたので諦めた。
彼女の居ない僕にとって、女の子との出会いを逃すのは若干惜しい気もするのだけれど。
馬の合う友人と語らう時間は密で、逆に知りもしないような、ましてやバレンタインにコンパなんてしてるような女の子に余り良い印象も抱けない。
結果、僕はその誘いを断って、Rとの待ち合わせ場所である、とある喫茶店に来ていた。
ホワイトバレンタイン、とでも言うのだろうか。
正直、この東京でここまでの豪雪をみたのは何年振りだろう。今日はとても雪の降る日だったから、店内はかなり空いていた。
窓もないこの店は、洞窟のような雰囲気を醸し出していてとても好きだ。
マスターも気さくな人で、常連には100円引きの券を配っていたりする。一度に何枚もくれるので、溜めこんでしまっているのは秘密だ。
「雪の中、お疲れさまです」
「マスターもでしょう。バイクですか?」
「いやいや、もう今日は歩きですよ」
カウンター越しの会話。
ウェイトレスさんに連れられ、僕はいつものボックス席へと案内された。時計をみると予定時間まで後五分。豪雪に備え早めに出たのがちょうど良かったか。
ボックス席が四つと、カウンター席がいくつか。
ほとんどが空席だが、一人だけカウンター席に座る男が居て、その男が結構吸うのだろう、タバコの煙はいつも通り店の天井を徘徊していた。
しばらく、特製ブックカバー付きの小説家になろう最終兵器を読んで待っていると、来客を知らせる乾いたベルの音が鳴り響いた。
顔をあげれば、防寒具に身を包んだRが小さく手を振っていた。僕も応じて、手招きする。
いつもの二人だから、マスターも分かってくれて、早速僕らの分のコーヒーを作ってくれているようだ。サイフォンの下に灯る青い炎が美しい。
「待たせたかい?」
「僕はいつも通り五分前だよ」
人好きのする笑顔。Rは濡れた傘を床に置くと、ターコイズブルーのポシェットを隣の席に置いて僕の真向かいに座った。
四人席だと言うのに正面に座る。よほど親しい間柄の印である、という話は良く聞くが、何度目にしてもうれしいものには違いない。
「はい、I藤さんのビターブレンド。Rさんはソフトブレンドですよね」
「あ、ありがとうございます」
「すみませんいつも」
注文しても居ないのに珈琲がくるあたりは賛否両論だろうが、そりゃ三十回以上も同じ注文を、二人そろったタイミングでしていれば"良心的なサービス"にもなるだろう。
ウェイトレスさんは小さく会釈してから、厨房に戻っていった。
「さて、どうだい最近は」
「最近、ねえ。僕は相変わらずか。いろいろ考えることは多いけれど、実践に移せるかというと怪しいところだよ」
肩を竦めて、温度が絶妙に調整された珈琲に口をつける。いつもながら、とても美味しい。
「相変わらず、か。ボクは、最近この日本には自分の居場所が無いのかも、と思い始めているよ」
「居場所?」
「そう、居場所。どうにも、ここじゃない気がするんだ。……オーストラリアは、もう良いや」
「風土が合わないってことか?」
「風土……風土……そうだね。風土というより、文化だ。文化が合わない。この狭くジオラマのように作られた日本という島国の、文化がね」
「ジオラマの何がいけないのか、ちょっと分からないな。だだっ広く落ち着かないよりも、いいじゃないか」
「何でも小さく纏めようとするこの国風が、ボクの求める形と合わないんだよ」
「そういえば、Rの大きなあの絵も大したものだったな」
「ありがとう。絵は、もう少し練習するよ」
語り口は饒舌で、そうするとやはり舌が痺れるような珈琲が良く合う。こうして言葉を交わす場に、珈琲はかかせない。
今日も愉快な会話になりそうだと、思わず口元を緩めて笑う。
「練習……か」
「ん? 君の書く文章も、練習の成果だろう。他の人に言われたと言っていたが、ボクも君の文章は上達を続けていると思うよ」
「そう言われると、恥ずかしいな。というか、読んでいたっけ」
「魔剣戦記だけはね。うん、あれはいいんじゃないかな」
「Rに言われると自信無くすなぁ」
中学の卒業文集でドイツの哲学者について語っていたようなRのことだ。どんな目で僕の文章が読まれているのか、少し怖い。少しどころではないかもしれない。
「序盤の読みにくさはあったけど、どんどん上手くなってる。新作に期待だね」
「完結に期待しやがれ」
「あはは、まあ、そうだね」
「……ったく。ヒナゲシってキャラのモデルはまんまお前だよ」
「おや、ボクはあんなに直情的じゃないはずだが」
すかしたような笑み。
バレンタインデーだということを忘れそうになるが、いっそ忘れてしまってもいいのではないだろうか。
「でも、練習って素晴らしいことだと、ボクは思う」
「そうか? 僕は、一番を目指せないことに割く時間は無駄だとすら思うが」
「その辺、君は一本気すぎるな」
「何分、どんなことでも努力を続けられるRとは違うもんだからな」
練習、ねえ。
僕は物語を書くことに、全身全霊を尽くしていると、果たして胸を張っていえるのだろうかとも考えてしまう。だからこそ今は、たくさんの本を読んで学び、資料を漁ることだけは怠らない。それだけは、絶対に。
「心が折れたらどうするの、とは聞くだけ野暮なんだろうな、I藤の場合には」
「まあ、そりゃな。でなきゃ高校辞めたりしないよ」
「あれは傑作だったな。あはは!」
「うるせぇ」
「話を戻して。練習をして上達することは、凄いことだと思う。最近のボクは、からきしだ」
ため息をついてソーサーに手を伸ばすRに、違和感。こいつは、どんなことも努力で成し遂げてしまう奴だ。
だからこそ、思うこと、察せることがあるのも間違いない。なんだかんだで五年以上、交友を続けているのだ。
「……壁にでもぶちあたったか?」
「写真というのは、難しい」
「芸術はどんなものでも難しいだろうさ」
「……そう、何だけどね。ボクはもっともっと、様々なことを見つけるべきなのかもしれないよ」
「陸上、バスケ、サッカー、油絵、水彩画、合唱、指揮、伴奏、水泳……そして写真か。結果を出したものだけでも」
「そのどれも、一番にはなれてないよ」
「うちの中学ではどれも一番じゃねえか」
「陸上とサッカーは小学校だけだし、うちの中学、なんて狭い目でみても、それはとても小さなことだよ」
「いやまあ、それはそうかも知れないが」
十分、凄い成績だと思う。成績といえば、こいつはうちの中学唯一のオール5だ。
だからと言って、見える世界が違うなどと一蹴することだけはしない。こいつはこいつで、その孤独に苛まれていることを僕は知っている。
そして、僕はこいつと同じステージに立ちたいと常に足掻いているのだから。
「それで? 写真で結果が出せないのが悔しいのか?」
「端的に言えばそうだね。……うん、やっぱりこうしてボクの話にノってくれるのはきみだけだ。それは、とても嬉しい」
「恥ずかしいこと言ってんじゃねえよ」
華の咲いたようなほほえみ。
不意打ちでそういうことをするのは、やめてほしい。長いつきあいとはいえ、僕とRは親友で、それだけだ。
結構かわいいのだ、こいつ。
目も大きく、いつも意欲的に輝いているし、知性にも溢れている。中性的な魅力もあって、中学の頃から男女問わずに人気はあったように思う。
廃スペックのせいで、友人は殆ど居ないと嘆いていたが。Rにとっての友人の枠というのはどのような観点なのだろう。
……まぁ、その中で対等な友達として扱われる僕のプレッシャーも、大層なものだ。
これから生きる数十年、こいつを含む中学の"対等な友人達"には、僕は絶対に負けられない。
思わず拳を握りしめつつ、Rをみれば。
大きく背もたれに体を投げ出して伸びをしていた。
「弟がさ、柔道の全国大会に出たんだ」
「……もう一家揃ってチートな、お前んち」
「I藤も最近は勉強の為にこもりっきりだろう?」
「んなことねえよ、遊びまくってる」
「……まあいいや。こうして周りの人間がどんどん実績を出す中で、ボクは今停滞している。それがこう、たまらなく悔しいんだ」
「……そりゃ、いつも僕がお前に感じてることだな」
「え?」
呆けた顔のR。
そんなアホ面されたって、どうしようもない。
僕が思っていることはいくつもあって、劣等感だって多くあった。
だからこそ、そんなことで落ち込んでいるこいつがとても、羨ましいし妬ましい。
「お前がいつも努力を重ねて、何でも成功させるもんだから悔しかったよ。だからこそ今、それをバネにして頑張れてるんだ。お前もちったあ停滞しやがれ。すぐに追いついてやる」
「……ぷっ」
「なんだよ」
「あはは! いや、ありがとう。ボクを追いかけるなんて、随分と面白いことを言うんだね」
「実際、実力的に考えて僕がRに勝てるところなんて今のところないしな」
「そういうことじゃないよ……ふふ」
「なんだお前」
いつの間にか、僕のカップには珈琲は残っていなかった。
飲んだ記憶とか、そういうのは殆どない。でもだいたいそうだ。いつもこうして話していると、いつの間にか無くなっている。
そして、そのタイミングが、そろそろお開きの時間の合図。
あ、そうだ。
「おいR」
「なんだよ」
「チョコくれよ。今日バレンタインだろ?」
「はあ? あのね、ボクと君とはそういう間柄じゃないだろう。ボクがもし君にチョコをあげたとして、こう、へ、変じゃないか。今までこうして話してきたのは親友だと思うからであってこうボクはだね」
「わかったわかった」
ちぇ。
せめて親を見返す為に、一つは欲しかったんだがな。
大学の友達にも、いくつか投げやりにもらったけどそうじゃなくて、こう仲の良い奴からもらうだけで違うじゃないか。
「ほら」
「えっ」
真っ赤な顔で突き出された、可愛らしい包み。
「あ、マジで? なんだ話せるじゃねーかR!」
思わず立ち上がって肩をたたく。
これで家の連中にバカにされることもない。
そんな僕の笑みに気づいたのか、Rもふ、と口元を緩めて笑った。
「ボクの弟から」
「えっ」