脳筋の祝福を受けた伯爵令嬢は、今日から陛下を笑わせる
「……は、早まってはいけません!」
私は手を伸ばしながらジリジリと距離を詰めています。
広々とした最上階のルーフテラス。
この下では夜会の真っ最中。
つまり、助けは来ない。
例え誰かが来たとしても下でぺちゃんこの残骸になった後でしょう。
「生きていれば良い事も必ずありますわ」
私は相手を興奮させないように声をかけ続け、また一歩とテラスエッジに近づいています。
「……さ、さあ!こちらにお手を──」
そう言いかけた時、正面のテラスの手すりに乗った足の力が抜け、ゆっくりと前のめりに身体が倒れて行くではありませんか。
「だめぇぇぇぇぇええ!」
私はテラスを大股で走り抜け、軽々と手すりを飛び越えました。
(ああ。亡くなられたお母様……アデルをお許しください……)
(規則を破り、股をこんなに広げて闊歩してしまいましたの……)
私は落ちていく殿方の腕を引き、受け身の態勢を取りました。
なぜ、そんなことが……とお思いでしょう。
我が家の家訓。
汝、武芸を修めよ。
幼い頃からありとあらゆる武の道を極めてまいりましたの。
なのでこのように最上階からの投身にも──
ここは高さで言うと大体十五メートルといったところでしょうか。
普通に考えて常人には無理ですわね。
(お母様……アデルは、すぐにソチラへ……)
私は覚悟を決めて、ぎゅっと目を閉じました。
バッシャーン。
激しい水の音と飛沫。
背中に少々の痛み。
どうやら下は、そこそこの深さがある大噴水だったようです。
なんとか生き延びることができました。
小さな呻き声。
モゾモゾと胸元から顔を上げたのは、銀色の髪の青年。
紫色の瞳の中には私が映り込んでいます。
(なんとお美しいのでしょう……)
「──!!」
何やら怒った様子で私に言葉を投げかけているようです。
残念ながら意識が遠のいて参りました。
背中を強く打ったせいでしょうか?
先ほどからズキズキと痛みが強くなったような。
それともシャンパーニュの飲み過ぎ……
私は意識を失う前にどうしても殿方に伝えたいことを口にしました。
「貴方は、とても、お美しい……で、す」
嗚呼、我ながらなんて事を口走ってしまったのでしょう。
私は、少しの後悔を胸に意識を手放しました。
目が覚めたら、そこは牢屋でした。
ヒンヤリとした壁。
錆びた鉄の香り。
伯爵家であっても牢屋にぶち込まれるだなんて知りませんでした。
一体、なんの罪でこのような場所に投獄されたのでしょう。
(きっと天国のお母様も悲しみに打ちひしがれていることでしょうね)
私はまたしても家訓を破り、汚れた硬いベッドにゴロリと寝転びました。
我が家の家訓。
汝、常に身を清め清潔であれ。
汝、如何なる時も怠慢な態度を取るべからず。
一気に二つも破ってしまいましたの。
しかし、この状況では致し方ありません。
それに先ほどから強打した背中と頭にズキズキとした痛みが生じて参りました。
恐らくは二日酔い……ですわね。
何故、あんなにもシャンパーニュを鯨飲してしまったのでしょうか。
一献にしておくべきでした。
天井に張られた蜘蛛の巣を見つめ、反省をしていると複数の足音が近づいてまいりました。
私は数秒思考した結果、狸寝入りを決め込みました。
牢屋の通路では何やら話し声が聞こえます。
「よりにもよってローゼン伯爵の一人娘とは……」
「あの有名な変わり者だろう」
(なんと言う事でしょう……私は知らない間に有名人になっておりました)
(お母様……以下略)
「まさか陛下が自死を企てたなどと知られてはマズいからな」
「ローゼン嬢には悪いが……」
足音は離れ、消えていきました。
(……全て理解いたしました)
この国の伯爵令嬢ならば全てを受け入れ、陛下のために喜んで罪を被りましょう。
しかし、困ったことに私は一人娘。
ローゼンの名をここで消すわけには参りませんの。
私はベッドから静かに起き上がると、廊下を覗き込みました。
今ならば見張りもこちらを見ていないようです。
私は自身の手のひらに唾を吐きかけると、牢屋の鉄格子を握り、左右に力一杯押し広げていきます。
また家訓を……まあ今は仕方ないですわね。
金属の鈍い音を立てながら、グニャリと曲がった鉄格子。
腰を屈めながら潜り抜けました。
(伯爵令嬢でありながら逃げ出すだなんて……)
(嗚呼、お母様……アデルをお許しください)
私はドレスのラッフルを掴み上げると猛ダッシュで走り抜けていきます。
走りながら私はふと陛下の御姿を思い出しておりました。
このノルディア王国のエヴァン陛下は御歳六十七のはずでしたが……。
(見間違いだったのでしょうか?)
私は、前方からの足音にいち早く気付くと細い柱に足をかけ、軽々と上っていきます。
指先の力のみで自重を支えます。
ぶら下がる私の真下を見張り達が通り過ぎて行きました。
さて、地下牢ともそろそろお別れ致しましょうか。
私はパッと手を離し着地すると、長い階段を一気に駆け上って行きました。
階段を上りきると、そこは王城。
外は暗い空が薄らと白んで来ておりました。
(なんと手薄い警備でしょうか……)
(罪のない方をあちらの世界にお連れする必要もなく助かりましたが……)
私はキョロキョロと周りを見回しました。
やはり……見覚えのある馬車が一台止まっておりました。
ローゼン伯爵家の馬車でございます。
この手緩い警備は父メディウス・ローゼンの仕業のようです。
私は素早く馬車に乗り込みました。
「アデル……待ちくたびれたぞ」
「お父様、ご心配をおかけいたしました」
お父様は馬車を出すように命じると、不機嫌そうに両腕を組んでおられます。
ローゼン家に受け継がれる緑色の瞳で私を睨みつけ、まるで威嚇をしているかのようです。
「……あのお父様」
「家訓を忘れたか?」
「……」
我が家の家訓。
汝、淑女たるもの殿方との会話の口火を切るべからず
(嗚呼、お母様……実に面倒ですわ)
私は口を閉じ、お父様の声を待ち続けました。
しかし、その声が届く前に自宅に到着してしまいました。
それもそのはず、ローゼン伯爵家は王城から徒歩五分ほど。
何故、こんな近距離に住まいを建てたのでしょう。
御者が小さくノックをし、馬車の扉を開けました。
お父様は何も言わないまま、私の前を素知らぬ顔で通過していきます。
私はお父様の発達した広背筋を見つめながら、小さく息を漏らしました。
(アデルには何も教えて下さらないのですね……)
私はまだ湿り気の残るドレスのラッフルを掴むとゆっくりと屋敷に向かいました。
我が家の家訓。
汝、如何なる時も静穏で帰宅すべし
(以下略)
私の投獄、そして脱獄の一報があったのでしょう。
屋敷の扉の前には何人もの侍女が待ち構えております。
皆、眉を下げ目を涙で潤ませる者まで。
「アデル様っ!」
気がつけばぐるりと侍女に囲まれてしまいました。
「アデル様、お怪我はございませんか?」
「アデル様、湯浴みの準備が出来ております」
「小腹が空いてはおりませんか?」
私は思わず頬が緩んでしまいます。
先ほどの冷たい牢屋とは違う温かな部屋。
安心したのでしょうか。
先ほどの投獄された恐怖心と思わしき感情が背筋をゾクゾクと上っていきます。
「はっ、はひっ……ぶへぇくしょぉぉん!」
大きな声と共に勢いよく出たくしゃみで何人かの侍女がひっくり返ってしまいました。
「あら……私ってば、ごめんなさいっ」
私は侍女の小脇に手を入れ、軽々と立ち上がらせていきます。
私よりも幾分か小柄な彼女達は目を大きく開き、私に体を預けました。
「お嬢様、ありがとうございます」
こんなに頬を赤らめてまで……怖がらせてしまいましたわね。
「アデルお嬢様。さあ、早く湯浴みへ参りましょう」
侍女に急かされ背を押されながら私は浴場へ向かいました。
特注のベッドに沈む身体。
シルクのネグリジェが私を包み込みます。
本日は色々とあり過ぎましたもの。
私の緑色の瞳はすぐに、重くなった瞼に押し潰され、夢の世界へと旅立っていきました。
上質なカーテンが揺れ、朝日が私の瞼を撫で回します。
私は、ゆっくりと眠りから目覚めていきます。
ローゼン伯爵家の朝は早いのです。
私はパッチリと目を開くと、ベッドから飛び出し可憐なネグリジェから男性用のシャツに着替えます。
こちらの服装はローゼン伯爵家が取り纏める衛兵隊と同じ物ですの。
私はさらに頭から兜を被り、プレートアーマーを身に付けると、颯爽と部屋から出て行きました。
屋敷の裏口から出て行き、衛兵隊の訓練に合流致しました。
皆様、しっかりと鍛えていらっしゃるお陰で私の筋肉も悪目立ちすることなく更なる高みを目指すことができるのです。
衛兵隊の先導はお父様が務めます。
「まずは走りこみを行う」
「死ぬ気で走れ!」
(……なんと雑な先導でしょうか)
私はお父様に軽く頭を下げて本気で走り出しました。
土埃が上がり、風が巻き上がります。
ざっと隣国との境界線に到着し、パトロールも兼ねてぐるりと一周して帰宅いたしました。
先に伯爵家に戻った騎士達が地面に寝転がり、肩を上下させています。
己の全力を出し切ったのですね。
感服致しました。
私は軽く息を乱しながら次の訓練会場に移りました。
王宮内、近衛兵の戦闘訓練です。
木製の剣を使った剣技鍛錬。
私は紐で右手を腰紐に結びつけ、左手のみで打ち合いを続けます。
(やはり近衛兵は伊達じゃないですわ!)
私は、左手で持つ木刀で相手の武器を奪い取ると、男の喉仏に剣先を向けました。
ごくりと男の喉が上下いたしました。
勝負あり……ですわね。
私はニコリと微笑んで差しあげました。
なぜか肩が震えているようですが、汗が冷えてしまったのでしょう。
(風邪など引かぬようにお気をつけくださいな)
視線を感じ、くるりと振り向くと、銀色の髪をした紫眼の青年がこちらを見つめておりました。
私の目は鎧の中で大きく見開かれます。
(あのお方は、昨晩の……)
(話を……聞かなければ!)
「また見てやがるな」
「……バケモノだろう」
私の背後で近衛兵達が集まり、口々に品位に欠ける言葉を繰り広げて行きます。
あんなに美しい殿方に嫉妬でもしているのでしょうか?
皆様もこんなに素晴らしい筋肉をお持ちだと言うのに……。
「長年経っても姿が変わらないんだろ?」
「悪魔と取引したらしいって話」
(……悪魔と取引?そんなことが可能でしょうか)
私は、近衛兵の指導者に深々と頭を下げると銀色に靡く髪を追いかけ、走り出しました。
地面を思い切り蹴り上げると大きな土煙が立ち上がり、近衛兵達の唸るような声が聞こえたような気がいたしました。
何故でしょう。
銀色の髪の殿方は私の姿を見るなり、背を向けて走り出してしまいました。
訓練ではたくさんの汗を流しましたから、少し匂うのかもしれませんね。
私は風下に回り込み、銀色の髪の殿方を追い詰めました。
ドゴォォンッ!
これは所謂、壁ドンというやつです。
私の逞しい両腕の間でプルプルと震え、まるで小さなワンちゃんのよう。
(困りました……)
(家訓のせいで私からは口火が切れませんの)
銀色の髪の殿方は、唇をキュッと結び声を上げました。
「……不敬だ」
(声をかけて頂きました!)
(これでお話ができますわ!)
「あの──」
「アデルッ!!」
あら、聞き覚えのある声が王宮に響き渡りましたの。
声の主は──お父様ですわね。
お父様は私の兜を取り上げると、頭を掴み地面に押し付けました。
なんとスパルタな躾でしょうか。
「陛下っ!愚女が申し訳ございません!」
(愚女!?久しぶりに聞きましたわ)
「お父様、私はこちらの殿方とお話を──」
「だ、黙りなさい!アデル!」
お父様がここまでご乱心されるのは久しぶりですわね。
確か前回は、私が王宮の壁を破壊した時だったような……
「……メディウス、お前の娘か?」
「ハッ!」
銀色の髪の殿方は腕を組み、少し物思いに耽っているようです。
私の僧帽筋あたりに熱い視線を感じます。
ぐううぅぅぅぅぉぉぉぉん!
殿方の肩がビクッと跳ね上がりました。
私は静かに腹を押さえ、物理的に腹の虫を潰しました。
お父様は私を見下ろすと呆れたように小さく息を吐きました。
「陛下、また後ほど。今はこの獣を家に送り届けます」
「アデル、家に帰るぞ」
お父様は私を軽々と持ち上げ立たせました。
私は空腹でふらりと蹌踉めきながら父の後ろをついて行きます。
「メディウス」
「はい」
ピタリと足を止めたお父様に顔面からぶつかりました。
流石はお父様。びくともしませんこと。
体幹がしっかりとしていらっしゃいますわ。
「先日のこともある。大広間へ」
「……いや、しかし」
お父様は私をチラリと横目に見ると、眉を落としました。
「構わん」
銀色の髪の殿方は近くの者に声をかけると王宮の奥に消えて行きました。
「……アデル、全くお前という奴は……」
お父様は眉間を手で押さえ、苦痛に表情を歪めていらっしゃいました。
「お父様、あの殿方は一体……?」
「オルドリック陛下だ」
私は静かに首を傾げました。
オルドリック。
それはノルディア国、初代国王と同じ御名前でしたもの。
歴史的人物と同じ御名前を命名されたのかしら。
「陛下……?お父様、一体どういう──」
「アデル、お前はあっちだ」
お父様は王宮直属の侍女達を指差しました。
私は数回、目を瞬きさせました。
「お父様、あれは我が家の侍女ではございませんことよ」
お父様は面倒くさそうに眉を寄せると、私の背中を強く押しました。
少しだけバランスを崩した私は侍女達の前に滑り込むような体勢で飛び込んでしまいました。
「アデル様、時間がございません」
王宮侍女達は私の背を押し、王宮の奥に連行して行くのでした。
流石は王宮侍女です。
私が天井に広がる美しい壁画に目移りしている隙に、プレートアーマーから上品なドレスに御色直しが済んでおりました。
肩まで開いたデザインのドレスは、私の三角筋を美しく引き立てています。
装飾が施されたソファの上には鈍色に輝くプレートアーマーが控えております。
すぐに戻るので休んでいらしてね。
私が部屋から出るとお父様が待ち構えておりました。
「……アデル!くれぐれも粗相のないように」
「フフッ。お父様ったら」
私はお父様の渾身の冗談に軽く笑い返しました。
しかし、お父様は少々気を悪くされたのか顔色を変え、肩を落としてしまいました。
もっと笑って差し上げたら良かったかしら。
大広間の扉の前には何人もの近衛兵が集まっておりました。
毎朝、切磋琢磨する仲間です。
皆様、いつもこちらで朝食を召し上がっているのかしら?
残念ながらプレートアーマーと兜を外した私では、どなたも気付いてくれませんでした。
ゆっくりと重厚な扉が開かれました。
中には長く大きなテーブル。
そのテーブルの上にはたくさんの食器が並んでおります。
私がお父様と入室すると扉はすぐに閉められてしまいました。
近衛兵の方は一緒ではなかったようですわ。
「お父様、王宮調理人のお料理ですわよ」
私はやや興奮気味に皿を目で追いました。
また、扉が開かれると銀色の髪の殿方……オルドリック陛下が姿を現しました。
私の横を何ともないように通過し、テーブルの椅子に腰を掛けました。
「……待たせたな」
「いえ」
お父様は短くお返事をすると椅子を引き、私を座らせました。
エスコートもそつなくこなしてしまうなんて。
(お母様もそこに惹かれたのでしょうか?)
お父様が隣の席に着くと同時に給仕達が動き始めました。
朝の訓練後にこのように美食を堪能することができ、私の腹の虫も満腹で歓喜の声を上げております。
食後の紅茶が運ばれてまいりました。
ふわりと茶葉の香りが大広間を包み込みます。
「……良い香りですわね」
私とした事が思わず口火を切ってしまいました。
お父様からチクチクとした視線が突き刺さります。
私は刺繍の施されたハンカチーフで丁寧にティーカップの縁を拭き取りました。
これで食事会も終わりを迎えます。
オルドリック陛下が口を開きました。
「昨晩のことだが……」
私は満腹のあまり、目的を見失っておりました。
オルドリック陛下は何故あのような危険な場所に立っておられたのでしょうか。
地下牢で聞いた言葉が頭から離れません。
『陛下が自死を企てた』
オルドリック陛下から続いた御言葉は、意外なものでした。
「全て忘れろ」
「ハッ!」
お父様ったら即答してしまうなんて、反射的な御返事はよろしくないと仰っていましたのに。
伯爵令嬢たるもの当主の判断には従うべきことは重々承知しております。
しかし、このまま放っておくことなんて出来ませんの!
私は勢いよく椅子から立ち上がりました。
「オルドリック陛下、わた──」
ほぼ同時に、大広間の扉が開かれました。
現れたのは、ノルディア国の王エヴァン陛下とご子息のカイン王子。
御二方は口元を歪め、オルドリック陛下のもとに近づいて行きます。
お疲れなのかしら?目の下には深い隈が浮かんでおります。
「バケモノが悪巧みをしていると聞いたのでね」
(……バケモノ?私のことでしょうか)
「アデル、お前のことではない」
お父様が小声で私に助言をくださいました。
苛立っているのでしょうか。
緑色の瞳は細く鋭くなっていきます。
「エヴァン陛下、決して悪巧みなどしておりません」
「オルドリック陛下のご厚意で朝食を頂いた次第でございます」
お父様は全く笑顔を見せずにお話を続けております。
テーブルの下で強く握られた拳が只事ではないと私に訴えかけてまいりました。
「どうだかな。このバケモノにそう言えと指示されたのではないか?」
「そのようなことは断じてございません!」
エヴァン陛下は小さく鼻を鳴らすと、部屋の奥へ進んで行きます。
オルドリック陛下の前にやってくると、見下すように目を細めました。
両手を振り上げテーブルを強く叩くと、オルドリック陛下のタイを掴み上げました。
細身でおられる陛下は眉を寄せるのみで、抵抗をまるで見せません。
「何が神の祝福だ!不老不死?ただのバケモノだろう」
なんと粗暴な立ち振る舞いでしょうか。
御二方はまるで悪役のように醜悪な笑みを浮かべております。
普段は穏やかな表情で王宮から手を振っておられるのに……二重人格でしょうか。
「エヴァン陛下、オルドリック陛下は建国当初から尽力されたお方です」
「国政に関しては、現在も全てを担っておられるのですぞ」
お父様は立ち上がり、少々声を張り上げました。
しかし、御二方には届かなかったようです。
「此奴は、何百年も王宮の隅で隠れていたような腰抜けだぞ」
「今更、居ても居なくても変わらん」
鼻で笑うように一蹴されてしまいました。
(……全て理解いたしました)
私はオルドリック陛下の紫眼が悲しみに暗くなる様子に、我慢の限界を迎えました。
「オルドリック陛下っ!」
私の声に陛下の肩がビクッと動きました。
「初代国王のあなたが子孫にこのように言われても良いのですか?」
「くっ……」
オルドリック陛下はギュッと手のひらを握りしめ、拳を作りました。
私はオルドリック陛下の隣に立ち、その拳を掴みました。
「陛下、微力ながらお力添えいたします」
「伯爵家ごときが王族に歯向かう気か?」
ニヤリと試すかのように目を細めるエヴァン陛下とカイン王子。
「私は手を出しませんわ」
この時点でお父様が止めないということは暗黙の許可が降りたということですわね。
私は掴んでいた陛下の拳をペロリと舐めました。
「なっ、なな、何を!」
「さあ、陛下!存分にお楽しみください」
「だから、一体なにを!?」
動揺し、見開かれた紫眼はそれは美しゅうございました。
面白がった御二方がオルドリック陛下に手をあげる素ぶりを取りました。
驚いたオルドリック陛下は、思わずエヴァン陛下をトンと軽く押しました。
ドゴォォン。
その瞬間──
エヴァン陛下の姿は消え、代わりに人型の穴が壁に開きました。
穴の向こう側にはぐったりとエヴァン陛下が横たわっておりました。
(あら、お労しいですわ)
オルドリック陛下とカイン王子は、しばらく目を丸くしたまま立ち尽くしておりました。
カイン王子は後退りをするとそのまま部屋を飛び出して行ってしまわれました。
未だに立ち尽くすオルドリック陛下は、何度も瞬きを繰り返しております。
私はオルドリック陛下のお手を取るとハンカチーフでそっと拭き取りました。
(……暴発しては危険ですもの)
オルドリック陛下は私を見上げると、ゆっくりと口を開きました。
「お前も神の祝福を受けていたんだな」
「ローゼン伯爵家は代々、神の祝福を受けておりますわ」
「それは存じている。しかし……」
オルドリック陛下は私とお父様を交互に見つめました。
キョロキョロと顔が左右に忙しなく動きます。
「さらに私は特別な加護をいただいております」
「……それがこの他者への『贈与』です」
オルドリック陛下は、腕を組み真剣に話を聞いておられました。
そして、フッと口元から息を漏らしました。
「贈与が唾液では、乙女には辛かろう」
眉を下げ、無防備に微笑むオルドリック陛下の御姿。
(なんと可憐な微笑みでしょうか!)
私は、咄嗟に自分の左胸を押さえました。
鍛錬の走り込みでもここまで心の臓は昂りませんのに……。
私はじわりと顔が熱くなるような錯覚を感じておりました。
お父様はフッと頬を緩めました。
「陛下は冗談がお好きなのですね。乙女なぞどこにもおりませんよ」
「お、お父様!?娘の性別をお忘れですの?」
「プレートアーマーを嬉々として着込む者は乙女ではないと言っているのだ」
私は少しだけ頬を膨らませ、お父様の腹直筋に軽くフックを入れました。
「……アデル」
オルドリック陛下が初めて私の名を呼んでくださいました。
なんと美しいお声でしょうか。
うっとりと聞き入ってしまい、返事をするのを忘れてしまいました。
「アデル!」
お父様がお返しと言わんばかりに私の腹直筋を軽く肘で突きました。
「は、はい。陛下!」
オルドリック陛下の紫色の瞳が宝石のように輝いております。
(……お美しいですわ)
思わず見惚れてしまいました。
「──にいろ。良いな」
私とした事が、陛下の御尊顔ばかりに意識が行き、麗しいお声と御言葉をほとんど耳に入れる事が出来ませんでした。
しかし、聞いていなかったとなるとお父様がご立腹なさりますもの。
ここは……
「……は、はい!」
このように取り敢えずお返事をしておきましょう。
あら?
何故かお父様の視線がチクチクと突き刺さります。
私は目を細め、ゆっくりと首を傾げました。
淑女のようにやわらかい笑みを心がけます。
口端がぐにゃりと上がっていきます。
お父様のこめかみに青筋が浮かび上がりましたわ。
「アデル……陛下がなんと仰ったか聞いていたか?」
「え、ええっと……」
まるで聞いていなかったのがあっさりとバレてしまいました。
オルドリック陛下はフッと口角を上げ、手を顎に置きました。
「アデル、もう一度言うぞ」
「お前は私の側にいろ。絶対に離れるでない」
「な、な、」
私の頬は熱を浴び、赤みが増していきます。
私は両手で熱くなる顔を押さえました。
(なんて……なんて!)
「なんて破廉恥ですの!」
動揺のあまり、心の声が漏れてしまいました。
オルドリック陛下は目を細め、小さく息を吐きました。
「……不敬だ」
「陛下!申し訳ございません!」
大広間にはお父様の慌てた声が落ちておりました。




