第51話 名前を使う者
午後三時。
駅前広場は、すでに人だかりだった。
野次馬。
配信者。
スマートフォンのカメラ。
中心に立つのは、黒いフードを被った青年。
「見ろよ!」
青年が叫ぶ。
次の瞬間、地面に仕込まれた小型発煙装置が爆ぜる。
白煙。
悲鳴。
「俺が“影を消す男”だ!」
歓声と恐怖が混ざる。
「やば……本物?」
「違うだろ、でも……」
青年は、誇張された動きで腕を振る。
空間は歪まない。
ただの演出だ。
だが、人は――信じたいものを信じる。
そのとき。
群衆の後方で、空気が静かに変わった。
迅が、歩いてくる。
帽子を深くかぶり、静かな足取り。
偽物が、迅に気づく。
「……お前」
迅は、淡々と言った。
「その名前、使うな」
ざわめきが走る。
「え、二人いる?」
「どっちが本物?」
偽物は、笑った。
「本物?」
「証明できるのかよ」
迅は、少しだけ目を細める。
「できる」
偽物が、挑発する。
「やってみろよ」
その瞬間。
背後で、叫び声。
「きゃあっ!」
広場の端、ビルの壁面に、影が滲む。
本物だ。
迅は、一瞬で判断した。
偽物ではない。
“波及”だ。
迅は、駆ける。
偽物が、舌打ちする。
「おい、待て!」
迅は振り返らない。
影が、壁から剥がれ、人に向かう。
迅は、手を伸ばす。
空間が、軋む。
群衆の目の前で、現実がわずかに折れ曲がる。
影が、砕ける。
衝撃が、風となって広場を抜ける。
沈黙。
次の瞬間。
歓声と悲鳴が同時に上がる。
「……今の、本物だ」
「撮れた、全部撮れた!」
偽物が、立ち尽くす。
迅は、ゆっくり振り向いた。
視線が、交差する。
偽物の目に浮かぶのは、怒りと焦り。
「……なんで」
迅は、近づく。
「名前は」
「責任がついてくる」
偽物が、声を荒げる。
「俺だって!」
「誰かに見てほしかっただけだ!」
その言葉に、迅の足が止まる。
一瞬だけ、理解がよぎる。
だが。
迅は、静かに言った。
「見られたいなら」
「嘘じゃなく、自分で立て」
偽物は、拳を握る。
そのとき。
サイレンが鳴る。
管理局車両。
隊員が、迅と偽物を同時に囲む。
隊長が、拡声器で告げる。
「迅氏」
「および模倣者」
「同行願います」
群衆がざわつく。
「え、両方?」
「ヒーローも連れてくの?」
迅は、帽子を脱いだ。
カメラが、一斉に向く。
逃げない。
その姿勢が、映る。
偽物が、震える声で言う。
「……なんで、逃げない」
迅は、前を見たまま答える。
「逃げたら」
「物語にされる」
一拍。
「俺は、俺でいる」
隊員が近づく。
夜刀が、その中にいた。
目が合う。
言葉はない。
だが、そこにあるのは――警告。
迅は、静かに両手を上げた。
群衆が、どよめく。
《ヒーローが捕まった》
《やっぱ危険人物?》
《でも助けてたよな》
《国家が消す気だ》
世論が、割れていく。
迅は、連行されながら、空を見上げた。
雲が、ゆっくり流れている。
その裏で。
見えない何かが、確実に観測を続けている。
名前は、広がった。
善意も、恐怖も、利用も。
迅は、もう一度、自分に言う。
――逃げない。
その選択が、
世界をどう動かすのかは、まだ誰も知らない。




