第50話 拡散する名前
朝九時。
世界は、もう迅を知っていた。
『駅前の影を消した謎の男』
『空間を歪ませる青年』
『リアル超能力者?』
動画は粗い。
手ブレもひどい。
だが。
“歪み”だけは、はっきり映っていた。
再生数が、跳ね上がる。
コメント欄は、二極化していく。
《フェイクだろ》
《いやこれ本物じゃない?》
《この人、前も見た気がする》
《ヒーロー爆誕》
《危険人物じゃね?》
迅は、青藍院の縁側で端末を閉じた。
「……早いな」
灯火が、隣に座る。
「削除依頼は?」
迅は、苦笑した。
「もうミラーが無数にある」
「止まらない」
灯火は、静かに言う。
「見られることが、力になる存在もいる」
迅は、視線を上げる。
「俺は、違う」
「観測されるほど、歪む」
その言葉の直後。
境内の空気が、微かに震えた。
灯火が立ち上がる。
「……来る」
だが、観測者ではない。
人間でもない。
境内の門前に、ひとりの少女が立っていた。
年齢は十代半ば。
私服。
スマートフォンを握っている。
「……ここ」
少女は、門をくぐる。
迅と目が合う。
その瞳にあるのは、恐怖でも憧れでもない。
「確認」
迅の背筋が、冷える。
「誰だ」
少女は、無表情のまま答える。
「第三観測系統」
「迅、あなたは既に“波及源”」
灯火が、迅の前に出る。
「名乗りなさい」
少女は、少しだけ首を傾げた。
「名称:未定」
「現在、人間社会適応中」
迅は、理解した。
「……観測者とは、別系統か」
少女は、頷く。
「あなたの存在は」
「観測するには、影響が大きすぎる」
「よって」
「管理か、回収が必要」
灯火の指先に、結界が宿る。
「ここは、青藍院」
少女は、迅を見続ける。
「あなたは、既に外に出た」
「駅前」
「動画」
「拡散」
迅は、静かに言った。
「だから?」
少女は、淡々と続ける。
「世界は、“物語”を欲する」
「あなたは、それに適している」
迅の中で、何かが軋む。
「……俺は、娯楽じゃない」
少女は、初めて、微かに笑った。
「違う」
「実験」
その瞬間。
迅の端末が震える。
通知が、連続で届く。
【迅を名乗る偽物出現】
【模倣犯か? 駅前で小規模騒動】
【“影を消す男”を探せ】
迅は、目を見開く。
「……もう、利用され始めてる」
少女は、静かに言う。
「波及は、止まらない」
「あなたは、選ぶ必要がある」
迅は、睨む。
「何を」
少女は、一歩踏み出す。
「象徴になるか」
「排除されるか」
灯火が、強く言った。
「第三の選択肢がある」
少女は、視線を移す。
灯火は、はっきりと言う。
「守る側でいる」
「誰の物語にもならない」
少女は、数秒沈黙した。
やがて。
「……未定義」
空気が、歪む。
少女の姿が、薄れていく。
「迅」
「あなたは、中心にいる」
「もう、周縁ではない」
消える直前。
最後の言葉が落ちる。
「観測者は、増える」
静寂。
風が戻る。
迅は、ゆっくり息を吐いた。
「……中心、か」
灯火が、隣に立つ。
「怖い?」
迅は、正直に言った。
「少し」
そして、続ける。
「でも」
灯火を見る。
「逃げない」
遠くで、サイレンが鳴る。
別の“迅”が騒ぎを起こしている。
世界は、もう動き出している。
迅は、門の外を見る。
「……まずは」
「偽物を止める」
灯火が、頷く。
「青藍院は、開いてる」
迅は、歩き出す。
観測は、拡散した。
名前は、広がった。
物語は、個人のものではなくなった。
だが。
選択だけは、まだ迅の手にあった。




