第49話 現象の目撃者
街は、まだ眠り切っていなかった。
始発前の駅前。
コンビニの灯り、深夜帰りの人影、清掃車の音。
そのすべてが、一瞬で歪んだ。
空気が、沈む。
誰かが足を止める。
「……え?」
次の瞬間、地面が軋んだ。
見えない“何か”が、地表をなぞるように広がっていく。
「な、なんだよ……」
逃げ遅れた男が、転ぶ。
影が、伸びた。
人の形をしていない。
だが、明確な“意思”だけがある。
――捕まえる。
悲鳴が上がる。
その瞬間。
風が、切り裂いた。
「下がれ!」
迅の声が、夜気を割る。
影が、弾かれるように後退する。
人々が、一斉に振り向いた。
そこに立っていたのは、
制服でも、装備でもない、ただの青年。
迅だった。
「……なに、あれ……」
誰かが呟く。
迅は、周囲を見渡す。
人が多すぎる。
結界を張れば、全員を巻き込む。
放てば、映像も記録も残る。
――選択肢が、ない。
迅は、一歩踏み出した。
影が、再びうねる。
迅は、手を伸ばす。
空間が、歪んだ。
それを、人々は見た。
光でも、炎でもない。
“現実が、一瞬だけ別の形になる”感覚。
影は、叫び声のような振動を残して、消滅した。
静寂。
数秒後。
「……え?」
「今の……CG?」
「撮った! 今の撮ったよ!」
スマートフォンの画面が、一斉に迅へ向く。
迅の背筋が、冷たくなる。
「……やばい」
逃げようとした瞬間。
倒れていた男が、迅を見上げた。
「……あんた……」
迅は、身構える。
だが、男は震える声で言った。
「助けて……くれたんだよな……?」
迅は、一瞬、言葉を失う。
「……ああ」
それだけで、よかった。
だが。
遠くで、警告音が鳴る。
管理局の車両だ。
「こちら、現場確保」
「対象確認」
迅の視界に、照準が重なる。
人々が、ざわめく。
「え、なに? あの人、危険なの?」
「警察じゃない……?」
迅は、舌打ちする。
逃げれば、“危険な存在”として確定する。
留まれば、拘束される。
そのとき。
「待って!」
人混みをかき分けて、声が上がった。
さっきの男だ。
「この人がいなかったら、俺……!」
隊員が制止する。
「下がってください」
迅は、男を見る。
男は、必死だった。
「本当だ! 見たんだ! あいつを消した!」
別の声が続く。
「……私も」
「私も、助かった」
ざわめきが、変わる。
疑念と、感謝が混ざる。
隊長が、迅を見る。
「……迅氏」
「あなたの行動は、結果として市民を救いました」
迅は、黙って聞く。
「しかし」
「その存在は、今後、混乱を生みます」
迅は、静かに言った。
「それでも」
「見捨てるよりは、マシだ」
一拍の沈黙。
隊長は、無線を切った。
「……今回は、引き上げます」
「ただし」
「次は、ありません」
迅は、頷いた。
車両が去る。
人々の視線が、まだ迅に刺さる。
誰かが、写真を撮り続けている。
迅は、帽子を深くかぶり、歩き出した。
背後で、声が飛ぶ。
「……ヒーロー?」
迅は、足を止めない。
角を曲がった瞬間。
膝が、震えた。
「……はあ」
壁にもたれ、息を吐く。
隠せない。
戻れない。
迅は、空を見上げる。
雲が、ゆっくりと動いている。
「……もう」
「普通じゃ、いられないな」
遠く、青藍院の方角で、結界が微かに応じた。
観測は、完了した。
迅という“現象”は、
人々に目撃され、記録され、語られ始めた。
次に起こるのは、
救済か、排除か。
その選択は、
もう迅一人のものではなかった。




