第48話 波及する現実
最初に異変を感じたのは、空だった。
夜明け前。
青藍院の上空だけ、雲の流れが不自然に速い。
迅は、境内の中央で立ち尽くしていた。
「……来るな」
言葉にした瞬間、風が吹き荒れる。
結界核の開放は、爆発ではなかった。
だが、波紋だった。
静かに、確実に、遠くまで広がっていく。
灯火が、迅の隣に立つ。
「境内の結界は、安定してる」
「でも……」
迅は、頷いた。
「世界が、気づき始めてる」
社殿の柱に刻まれた印が、淡く光る。
それは警告でもあり、招待状でもあった。
「……まずいな」
迅が呟く。
次の瞬間。
空間が、裂けた。
境界ではない。
観測者でもない。
“人間の技術”による強制転移。
境内の端に、装備を身につけた人影が現れる。
「――こちら、境界管理局特務班」
無線越しの声。
「青藍院、反応確認」
灯火の表情が、引き締まる。
「もう来た……」
迅は、一歩前に出る。
「許可してない」
隊員の一人が、淡々と答える。
「許可は不要です」
「緊急事案指定が、先ほど発令されました」
迅の胸が、ざわつく。
「……何級だ」
隊員は、一瞬だけ、言葉を選んだ。
「未分類」
「ただし」
「迅氏、あなたの存在が、直接原因と記録されています」
灯火が、迅を見る。
迅は、静かに息を吐いた。
「……引き金、か」
そのとき。
夜刀の声が、通信に割り込んだ。
「待って!」
境内の外から、夜刀が走ってくる。
「まだ、評価が終わってない!」
隊長格の男が、振り返る。
「夜刀調整官」
「これは、現場判断です」
夜刀は、歯を食いしばる。
「結界核の開放は」
「安定化を目的とした――」
迅が、手を上げた。
「いい」
夜刀が、迅を見る。
「……迅?」
迅は、隊員たちを見る。
「俺が、原因なのは事実だ」
「だから」
「話は、俺がする」
一瞬、風が止む。
迅は、はっきり言った。
「ここは、俺が守る」
「青藍院は、誰の実験場でもない」
隊長の目が、冷たくなる。
「迅氏」
「あなたは、すでに“現象”です」
その言葉が、胸に刺さる。
灯火が、即座に言い返す。
「人を、現象と呼ばないで」
隊長は、灯火を一瞥する。
「感情論は、不要です」
迅の中で、何かが沈んだ。
「……そうか」
迅は、地面に手をついた。
結界が、微かに応じる。
だが、まだ抑える。
「なら」
「俺は、“現象”として」
「ここに立つ」
空気が、軋む。
隊員たちが、警戒姿勢に入る。
夜刀が、叫ぶ。
「迅、待って!」
その瞬間。
遠くで、別の揺らぎが生まれた。
迅は、顔を上げる。
「……境内じゃない」
「街だ」
灯火の顔色が、変わる。
「波及が……!」
結界核の開放が、青藍院だけで終わらない。
“帰る場所を持つ存在”が、
世界の別の歪みを呼び覚ましている。
隊長が、無線に叫ぶ。
「市街地に異常発生!」
「レベル、急上昇!」
迅は、即座に立ち上がった。
「俺が行く」
隊長が、睨む。
「許可は――」
迅は、被せる。
「現象が、収束しに行く」
一拍の沈黙。
夜刀が、低く言った。
「……行かせて」
「彼しか、間に合わない」
隊長は、歯を噛みしめ、頷いた。
「……条件付きだ」
迅は、灯火を見る。
灯火は、強く頷く。
「ここは、私が守る」
迅は、微笑った。
「すぐ、戻る」
走り出す迅の背中を見ながら、灯火は呟いた。
「……波及するのは」
「力だけじゃない」
境内に残った結界が、再び息をする。
夜空のどこかで。
誰かが、静かに笑った。
観測は、次の段階へ移行する。
青藍院は、もう一点ではない。
世界全体が、
迅という存在を中心に、動き始めていた。




