第43話 知らされる側
夜の事務フロアは、静かだった。
照明を落とした室内。
端末の光だけが、浮かんでいる。
迅は、椅子に深く座り、画面を睨んでいた。
「……これ、明らかにおかしいだろ」
隣で、夜刀がコーヒーを啜る。
「“おかしくない異常”の方が、珍しい」
迅は、画面を指差す。
「違う」
「境界反応が、記録されてない」
「なのに」
グラフを拡大する。
「周辺の“認識値”だけが、跳ねてる」
夜刀は、カップを置いた。
「……青藍院周辺?」
迅は、無言で頷く。
「昨日から、じわじわ上がってる」
「境界じゃない」
「でも」
「誰かが、見てる」
夜刀は、眉を寄せる。
「それ、公式データ?」
迅は、首を横に振る。
「裏」
「観測網の“影”の部分」
夜刀は、少しだけ表情を変えた。
「……誰が、そんなもの」
迅は、淡々と答える。
「俺」
夜刀は、呆れたように息を吐く。
「相変わらず、勝手」
迅は、画面を閉じる。
「灯火には、連絡した?」
夜刀は、一瞬だけ、視線を逸らした。
「……まだ」
迅は、立ち上がった。
「なら、俺がする」
夜刀は、迅の腕を掴んだ。
「待って」
迅は、振り返る。
「何だ」
夜刀は、静かに言う。
「今、青藍院を刺激するのは」
「得策じゃない」
迅は、夜刀を見る。
「刺激されてるのは」
「向こうだ」
「灯火が、ひとりで立ってる」
「それが、どれだけ危ないか」
夜刀は、唇を噛んだ。
「……分かってる」
「でも」
「組織は、青藍院を“固定点”として見始めてる」
迅の目が、鋭くなる。
「……アンカー扱いか」
夜刀は、頷いた。
「境界でも、施設でもない」
「“人が守っている場所”だからこそ」
迅は、低く笑った。
「最悪だな」
端末が、短く鳴る。
夜刀が、画面を見る。
「……来た」
迅も、画面を見る。
そこには、簡潔な通知。
【観測異常:青藍院周辺/原因不明】
迅は、即座に言った。
「行く」
夜刀は、首を横に振る。
「今、動けば」
「あなたは“職務違反”になる」
迅は、少し考えてから答えた。
「それが、何だ」
夜刀は、苦笑した。
「……変わらないね」
迅は、上着を取る。
「変わった」
「戻る場所が、ある」
夜刀は、深く息を吐いた。
「……私も行く」
迅は、振り返る。
「いいのか」
夜刀は、肩をすくめた。
「橋が、落ちる前に渡る」
二人は、夜のビルを出る。
街は、何事もない顔をしている。
だが。
迅の胸の奥は、ざわついていた。
――灯火。
――無事でいろ。
移動中。
迅は、ふと、耳鳴りを感じた。
高い音。
短く、鋭い。
「……っ」
夜刀が、車を減速させる。
「どうした」
迅は、額を押さえた。
「今」
「呼ばれた」
夜刀の目が、細くなる。
「……誰に」
迅は、答えなかった。
答えられなかった。
なぜなら。
その“呼び声”は、声ではなく。
**「迅を知っている何か」**だったから。
夜刀が、低く言う。
「……急ぐわよ」
迅は、窓の外を見る。
夜の街が、歪んで見えた。
知らされる側に、選択肢は少ない。
それでも。
迅は、決めていた。
――青藍院は、渡さない。




