第2話 『青藍院の調剤台、そして皇子の影』
青藍院の調剤室に戻ると、私はすぐに机上の木箱を開いた。乾燥した薬草が並んでいる──薄荷、白芷、藿香、石胆、山梔子、龍骨。見覚えのあるものも多いが、この世界固有の草も混じっていた。
「百合様、本当に……本当に解毒薬を調合されるのですか?」
おそるおそる尋ねてきたのは、さきほど私を看ていた女官──**玲花**だ。小柄で、よく気が利く子のようだ。
「できる。正確には“作れる可能性が高い”けれどね」
私は淡々と返し、薬草を並べ替えながら頭の中で組み合わせを組む。
(症状から見て、コリンエステラーゼ阻害型。つまり過剰な副交感神経刺激。なら……)
指が自然と動く。
薄荷──気を巡らせる。白芷──頭痛や眩暈に。
ただし今回は“直接の解毒”というより、毒性の吸着と分解が鍵になる。
(問題はこの世界に“活性炭”がほぼ存在しないこと……代用になるのは──)
私は棚の奥から、灰色の泥土の瓶を取り出した。
「玲花、この“清土”を細かくすり潰して。粉末状になるまで」
「は、はい!」
すり鉢の音が響く間、私は薬草の根と葉を切り刻み、煎じる順番を決めていった。
薄暗い調剤室に、薬草の香りがじわりと満ちていく。
静かだが、ここは戦場だ。
一歩間違えば患者を救えず、逆に私が疑われる可能性だってある。
そして──それは**“前の百合”が追放される未来**に直結している。
(冤罪の原因は“毒の誤調合”。ならば、私は確実な証拠で“薬師としての実力”を見せるしかない)
決意を固め、私は火を入れた。
薬液が煮立つ前、調剤室の入り口に影が差した。
「ずいぶん精が出るな」
振り向くと、蒼緋皇子が立っていた。黒衣の襟を少し緩め、腕を組んでこちらを観察している。
(皇子って、こんなに気軽に来ていいの……?)
「殿下、お見苦しいところを」
「いや、興味があるだけだ。そなたの技に」
蒼緋は調剤台に歩み寄り、炎を見下ろす。その視線は冷静で、だがどこか優しさを帯びているようにも見えた。
「先ほどの応急処置、見事だった。あれは“偶然”ではないな」
「薬剤師ですから。……いえ、薬師でしたね、この世界では」
少し言い直すと、蒼緋は喉の奥で小さく笑った。
「言い回しが独特だ。そなたは他の女官や薬師とは違う。……いや、私の知る限りの者とは似ても似つかぬ」
その言い方は、観察というより“分析”だった。
(これ、下手したら転生がバレる流れじゃ……いや、さすがにそんな設定はないよね?)
私は誤魔化すように、薬草を煮汁に投じた。
蒼緋はふと顔を上げ、棚の上の薬草を指で示す。
「これは“甘花草”か。毒にも薬にもなると聞いたが、使わぬのか?」
「今回の毒には適しません。甘花草には毒性が強い成分が含まれますし……」
言いかけて、私は口をつぐんだ。
(危な……この世界の薬理を現代基準で語ったら怪しまれる)
蒼緋はそんな私の変化を敏感に察したようだ。
だが追及せず、ただ穏やかに言った。
「そなたが言うなら、そうなのだろう」
「……信じるのですか?」
「信じる理由は、そなたが“結果で語った”からだ」
短く、しかし重い言葉。
(この皇子……思ってたより、ずっと話が通じるタイプだ)
私は小さく息を整え、薬液の火加減を調節した。
「殿下、一つお願いがあります」
「言ってみよ」
「倒れた側近殿の飲んでいた茶──残っている茶葉と器具を、可能であれば調査用に確保していただきたいのです」
蒼緋の目が細くなる。
「毒の出所を、探るつもりか?」
「はい。ただ救うだけでは根本が断てません。……このままでは、また誰かが毒を盛られる可能性があります」
蒼緋はしばらく黙り、やがて小さく頷いた。
「わかった。私が動こう」
その一言で、背筋がわずかに震えた。
(皇子自ら動く……? そんな重大なこと、軽率に引き受けていいの!?)
だけどその真剣さに、胸の奥が少し熱くなった。
「殿下……ありがとうございます」
蒼緋は視線をそらすように、ふいと横を向いた。
「礼は、側近が助かってからでよい」
なぜか耳まで赤い。
こんなに強面なのに、意外と照れ屋なのだろうか。
日が沈む頃、薬液は透き通った琥珀色へ変わっていた。
私は火を止め、冷まし、細かく濾し、瓶に注ぐ。
「……できた」
「これが、殿下の側近を?」
「まずは効果を見なければ。でも、症状の進行速度から考えて、間に合うはずです」
玲花は目を潤ませながらも、勇気を振り絞ったように言った。
「百合様、すごい……本当に、薬師なのですね」
「うん。薬師だよ」
それは“前の百合”の人生と“今の私”の覚悟の、両方を含んだ言葉だった。
蒼緋は瓶を受け取り、重く頷いた。
「……行く。そなたも来い。処置のあとは、そなた自身の身を護る必要がある」
「え?」
「こういった毒事件は、ただの事故でない場合が多い。そなたが解毒薬を作ったと知れれば──犯人は、そなたを疎ましく思う」
背筋に冷たいものが走った。
(やっぱり、ただの中毒じゃない……?)
「殿下は……どうしてそこまで?」
問いかけると、蒼緋は静かに目を伏せた。
「後宮では、力なき者が潰される。私はそれを幾度も見てきた。……守れるのなら、守りたい」
その横顔は、強く、寂しげだった。
私は迷わず、首を縦に振った。
「共に行きます。私にも、守りたいものがありますので」
解毒薬を手に、私たちは夜の西苑へ向かった。
灯籠の明かりが水面に揺れ、風が冷たい。
蒼緋を先頭に、武官数名、玲花、そして私。小さな隊列だが、緊張感はひしひしと伝わってくる。
東屋に着くと、側近の青年は寝台に移され、必死に息をしていた。
私は呼吸を整え、瓶を開ける。
「これより投与します」
武官が息を呑む。蒼緋はただ静かに見守っていた。
私は慎重に、薬を青年の口へ注いだ。
──しばらくして。
「……っ、ぁ……!」
青年が大きくむせ、胸を大きく上下させた。
「殿下! 脈が戻ってきています!」
武官の叫びに、蒼緋はわずかに目を見開き、私の方を見る。
「百合……そなた、本当に……」
言葉は最後まで続かなかったが、その表情だけで十分だった。
青年の命は、助かったのだ。
私はそっと息をつく。
疲労が押し寄せるけれど、不思議と心は軽い。
(……この世界で、私は“負けヒロイン”として終わるつもりはない)
解毒薬の瓶を握りしめながら、私は胸の奥で強く誓った。
(私の薬で、私の手で、誰も救えなかった未来を変える)
その決意だけは、絶対に折れない。




