第17話 均される檻
警報は、音もなく始まった。
赤いランプが天井で回転し、施設全体に低い振動が走る。
だがサイレンは鳴らない。
――外部には、悟らせないための異常。
監視室で、男は端末を睨んでいた。
「……おかしい」
数値が、じわじわと下がっている。
境の歪度。
異界反応。
「境封鎖装置は正常です」
部下が報告する。
「なのに……なぜ、均されていく?」
男の脳裏に、迅の顔が浮かんだ。
――檻の中でも、立てるらしい。
「……彼か」
その頃、迅は独房の中央に立っていた。
何もしていない。
ただ、立っているだけだ。
壁は冷たい金属。
床は無機質な白。
それでも――空間が、落ち着いている。
「……静かだな」
さっきまで、微かに感じていた圧迫感が消えていた。
施設そのものが、深呼吸しているような感覚。
迅は、自分の胸に手を当てる。
焔はない。
境の感覚も、ぼんやりしている。
なのに。
「……俺、邪魔なんだな」
ぽつりと漏れる。
歪みは、意図して作られるものじゃない。
恐れ、管理、支配。
そういうものが積み重なって、生まれる。
迅は、思い出す。
夜刀の言葉。
灯火の声。
――選ばない。
――ここにいる。
ガラス越しに、複数の人影が集まってきた。
男が、迅を見下ろす。
「何をしている?」
迅は顔を上げた。
「何も」
「ふざけるな」
男の声が荒れる。
「境数値が、施設全域で安定している。
そんなこと、あり得ない」
迅は首を傾げた。
「……そっちが、歪ませてただけじゃないか?」
一瞬、空気が張りつめる。
「管理しなければ、世界は壊れる」
男は言い切った。
「力を持つ者は、制御されるべきだ」
迅は、静かに答えた。
「制御ってさ」
一歩、前に出る。
拘束具は、もう光っていない。
「怖いものを、檻に入れることだろ」
監視室がざわつく。
「彼、拘束を――」
「下がれ!」
男が叫ぶ。
「君は分かっていない」
男は迅に向かって言う。
「境は、人が踏み越えれば壊れる」
迅は、首を振った。
「違う」
足を止め、はっきり言う。
「壊れるのは、“踏み越えたあとに、戻れないと思う心”だ」
沈黙。
誰も、反論できない。
その瞬間――施設全体が、大きく揺れた。
「なにが起きている!?」
部下が叫ぶ。
「異界反応、発生……いえ、消失!?
発生と消失を、同時に……!」
迅は、ゆっくり息を吸う。
ここには、恐れがある。
管理しなければ、という焦りがある。
それが、歪みを呼ぶ。
「……だからさ」
迅は、床に手をついた。
「俺が、ここに立ってる」
均す。
押し返さない。
壊さない。
ただ、存在する。
すると、揺れが止まった。
警報ランプが、静かに消える。
施設は、嘘のように静まり返った。
男は、愕然と迅を見る。
「……君は」
「兵器でも、資源でもない」
迅は言った。
「人だ」
男は、しばらく黙っていた。
やがて、低く言う。
「……分かった」
端末を操作し、拘束解除の命令を出す。
「君を、客として扱おう」
迅は、少しだけ笑った。
「最初から、そうしてほしかった」
扉が開く。
迅は、外へ一歩踏み出した。
その瞬間、施設の外気が流れ込む。
世界は、ちゃんとそこにあった。
男は、背中に向かって言った。
「君のような存在は、管理できない」
迅は振り返らずに答える。
「管理しなくていい」
「立てばいいだけだ」
遠くで、夜の空が揺れる。
だがそれは、もう脅威ではなかった。
迅は歩き出す。
青藍院へ。
灯火のいる場所へ。
火は、まだ戻らない。
だが――迅は確信していた。
自分はもう、檻の中にはいないのだから。




