31 女神伝説
放課後の特別授業に向かう前に、塔にこっそりと寄ってみる。
相変わらず立ち入り禁止ではあるが、構うものか。
いざあのフロアへ立ち入ると……
まるであの事件など何もなかったかのように、
相変わらず古ぼけた部屋が広がっていた。
杭や砕けた魔法石は残っていなかった。
そしてあの――聖書のような本さえも。
(綺麗さっぱりだな……誰かが片付けたのか? 先生か、騎士団か……)
胸にざらりとした感覚が残った。
◇
放課後の訓練場。
ユーゴ先生は腕を組んで相変わらず気怠げな空気を纏っていた。
「護衛を蹴ったんやから、責任は取らなあかんで?」
その隣では、紅茶のカップを片手に座っているエバ先生が、ふわりと髪を揺らして微笑む。
「勇気があるわよね、スナオくんは。先生、応援してるわ♪」
「まあ……自分で選んだことですから」
苦笑しながらも、腹の底では本当にそう思っていた。
――マルクスとの一件があってから、訓練に身が入る。
呪文の習得、無詠唱の魔法、魔力制御。
どれも今まで以上に集中できた。
(何かあったときは――俺がどうなってでも、他の生徒は守らねえと)
もともと俺は、ここに居るはずのなかった存在だ。
なら、優先されるべきは、もともとこの世界にいる若者たちだと思う。
……多分。
◇
授業が終わってから、俺はふと気になったことを口にしてみた。
「ひとつ聞きたいんですけど……
魔法を使えなくなる魔法、って存在しますか」
エバ先生はそれを聞くと、顎の下あたりに人差し指を立てて考えるポーズをとる。
「うーん……
魔法の出力を乱したり、抑えたりする魔法なら分かるけど、完全に使えなくするなんて話は聞いたことないわねぇ?」
やっぱりか。
じゃあ、あの杭の結界……あれは魔法じゃないのだろうか?
「あと……塔、じゃなくて図書館で、変わった本を見つけたんですけど、先生は知ってますか?」
「本? どんな?」
「古い文字で書かれていて、よくわからなかったんですが……表紙の雰囲気的に、聖書とか、ちょっと古典的な絵本っぽい……」
「ああ、もしかしたら……“女神伝説”の本じゃないかしら?」
「女神?」
「魔法使いたちの間に伝わる本よ。聖書ってのはあながち間違ってないかもしれないわね。
古い写本で、ほとんど残ってないはずだけど……さすがアスタルディア、そんな本も抑えてるのね」
エバ先生はころころ笑ってから話し始めた。
「昔、まだ人間が魔法を使えなかったころ、女神様が現れてね――
選ばれた一族にだけ、血を――魔法を授けたって言われてるの。
その女神の血を継ぐのが、今の貴族。
だから魔法は“授かり物”であって、継承するもの……
そういう伝説が残ってるの」
挿絵の少女の姿が脳裏に浮かぶ。
(……じゃあ、何で俺は)
「……女神は、何故魔法をすべての人間に与えなかったんでしょう?」
「それはわからないわねえ……古い時代の資料は、あまり見つかっていないのよ。
もっと魔法の研究が進めば、わかるようになるかもしれないわね」
「……スナオ。
それなあ、中等部で習う内容やぞ。
まさか。ほんまに知らんかったんか?」
ぬっと現れたユーゴ先生に驚いて、思わず後ずさる。
「あらユーゴ先生、いいじゃない、ただのおさらいよぉ」
「別に叱っとるわけじゃあらへんけどな。
……よう聞いときいや、スナオ。ここで生きてくなら知識は必須やで。
貴族の連中がいばっとる理由でもあるんや。
知っとる側が、知らん奴を黙って見とるはずないからな」
ユーゴ先生の言葉は、曖昧な脅しでも叱責でもない。
ただの事実だ。避けようのない、この国の構造そのもの。
「スナオくん、気に病む必要はないわよ?」
エバ先生が優しく微笑む。
「知らないなら、いまから覚えればいいだけだもの。
あなたには、その余地がたくさんあるわ」
「……そういうこっちゃ」
ユーゴ先生が腕を組む。
「知識は武器や。魔法より先に身につけなあかんもんもある。
自分の身は自分で守りたいんやろ?」
「……はい」
答えた声は、自分でも驚くほど固かった。
「じゃあ――明日も、特別授業がんばりましょうね♪」
「覚悟しときや、スナオ。逃げられへんで」
俺は小さく息を吸い、二人に向き直った。
「……お願いします」
◇
訓練で疲れた体を引きずりながら、ぼんやり階段を下る。
寮までの道のりはあと少し、と空を見上げた――その時。
(……ん?)
視界の端に、
何か過った……?




