2 有り得ない事象
「あのー……何してるんですか?」
「いや、ちょっと目の保養を」
俺が鏡に映った自分の姿を眺めていると、ユキホさんが飲み物を持って部屋に戻ってきた。
先ほどと違ってケープを脱いだ姿は新鮮である。
――数時間前。セレンの襲撃をなんとかかわし、俺はユキホさんの家を訪れた。
目的はただ一つ。自分の体についての情報を知ること。
ユキホさんの家の屋根裏には、いかにもファンタジーな魔法道具が揃っていた。
その中には『識別の水晶』なるものがあった。
名前や年齢、さらには運命まで占えるというシロモノだという。
俺たちはさっそく試してみることにした。
ユキホさんが結果を鑑定している間、俺は彼女の部屋で待つことになったのだが――
(女の子の部屋、初めて入るな……)
そんなことを考えてドキドキしていた俺の目に飛び込んできたのは、まるで魔法使いの隠れ家のような光景。
本棚には分厚い魔道書がぎっしりと並び、机の上には不思議な紋様が刻まれた魔法陣のクロスや羽ペン、インク壺。
そしてこれは……望遠鏡だろうか。
壁にはアンティークな地図が飾られていて、ほんのりと香草のような匂いが漂っている。
……すげぇ。ファンタジーの世界に迷い込んだみたいだ。
俺は感動しながら、ユキホさんが「暇つぶしに」と渡してくれた新聞を読むことにした。
だが、そこで驚くべきことに気づく。
この世界の文字、日本語じゃないのか。
まあ、当然といえば当然だが……今まで全く意識していなかった。
見たこともない形の文字なのに、なぜか普通に読めてしまう。
これも、この体のせいなのか?
考えながら新聞をめくる。
記事の見出しには、こんなものが並んでいた。
『魔法使いの失踪、家族からの必死の呼びかけ』
『森のフェアリー、カラフルな花を飾りつけて大人気』
『空飛ぶ掃除機、魔法のかけ違いで町中を大暴走』
なかなか興味深い内容だったが、細かい記事まで読む気にはなれなかった。
ひとまず新聞を置いて、ふと視線を上げる。
――鏡だ。
そこに映っていたのは、まだ見慣れない……だが、美しい自分の姿。
俺はしばし見惚れてしまっていたのだった。
「自分の顔でですか? まあ良いですけど……ほら、結果が出ましたよ!」
ユキホさんが一握りの羊皮紙を一枚掲げる。
「! ありがたい、聞かせてくれ」
待ちくたびれたぜ!
しかしユキホさんは掲げたばかりの腕をすっと下ろす。
そして、バツが悪そうな笑顔を浮かべながら姿勢を崩した。
「……出はしたんですけど、ただ……」
「……?」
「推定16歳くらいの、男性……ということ以外、わかりませんでした……」
ずこー。
「そうか……まあ、そう簡単に判明する訳無いよな」
「うう、大口叩いておいてごめんなさいぃ……」
「いや、構わない。俺の為に色々動いてくれてありがとう」
ユキホさんはギャグみたいな泣きべそをかいていたが、俺のセリフにほっとしたようだ。
うるうるした瞳でこっちを見上げている。
「16くらいってことは、殆ど同級生みたいなもんか。敬語、無理して使わなくてもいいからな」
そこまで無理は感じられないけど。
一瞬、タメ口を使うのは苦手だろうかとも思ったが、杞憂だったらしい。
意外にもユキホさんは表情を崩して、照れくさそうにしていた。
「え~……い、いいの……かなぁ」
「良いに決まってるだろ」
うっすらと、友達が少な……いや、似た者同士の気配を感じて、思わず笑みが溢れる。
「えへ……じゃあ改めて、よろしくね、スナオくん」
「……ぬか喜びする羽目になっても知らないぞ。俺はあんまり良い性格とは言えないからな」
「そうなの?」
「そうだ」
「え~?」
ユキホさんはくすっと笑った。
「でも、なんでか分からないけど、スナオくんとは仲良くなれる気がするな」
俺もそう思います。
「スナオくんも、私のことは気軽に呼んでいいからね。あんまり敬称つけられるの、慣れて無くて」
ユキホさんは気恥ずかしそうに腕を擦って、人懐こい笑みを見せた。
まったく、何だかこっちまで照れくさくなるぜ……。
「じゃあ、まあ……お言葉に甘えて、気軽に呼ばせてもらうよ。ユキホ」
あー、全く、くすぐったいったらありゃしない。
俺はホンワカした空気をごまかすように、ユキホさ…ユキホが持ってきてくれた飲み物を一口啜った。
こういうの、柄じゃないんだよな。
……お?
なかなか美味い。飲みやすい。
香りはフルーティーな紅茶のようだが、香りほど甘くなく、すっきりとした味わいだ。
異世界にはこんな飲み物があるのか……!
俺はこれまで食には無頓着だったが、こりゃ驚いた。
元の世界にも、こんな飲み物はあったんだろうか?
もっと色々な食事を試しておけば良かった。そう思うと、少し悔しい。
あー、それにしても美味い。
「このお茶ね、私のオリジナルブレンドなんだよー。美味しいでしょ?」
俺の思考を見透かしたのか?
「ああ、美味い……こんなに美味い茶があるなんて……」
「そんなに? えへへ、嬉しい」
ユキホは照れたように笑う。
名付けるならユキホ茶といった所か。安直か?
何にせよ、ぜひまた頂きたい……ズズッ。
「でも、これだけしか情報が無いなんて……本当にどこから来たんだろうね? スナオさ……くんの体」
確かに、とハッとした。
二人してティーカップ片手に、うーん、と頭を抱える。
その時、ふとあのいけすかないセレンの顔が浮かんだ。
「そういえば、セレンが俺を見た時、どこかで会ったかと訊いてきた。彼女が何か知っている可能性は?」
ユキホはうーん、と悩み始める。
「無くはない、と思うけど……貴族の人間関係って複雑だから……でも、今度会ったら確認してみよっか」
俺は頷いた。
と同時に、もう一つ思い出した。
「そうだ、血液検査の結果は?」
水晶占いと同時に、血を一滴使った鑑定も行っていた筈だ。
ユキホは痛い所を突かれたような反応をすると、残念そうに眉を寄せた。
「結果は”わざなし”……魔法使いの血は流れてないみたい」
「そうか……じゃあ、魔法適性は……」
「ゼロ、だね……」
俺はがっかりした。
「その鑑定法、正答率どれぐらいなんだ?」
「占いと違って、血液は間違う事がないの。何度も確認したけど、こればかりは……」
「……そうか」
「で、でも! わざなしでも、魔法を手に入れられるように頑張ってる人達もいるから、そういう研究論文を読んだりすれば可能性はあるかも!」
ゼロ……ゼロかぁ……。
なんというか、必死に勉強して臨んだテスト結果で、第一志望D判定を食らったような気分である。
ユキホの優しいフォローも、今の俺には虚しく響くのみ。
俺も手から火を出して燃やしたり、指先から水を噴出させたりしてみたかった……。
「魔法、使いたかったなぁ……」
思わず口走る。
ユキホは自室のソファで、厚かましくもぐったりと横になっている俺を責めもせず、おどおどとこちらの様子を伺っていた。
だが突然、きゅっと拳を握り込んだかと思うと、
「……挑戦してみる……?」
と言った。
◇
「魔法使いは生まれつき、魔法を操る力が自然に備わってるの。筋力なんかと同じだね。
でも、正しい動かし方を知らないと使えないんだ。
だから小さい頃から勉強して、ようやく魔法を使いこなせるようになるの」
俺達は杖と本を持ち、近くの公園に来ていた。
夜空には星が浮かんでおり、住宅街のランタンが幻想的に景色を彩っている。
俺の杖は、初心者用のものをユキホが貸してくれた。
つくづく感謝しかないな……。
「けど、わざなしはそもそもその力が備わってない。だから、いくら勉強した所で理解することも、ましてや使うことなんて絶対出来ないって云われてる」
「理解すら出来ない?」
「そう。勉強を始めれば、どういう事か分かると思う」
なるほど?
「さっき、わざなしでも魔法を使う為に研究してる人間たちもいると言ってたよな」
「うん……でも、未だ嘗て成功した人はいないんだ」
ユキホはすぐ口を塞いだが、俺は特に気にしなかった。
いや、嘘です。
可能性低いのか~、そっか~。ガクッ……。
「でも、もしかしたらある日突然使えるようになるかもしれないし……スナオくんが無理せず頑張れるよう私も手伝うから、一緒に頑張ろう!」
いつの間にか俺の顔はしわしわになっていたらしく、ユキホは俺を励ましてくれた。
そうだな……落ち込んでいても、しょうがないもんな。
「ああ、やってみよう」
俺はこの夜空の下でピカイチに輝く笑顔を作った。
「これは義務教育用の教科書。基礎魔法を学ぶならこれが一番」
ユキホに渡された本に、ざっと目を通す。
呪文の発音、イントネーション、効果、失敗例。
他にも使用が想定されるシーンの一例など、色々な基礎情報が書かれている。
ぱらぱらページを捲っていると、ユキホが心配そうに覗き込んできた。
「どう? 大丈夫? 頭痛くなったり、気分悪くなったりしてない?」
「ああ、大丈夫だ。……そんな事になるのか?」
「え、えへへ……本にもよると思うんだけど、そうなる人もいるって聞くから……」
おいおい。
だが、少なくとも現状、特に異常や体調不良は感じない。
さっきユキホさんが言っていた、理解できない、とはどういう意味なのだろうか。
とりあえず、書かれている通りの方法に沿って、出来る限り意識してやってみるしかない。
合っているか分からないが、ここには親切な魔法使いもいる。
「……わかる? 読める……?」
俺は頷いた。
ユキホは一瞬驚いたあと、ほっと一息つくと杖を取り出し本に向ける。
するとひとりでに本のページが捲られ、基礎呪文のページが滑らかに開かれた。
「まずは一番初歩の呪文! これを使うことが魔法使いとしての第一歩だよ!」
ものを浮かせる呪文。
魔法と言えば、やはり手を使わずにものを動かしてこそ。
これが出来たら、随分生活は便利になるだろう。
一人では到底動かせないような、重いものだって動かせるんだからな。
……やっぱり、重いほど精神に負担が掛かったりするんだろうか? 気になるな。
「基礎中の基礎だから、慣れたらわざわざ呪文を詠唱する必要はないんだけど……」
ユキホは咳払いすると、地面にあった小石に杖の先を向けた。
「――<レバロ>、飛べ!」
ふわり……と、まるで無重力状態になったかのように、小石が中に浮く。
「おぉー……浮いてる」
「初めての時は石をジャンプさせるくらいしか出来ないと思うけど、それが普通。慣れたら浮いた状態を維持したり、もう少しレベルが上がると、好きな動きをさせることもできるよ」
ユキホが杖先を回転させると、小石はくるくると円を描く。
――すごい、魔法みたいだ。……魔法だけど。
そして杖が下ろされると同時に、小石はポトッと地面に落ち、動かなくなった。
「魔法使いでも最初は上手くいかない人も多いから、失敗は気にせず真似してみて。見様見真似で大丈夫」
呪文を唱えて何も起こらなかったら、めちゃくちゃ恥ずかしいかもしれない。
そう思いつつも、ダメ元で杖を構え、目を閉じる。
教科書通り……意識を集中させて、全身に流れる魔力を感じ取る……。
……血流を意識するみたいな感覚で合ってるのか?
……いや、そもそも俺、魔力を感じ取れないタイプの人間らしいけど……。
「余計なことは考えちゃダメ。感覚を研ぎ澄ませる感じで……杖の先に収束させるの」
……ばれた。なるほど、雑念はアウトか……。
「石が浮かぶ姿を想像して……」
石、ね……。浮かせるだけじゃなくて、こう、踊らせたり、スポーンって飛ばしたり、自分を浮かせたり……。
「そして……正確に呪文を唱えて、一気に開放する!」
「――<レバロ>、飛べーッ!!」
瞬間。
びゅうっ、と風が吹いた。
……やったか!?
「ユキホ、俺……」
期待に目を開く。
眼下には、美しい街並みが広がっていた。
「あ?」
途端に感じる浮遊感。
あれ、俺、――落ちてね?
「杖放しちゃだめー!!!!」
ユキホの叫びが下から聞こえてきた。
すーごい綺麗な街だったんだな、ここ。
気づけば俺は住宅街の空を急降下している事実に絶叫していた。
「ギャーーーー!!!!」
「<レバロ>、飛べ!!」
ふわり。
地面と顔面の距離はわずか1メートル程だろうか。
俺はうつぶせに固まったまま宙で浮いていた。
――助かった?
「ぶっ」
どすん。
口の中に土と草の味が広がる。うえぇ。
「だ、大丈夫!?」
ユキホが駆け寄ってくる。
顔を上げてグッドサインを出すと、ユキホはへなへなと膝をついた。
異世界でも親指を立てるサインは通じるのだろうか……多分通じただろ。
「えへ……思わずフル詠唱しちゃったよ……」
ユキホは笑うが、口の輪郭はふにゃふにゃで、顔は真っ青だ。
……というか。
またもやユキホに助けられてしまった。俺、不甲斐ねえ……!!
「……何が起きた?」
「私もわかんない……でも、スナオくんが空を飛んだのは見えた、かな。……あはは」
やっぱり俺は宙に浮いていたのか。
マジか。
「ユキホ〜、俺が目ぇ瞑ってたからって、からかったんじゃないだろうなー」
「そんな事しないよぉ……危険、だもん」
ユキホはほんの少し目を逸らす。
「……じゃあ、俺がやったのか?」
「……私はなにもやってないから……そうなるのかな?」
俺達は顔を見合わせ、……ぎこちなく笑い合う。
俺達は、二人して幻覚を見たかも知れないという結論に至った。
というわけで、もう一度試してみる事にした。
「いい? 今度は呪文を言う時にちゃんと目を開けて、石を見つめてみて」
俺は頷く。
小石をじっと見つめ、浮く姿を想像した。
「……<レバロ>、飛べ」
ふわり。
「……わ、……わあっ、スナオくん、すごい!! すごいよスナオくん!!」
――本当に、俺がやっているのか!?
そう思った瞬間、小石はぽとりと地面に落ちた。
一方ユキホは瞳を輝かせながら、興奮してまだ俺の左腕を揺さぶっている。
「この呪文で浮かせたまま動かす事も出来るんだったか?」
「ううん、動かす時はこう言うの――<レバロ・メア・ヴォルンターテ>って」
随分仰々しくなったな。
ユキホの説明を聞きながら、呪文を唱える。
浮かせるのは成功――今度は集中力を途切れさせてはいけない。
小石と杖先の動きが連動する事を想像し、くるりと杖の先を振ってみる。
すると――見事に小石が一周した。
ユキホが歓声を上げる。
「スナオくん、スナオくんはきっと魔法使いなんだよ、信じられないよ!!」
「俺も信じられないな……」
「これ、すごいことなんだよ。しかも初めてで人間まで浮かせられるなんて……魔法界の歴史が今、変わったんだよ!!」
そんなに凄いのか?
イマイチ自分が一日にして歴史を動かした実感が持てないんだが、そこまで言われると悪い気はまあしない。
とはいえ、おだてられて素直に大喜びする程俺は単純じゃないんだぜ?
――そう自分に言い聞かせたつもりだったが、頬の緩みは隠し切れなかった。
だから俺はポーカーが下手なんだ。
「ユキホ、疑うようで悪いが、鑑定が間違ってた可能性は無いのか? 俺ってメチャクチャ顔が良いし、実は遠縁に貴族がいて、血は薄まってるけど急に覚醒した可能性もあるかもしれないだろ」
「ううん、血液を使った魔法は、占いよりずっと精度が高いの。だからその可能性は絶対無いと思う……けど……でも確かに、私はただの学生だし……大人の魔法使いにも確認してもらったほうが良いよね」
ぜひお願いしたい。
ユキホは、アスタルディアに知り合いがいるから任せて、と胸をぽんと叩いた。
……さて、魔法が使えそうな事は分かったものの、これからどうしたものか。
独学で魔法を学んで、異世界サバイバルでも始めようか?
これ以上女の子の世話になり続けるのもどうかと思うしなぁ……。
そう思って教科書に目を落とそうとした時、ユキホが何か言いたそうにもじもじし始めた。
「ねえ、スナオくん……」
「どうしたんだ」
「良かったら、他の魔法も一緒に勉強してみようよ。そしたら……一緒にアスタルディアに入れるかもしれないから……」
――アスタルディア。
つまり……魔法学校に、俺が入る?
「そんな事出来るのか? 俺、家があるかも身寄りが居るかも分かんないし、金だって持ってないぞ」
「アスタルディアの入学条件は魔法使いである事と年齢だけだし、学費は国が出すから大丈夫! 学校には寮があるから、スナオくんも暫くは安心して生活出来ると思うんだ。それに――」
ユキホは小さく息を吸い込むと、ぎゅっと両手の拳を握る。
「私、スナオくんと一緒に勉強がしたい!」
正直に言おう。
ドキッとした。
こんなに素直な好意を向けられたのはいつ以来だろう?
それに彼女はこの世界で出来た、初めての……友人、と呼べる存在。
どうしてこのキラキラとした純粋な――他の誰でもない、この俺に向けられた眼差しを、裏切る気になれようか!?
加えて、心のどこかで俺は既に、決してそれだけが俺を突き動かす理由ではないのだと気づいていた。
魔法、使えたら絶対楽しいだろ。
学ばない理由なんてあるか?
それに、前世で失われた学生生活をやり直せるチャンスとあれば――掴まない選択肢なんかない!!
「俺も……ぜひそうしたい」
そう言うと、ユキホは驚きと喜びの混ざった、可愛い表情をする。
ああ、たったこれだけで喜ばれるなんて、友情とはなんと素晴らしいものか。
ぶしゅっ。
何かが噴き出す感覚が走る。
ユキホの表情が、驚愕に変わった。
今度は何だよ? なんか鼻から……
あれ? 俺鼻血めっちゃ出てね?
鼻下に垂れる液体に触れる。
手が真っ赤な液体で染まった。
目の前がぐにゃりと歪む。
そして、闇が訪れた。




