6.生贄
「さぁさぁ、こちらへどうぞ。長に我が家へ来ていただけるなんて、今日という日を指折り数えて楽しみにしておりました!」
手をすりすりとしながら歩いていくお父様を見て、わたしは考える。長、ということは何かお父様の属する組織のトップの人間なのだろう。最初から女子が顔を出しているのはよくないことのようで、あとでお父様に呼ばれたらお酌にこいとのことらしい。ばあやはこんな幼女にそんなことをさせるなんてと怒っていたが。ふと、長の後ろを音もなく人の姿を見て、わたしは思わず呟いた。
「……お兄様?」
小声だったため届くはずのないわたしの声に反応して、お兄様がこちらを見た。目を丸くした後、一気に顔を顰めた。今日の訪問理由とわたしの立場に気がついたらしい。おそらく、以前の格好ではこの家の娘と思われず、使用人の娘と思われたのだろう……それであっても、女児が森を歩く回ることは醜聞になりかねないようだが。
そして、お兄様は何事もなかったかのように前を向いて進んでいく。わたしは覗いていた顔を引っ込めて、首を傾げた。
「あれ? わたし、もう認識阻害してるよね?」
不安になってばあやに確認にいった。ばあやとライトの助言から、わたしの認識阻害はお父様やお父様派の周辺には効かないようになっている。お父様までわたしの顔が違うと気が付いたら、大変な事態になってしまうからだ。ばあやには認識阻害は効いているとのことだから、お兄様はどうにかして魔術を見破ったということだろう。
「ライト。わたしの認識阻害、お兄様にはばれていたっぽいけど、長って人にはばれないよね?」
「我が主、長という者が使役できる精霊など、妾の力には及ばぬ」
胸を張ったライトに安心して、首を傾げた。じゃあ、お兄様は長って人よりも強いってこと? 守られる立場であっても強くなければならない、という考えで女王をこなしてきたわたしには、長が弱いということがどうしても理解できないのだった。
「ユーリア! はやく来ないか!」
ばあやとお酌の準備をしていたら、怒りに染まったお父様がやってきた。あれだけゴマを擦っていたからわたしが呼ばれるのはもっと遅くだと思っていたのに、お父様は組織に属する者として才覚がないのかもしれない。女王になるために実力はもちろん必要だったが、人間関係も重視していた。思わず、お父様を残念な子を見るような目で見て、わたしは急いでお父様を追いかけたのだった。
「長、大変お待たせいたしました。我が娘でございます。嫁入り前の身でございますので、ご理解いただけますと……」
頭を下げたまま、お父様の後ろをついて歩いて部屋に入った。
「よい、はよう顔を見せよ」
お父様の言葉なんて聞かない様子の長に、わたしは嫌悪感を感じながら、ゆっくりと顔を見せた。一応、元権力者の端くれ、表情は綺麗に隠し顔を上げると、長の顔が一気に曇った。期待外れと書いてある顔を見て、認識阻害の大成功を感じ、笑みを浮かべて挨拶をした。
「ソレガノが娘ユーリアでございます。いつも父がお世話になっております。よろしければ、一杯お注ぎしてもよろしいでしょうか?」
「あ、あぁ……」
わたしの認識阻害の結果の顔は、なかなか酷い様だ。この世界で嫌われる痘をいくつか散らし、大きな鼻先は赤く、目は糸のようだ。小さいことが好まれる口は大きくまるで裂けているような容貌で、初めて見た人は何かの感染症を疑うかもしれない。もう少し軽くてもいいんじゃないかというわたしの意見は、ばあやとライトに却下された。お父様が自信満々にわたしの容姿を褒めて長に進めるその姿は、親バカの域を超え、センスを疑われる結果だろう。長の顔が歪に歪んでいくのと同時に、後ろでお兄様がニヤニヤと今にも吹き出しそうにしている−−といっても、お兄様と初対面のお父様にとっては普通の表情に見えるだろうが−−姿に少し面白さを感じながら、わたしは長の横に移動して酌をした。
「ひ、ひぃ!」
「我が娘は、多くの殿方から文をもらっていた我が妻に似て美しく、女としての価値は高いと思います。婚姻前に顔を見せるなど、恥かと思いますが、長のお好みの年齢のうちに紹介しておこうと、」
声を上げて叫んで酒器を放り出した長に、お父様が言葉を止めて首を傾げた。
「わたし、お父様に貴方様の機嫌をとるようにきつく言われておりますの。もしも、逃げ出したり何かなさったら……ね?」
長の耳元でそう囁きながら、顔よりも酷い痘の跡でボロボロになった手−−認識阻害でそうなっているだけで、わたしの手は赤切れや手荒れ程度だが−−を重ねるような所作をすると、長は壊れたようにコクコクと頷き、お父様に返答した。
「い、いや。噂通り大変お美しいお嬢さんだ。驚いてしまって、声が出てしまったのぅ……ははははは」
「そうでいらっしゃいましたか。まだ四歳なのですが、我が家もできるだけ早く嫁に出そうとは考えておりまして……長の妻の一人の候補に入れていただけると……」
「まだ四歳では少々幼すぎないかのぅ。やはり女子は十……いや十六を超えてから出ないとのぅ」
「長のお好みは年若い女子では……?」
「いや、ほれ、儂も歳をとってのぅ……はははは」
冷や汗をだらだらかきながら、わたしとの婚姻から逃れようとする幼女趣味にわたしは満足する。後ろでお兄様も満足げな顔をしていることから、わたしの選択は間違っていなかったのだろう。わたしが後ろに向ける視線に気がついた長が慌てて話を変えた。
「お嬢さんも年若い男の方がいいじゃろう。ほれ、これは儂の護衛のようなものじゃ。まだ学院で学んでいるが、この儂のそばにつけるなら、これくらいの者でないとのぅ。そ、そうじゃ。お嬢さんを学院に通わせたらどうかのぅ」
話を必死に変えた長の話題のセンスは最高だった。わたしは思わず期待を込めてお父様を見た。お父様はちらりとわたしを見て鼻で一つ笑ってから、長に言った。
「こやつは見た目は良くとも、所詮女子。魔力も乏しく、通わせるような価値はありません」
お父様のその言葉に、わたしの力を知っているお兄様が目を丸くした。わたしは静かに首を振り、お父様の了承が得られないこととわたしの力をお父様に隠している意をお兄様に伝えた。
お兄様は険しい顔をして何やら考え込んでいるうちに話が進んだ。
「そ、そうか。では今日は楽しい時間じゃった。また、休み明けに……」




